【05】日ユ同祖論


 二〇二〇年六月二十六日の事だった。

「やはり、けーきたいさくが……」

「抜本的な奴が必要よ」

 この日の放課後、桜井と茅野は、珍しく部室で混迷する世界情勢についての真面目な議論を交わそうと試みる。


 ……が、二十秒で飽き始めた。

「やはり、私たちには無理だったようね……」

「そだね……」

 けっきょく諦めて、二人はいつものようにだらだらと余暇を過ごす事にした。

 そうして、しばらくすると、その弛緩しかんした空気を電子音が突き破る。

「あら、私のスマホだわ」

 そう言って、茅野循は『フーコーの振り子』の上巻を閉じて、スマホを取り出す。

 その画面に表示された名前を見て、茅野は意外そうな声をあげる。

「あら。楪さんからだわ」

「へえ。何だろ……また幽霊でも見たのかな?」

 桜井がテーブルの上に投げ出していた上半身をもたげて言った。

「取り合えず、出てみるわね」

 茅野は電話ボタンをタップしてスピーカーフォンにしたスマホをテーブルに置いた。

『あ……もしもし、戸田です』

 少し緊張ぎみの可愛らしい声が響き渡った。

「お久し振りね。楪さん」

「元気にしてた?」

『はい。お陰様で。そのせつはどうもありがとうございました』

 などと、年齢の割りにはしっかりとした楪の言葉遣いに頬を緩ませる桜井と茅野。

「……それはそうと、どうかしたのかしら?」

 茅野がさっそく本題に切り込む。

『ちょっと、聞きたい事があって……』

「何かしら?」

『あの……』

 すると、楪はしばらく逡巡しゅんじゅんしたあとで……。

『……日ユ同祖論って、本当の事なの!?』

 と、質問を発した。

「にちゆ……どうそろん……?」

 桜井が首を傾げ、茅野は簡単な説明を口にする。

「ざっくりと言うと、日本人の祖先がユダヤ人であるという説よ」

「ふうん」

 いつもの気の抜けた相づちを返し、桜井は茅野に問う。

「……で、それ、本当なの?」

「全部、出鱈目でたらめね」

 その茅野の端的な答えに、楪は意表を突かれたようだった。

『デタラメって……デタラメ!? 嘘?』

「そうよ」

『全部?』

「そうね」

『じゃあ、あの“君が代の歌詞がヘブライ語だったっていうのは……』

「ああ、アレね」

 と、茅野は鼻を鳴らす。

「アレ系の“日本に昔から伝わる歌はヘブライ語”という話は、空耳でそれっぽく聞こえるだけね。“hot as sun”という英語が“堀田すまん”に聞こえたからって、英語を喋るイギリス人やアメリカ人の祖先が日本人になる訳ではないわ」

「タモさんのクラブのやつだね」と桜井。

「それから、あの君が代をヘブライ語に当てはめた歌詞は、かなり強引でところどころにおかしな箇所が結構あるわ。でも、ヘブライ語は日本ではマイナーな言語であるから、間違いであると指摘できる人が少ない。だから、信じられているだけの珍説に過ぎないの」

『そうなんだ……』

 と、一度は納得しかけた楪であったが、

『でも、じゃあ……ヘブライ語の文字に、ひらがなとかカタカナと似た形が多いっていうのは……』

「それも、思い込みね」

 あっさりと否定する茅野。

「そもそも、 文字なんか大抵は簡単な直線と曲線の組み合わせでしかない。そして、ひらがなとカタカナは濁音、半濁音、拗音ようおん促音そくおんを抜かしても、九十六文字あるわ。対してヘブル文字はたったの二十二文字。この二十二文字を引っくり返したり、裏返したり、少し角度を変えてみたりすれば、ひらがなとカタカナのどれかに似て見えても、私はおかしいとは思わない」

『た、確かに……別に変じゃないかも……』

 楪は再び納得し掛けるも、すぐに第三の矢を放ってきた。

『あ、でも……ダビデの星は? あの紋章はユダヤの印なんだよね?』

「ええ、そうね」

 と、茅野は悠然とした笑みを浮かべる。

『ダビデの星が、昔から日本で魔除けの印として使われていたって……』

「それはね、楪さん。なのよ」

『逆……?』

六芒星がユダヤの・・・・・・・・印なんじゃなくて・・・・・・・・ユダヤの印を・・・・・・六芒星にしたのよ・・・・・・・・

『ええ……どういう事?』

「元々、あの六芒星は魔除けや封印なんかの意味で、世界のいたるところで使われていたわ。アラブではソロモンの封印、キリスト教圏では創生の星、インドではシャコトナ……そして、この日本では籠目紋かごめもんと呼ばれていたの」

『籠目紋……じゃあ、あの六芒星が昔の日本にあっても、不思議ではないんだ……』

「ええ。日本の籠目紋は、インドのシャコトナが中国経由で伝わったもの、もしくは、竹籠の編み目の形を図案化したものと言われているわ」

『だから、籠目紋……』

 得心した様子の楪。

 そこで、これまで黙って話を聞いていた桜井が声をあげる。

「半袖のパーカー着てるだけでアララギくんとか言ったり、緑と黒の格子柄の服を着ているだけでキメツの真似とか言い出すやつだね、それ……」

「その通りよ。梨沙さん」

「何でもパクリ認定しておけばいいって、ものじゃないんだねえ」

「まったくね。だいたい、ユダヤ人が六芒星をダビデの星として自分たちの紋章にしたのは十七世紀頃。日本の籠目紋は、もっと昔から魔除けの印として様々なところで使われていたわ」

「まあ、上下逆さの三角形を重ねただけの図形なんて、ユダヤ人以外でも思いつきそうだよね」

 桜井が苦笑する。そして、茅野が既に死にかけの日ユ同祖論へとどめを刺しにかかる。

「そもそも、日ユ同祖論自体が、明治時代に佐伯好朗さえきよしろうという人が広めた嘘ですもの。彼はユダヤの資本家に対して、日本へと投資してくれるように、日ユ同祖論を唱えて彼らから親近感を得ようとしていたのね」

「ふうん……日ユ同祖論ってクソだね」

 桜井が素っ気なく切り捨てると、楪のほっとした様子の声が聞こえてきた。

『そっか……全部嘘なんだ。よかった……』

 そこで、怪訝けげんそうに眉をひそめ、顔を合わせる二人。

 そして桜井が尋ねる。

「何かあったの?」

『実は……』

 すると、楪はクラスメイトが見た不思議な夢の事やあざについて、これまでの経緯を二人に語り始めた。

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