【11】血痕


 銀のミラジーノは果南市郊外の峠道を行く。

 その助手席で、茅野はタブレットに指を走らせながら言った。

「この近くに登山道の入り口があるわ。そこの駐車場に車を停めましょう」

「らじゃー」

 桜井がフロントガラスの向こうを見据えたまま返事をした。

 そうして、しばらくそのまま道なりに進むと右側に登り坂の脇道が見えてくる。

 その奥へと進むと、古びた神社と未舗装の駐車場があった。

 どうやら神社の裏手に登山道の入り口があるらしい。

 駐車スペースは地面に張られた縄で区切れていた。登山客のものと思われる車が何台か見える。

 桜井は銀のミラジーノを空いたスペースに停めた。

 二人は降車してトランクからリュックを取りだし、再び峠道まで戻った。

 更に十五分ほど歩くと、今度は下り坂の脇道が見えてくる。その先が見返村だった。

 村に着くなり、二人はひなびた景色の中を横切る路地を“山歩きにきたハイカーづら”で闊歩かっぽする。

 村に入ってすぐに軽トラックとすれ違った以外、人の気配はない。

 そんな中で、いくつかの民家の軒先に例の六芒星のお札が貼ってあった。

「そういえば、梨沙さん」

「何?」

「以前に山に住む一つ目の化け物は目の多いものに弱いという話をしたわよね?」

「ああ、うん。八女洞のときだね?」

「そうよ」

 と、頷く茅野。

「そういった化け物を退けるために、目の多い竹笊たけざるを軒下に吊るす風習が山沿いの地域では見られる……という話もしたと思うけど」

「うん。覚えてるよ」

「この六芒星のお札は、要するにその竹笊の代わりなのよ」

「ああ、籠目紋かごめもんは確か竹籠の網目をシンプルにしたやつなんだっけ?」

「そうね」

「……そう言えば、あの八女洞のあった村も籠目・・村だったね」

「そうよ。だから、今思いついたのだけれど、今度、閑なときに八女洞にいってナナツメサマに六芒星が効くかどうか実験してみましょう」

「いいねえ」

 既に八女洞が穂村一樹の手配によって封鎖されている事を二人は知らないのだが、それはさておき……。

 九尾天全が聞いたら涙目になりそうな会話を交わしながら、村の外れの山道へと辿り着く。

 更にその先へと進んで、二人はかつて集団自殺のあった博愛教会の教団施設へと到着した。

 つたの張った白い壁。

 敷地内に残された重機。

 そして、エントランスの前にある二台の車。

「誰かいる?」

「みたいね……」

 門前でしょんぼりとする桜井と茅野。

 しかし、流石にここまできて、おめおめと引き返せるほど、二人の人間性はできていなかった。

「なら多少強引だけど、山歩きをしていたら道に迷ったという設定・・でいきましょう。それで道を尋ねるために、私たちは仕方なくこの謎の施設に足を踏み入れた。そう。仕方がなかったのよ……」

「それなら、仕方がない」

「という訳で、いってみましょう」

 二人は敷地内に足を踏み入れ、エントランスの前まで続くスロープを登り始めた。




 桜井と茅野は教団施設内に足を踏み入れる。

 床に散らばった硝子片が、じゃりじゃりと音を立てた。

 笠だけの直管蛍光灯、無人の受付カウンター、壁際には壊れたロッカーが並んでいる。

「それじゃ、まずはどうする?」

 その桜井の質問に、茅野はスマホに指を這わせながら答える。

「集団自殺のあった大広間へといってみましょう。受付カウンターの右奥の先にあるらしいわ」

「スマホ、使えるんだ。風情がないねえ……」

 桜井が極めて残念そうに言った。茅野も苦笑して頷き同意する。

「取り合えず、表にあった車の主は、敵なのか味方かまだ解らない。用心していきましょう」

「うん、でも、今までの経験則からいって、こういうところにいるやつはだいたいやべーやつだけど」

「まあ、そうだけれど、出会い頭でいきなり目潰しサミングをかますのは厳禁よ」

「はーい。わかってまーす」

 と、微妙に頭のおかしい会話を繰り広げながら、二人の女子高生は大広間へと向かった。




 大広間の両開きの扉は開かれていた。

 その扉口から、茅野がデジタル一眼カメラのレンズで室内を舐め回す。

「うちの学校の体育館より少し大きいぐらいかしら」

「そだね」

 桜井がネックストラップに吊るされたスマホで、ぱしゃぱしゃと撮る。

 そして茅野の視線がステージの奥の壁へと向いた。そこには紫や黄色、白などの色取りどりの花畑が画かれていた。

「梨沙さん、見て。もしかすると、あれが“虹の彼方”の由来かもしれないわ」

「どゆこと?」

「あれは、菖蒲あやめの花ね。英語ではアイリス。その語源はギリシャ神話の虹の女神だと言われているわ。きっと虹の彼方というネーミングは、あの絵から取ったんじゃないかしら?」

「ふうん……でも何であんなところに菖蒲の花畑が描いてあるんだろ」

 その桜井の疑問に茅野は肩をすくめる。

「一応、フランス人にとっては、菖蒲はキリスト教に関連深い花だけど……まあ深い意味はないんじゃないかしら? カルト教団の中二妄想なんてそんなものよ。元々この場所が教団施設になる前から描いてあったものかもしれないし」

 因みに菖蒲の花畑の絵は、まさに保養所の頃から描かれてあったというのが正解であるのだが、それは、さておき……。

「そもそも、さっき私が思いついた虹の彼方という言葉が、あの菖蒲の絵を由来にしているというのも正しい解釈とは限らない。兎も角、オカルトに傾倒すると、すべての物事には深い意味と関連性があると思い込みがちになるけれど、それはの始まりよ。狂気という沼のね」

「なるほど……」

 桜井は得心した様子で頷き、

「それでも、ユダヤ人なのかフランス人なのか、はっきりして欲しいよね」

「それは、そうね」

 と、何だかよく解らない会話が一区切りしたところで、二人はステージの方へ向かって歩き始める。

「そういえば、ここでの幽霊の目撃談とかはどうなっているの?」

「けっこうあるわよ。まず解体工事がほとんど進んでいない。詳しい事情は不明だけれど、祟りのせいであると、もっぱらの評判ね」

「ふうん……」

 と、話を聞いているのか、いないのか解らない桜井の返事。そして……。

「他には?」

「他には、この大広間で呻き声が聞こえたり、急に苦しくなって嘔吐おうとしたり……そんな体験談がネットではあげられているわね」

 桜井はお腹を左手で擦る。

「別に気持ち悪くはないかなあ……」

 すると、その直後だった。

「梨沙さん、あれ……」

 茅野がカメラを構えたまま、ステージ近くの床を指差す。

 そこだけ赤茶色の大きな染みがあった。

「血? いやまさか……」

「そのまさか、かもしれないわ」

 二人はその染みに近づいて見おろす。

 すると鼻をつくのは強烈な鉄錆てつさびの臭いであった。

「これはそのまさかの血だね」

「今日の気温や湿度を加味して、まだそれほど時間は経っていなさそうね」

 そこで桜井が、はたと、それに気がついて声をあげる。

「循、見て。あっちの方に血の跡が続いている」

 茅野は桜井の指差す方へと目線を向けて呟く。

「虹の彼方……みたいね」

 その血痕は、転々とステージ下手の袖の入り口へ向かって続いていた。

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