【07】啓示


 二〇二〇年六月二十六日の夜だった。

 宮野颯天はウキウキしたまま、ベッドにその身を横たえる。

 これまで何人かのクラスの女子と二人きりで遊んだ事はあったが、ここまで心が弾んだのは初めてだった。

 彼は純粋に戸田楪の事をもっとよく知りたかった。

 好きな食べ物、漫画、ゲーム、歌……きっと明日は楽しい日になるに違いない。

 昨日からの憂鬱な気分はすっかりと吹き飛んでいた。

 因みに四年二組の女子たちには、宮野と二人きりで出かけるとき、事前にグループメッセージで申告しなければならないという暗黙のルールがあった。

 当然ながら楪は、この手続きを宮野との通話のあと、極めて事務的におこなっていた。

 その結果、かなりの美少女でありながら、これまでまったく動きを見せていなかった戸田楪がついに沈黙を破ったと、四年二組の女子たちの間に激震げきしんが走った。


 ……そんな事態になっているとは知らず、宮野颯天はいつの間にか深い眠りへと落ちていた――




 誰かの心音。

 遠くで声が聞こえる。

 あの演説じみた声だ。

「……もう……定めら……七の……訪れ……。その前に我……次のステ……のアセショ……」

 歓声と拍手。

 まるで、それは古いラジオ放送のような。 

 そこで宮野颯天は、自分が夢を見ている事に気がついた。

 しかし、まだ目覚めの気配はこない。そして、以前の夢よりも、声や音がはっきりとしているような気がした。

「……これは、魂のアウフ……信じ……恐れる……我に……」

 そこで突然、電話の呼び出し音が聞こえ始める。

 暗闇が明るくなった。

 鎧戸よろいどから光が漏れている。そこは薄暗い部屋だった。腰をおろして足を伸ばす事もままならないぐらい狭い。

 呼び出し音はずっと鳴っていた。

 ずっと……ずっと……。

 電話に出たかったが、宮野はその狭い空間から出る事ができなかった。

 鎧戸の隙間から漏れた光が、狭い部屋の壁に掲げられた額縁の中の紋章を浮かびあがらせている。

 中央に赤い薔薇が印された六芒星。

 颯天は鎧戸に張りついて外をのぞき込んだ。

 すぐ外には狭い廊下が横たわっていた。その廊下を挟んで反対側の壁際の棚に、今もけたたましい音を立てる黒電話があった。

 誰かが右の方からやってきて、その受話器を持ちあげた。

 声は聞こえない。顔も見えない。

 ただ、その唇の右端に黒子が浮いていた。

 次第に唇の動きが速くなる。

 会話がヒートアップしているらしい。

 しかし、ミュートでもかかっているかのように何も聞こえない。

 その誰かが受話器に向かって怒鳴りつけた……が、やはり、声は聞こえない。

 そこで唐突に視界が暗転する。

 すると、次は学校の教室だった。

 四年二組の面々が周りを取り囲んでいる。

 全員が意地の悪い笑みを浮かべ、罵倒の言葉を吐き始める。

 皆川日菜美も、徳間心愛も、松本姫子も、そして、戸田楪も……。

 そして、黒板の前にエプロン姿の母親が立っていた。 

 母が言った。


「虹の彼方に連れていくわよ」


 言葉の意味が解らなかった。

 そして、その声は、なぜか母親のものではなく、あの“オザワ”という電話をかけてきた女性のものだった。

 そこでふと気がつく。

 周りを取り囲んでいたのが、四年二組のクラスメイトとは似ても似つかない別人たちであったという事に……。

 驚いて母親の方を見た。

 すると、母親も知らない誰かに変わっていた。

 その人物が笑う。

 右端に黒子が浮いた唇が歪む。

 再び唐突に視界が切り替わる。

 今度は薄暗い畳の部屋だった。古びたブラウン管のテレビが置いてある。

 その画面にノイズが走り、映像が映し出された。

 見知らぬ町並みを遠くから押し寄せてくる真っ黒な津波がすべてを飲み込んだ。

 タンカーが巨大な渦に巻き込まれ、へし折れる。

 そして、電気を突然消したかのように視界が暗くなり、がたんという衝撃と同時に喉元が苦しくなる。

 まるで溺れているかのようだ。手足をばたつかせ、必死にもがき苦しんでいると――




 目の前には、見慣れた真っ白い天井があった。

 重たい目蓋を瞬かせ宮野颯天は自分が目覚めた事に気がついた。




 二〇二〇年六月二十七日の早朝だった。

 銀のミラジーノに乗り込み桜井と茅野は県南を目指す。

 鼠の死骸のような色合いの雲が、海沿いのバイパスの遥か先に広がる空まで続いていた。

「……と、言うわけで、博愛教会は四人の生き残り以外、全員が死んでしまった訳だけど」

 助手席の茅野が一九九九年に起こった集団自殺のあらましを語り終えると、桜井はフロントガラスの向こうを見据えたまま「ふうん」と気のない返事をした。

「実は博愛教会がらみの有名な事件がもう一つあるわ」

「へえ。ずいぶんと、お騒がせな教団だね」

 のんびりと走るミラジーノの横を大型トラックが追い抜いてゆく。

「……で、そのもう一つの事件っていうのは?」

 桜井に問われ、茅野は得意気な顔で答える。

「二〇一二年の三月十一日に都内のアパートで、集団自殺のときの生き残りが惨殺されたの。遺体の損傷は相当酷かったらしいわ。そして、その犯人もまた集団自殺の生き残りだったの」

「ふうん。動機は何なの?」

「被害者は徳元亮一というのだけれど、実は彼は教団に潜入取材していたフリーライターだったらしいの。因みに集団自殺のとき、教団施設を抜け出して通報したのは彼よ」

「じゃあ、その徳元って人を殺した動機は、裏切り者をぶっ殺せ! みたいな?」

「まあ、そんなところじゃないかしら? その辺りは、はっきりとはしてないのだけれど。何にせよ、彼が通報していなかったら生存者は一人もいなかったと言われている。助かった教団信者にとって、彼は死という救いを邪魔した訳だから、怨んでしまうのも頷けるけれど、まともではないわね」

「うーん。その犯人は、だいぶエキサイティングな頭をしていたみたいだね」

「ええ。殺したのは緒沢恵。因みに彼女は教祖の妻の一人で、一九九九年の集団自殺のときに子供を身籠っていたらしいわ」

「へえ。赤ちゃん、だいじょうぶだったのかな?」

 桜井の疑問に茅野は頷く。

「集団自殺のあった翌年……二〇〇〇年の一月頃に無事、生まれたらしいわね」

「それは不幸中の幸いってやつだね」

 桜井は、ほっとした様子で溜め息を吐いた。

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