【04】隠された知識
二〇二〇年六月二十六日の朝。
非接触の体温計が、ぴぴっ、と電子音を立てた。
「はーい。おはよう。今日も頑張ろうね」
……などと、朗らかな笑顔を見せる年配の女教師に体温測定をしてもらい、戸田楪は生徒玄関前から元気に四年二組の教室へと向かった。
すると、教室の片隅で昨日の面子――皆川日菜美、徳間心愛、松本姫子、宮野颯天が集まって話していた。
楪は昨日インターネットで調べた事を宮野たちに言うか言うまいかずっと悩んでいた。
事が事だけに軽々しく口にしてはいけないような気がしたからだ。
自分の席にランドセルを置いて、教科書と筆記用具を学習机の中に移し、もう一度四人の方を見ると、皆川と目が合う。
「あ、ユズちゃん、こっち!」
などと、手招きをされる。楪は宮野たちの方へと向かった。
「また宮野くんが変な夢を見たんだって」
と、言ったのは徳間である。
「昨日、教えてもらったのと同じ夢?」
この楪の問いに、宮野は首を横に振った。
「いや。でも関係はあると思う。あの星印……ダビデの星だっけ?」
と、彼が尋ねると、松本は「うん。ユダヤの印だよ」と頷く。
「そのダビデの星が出てきたし」
そう言って、宮野は語り始める。
「最初は、真っ暗な部屋で仏壇みたいな台があって……」
その壇の後ろの壁には白い旗が掛かっており、そこには例の赤い薔薇が中央に印された六芒星が描かれていたのだという。
そして、その壇の上には、
「変なおっさんの写真が飾ってあって……」
「知ってる人?」
楪は首を傾げる。
「いや。知らない。何か青い背景で、偉そうな椅子に座った髭もじゃの変なおっさん。白い魔法使いみたいな格好してんの。俺はずっと、その仏壇みたいなのを
「それで?」
「……そしたら、急に凄いでかい真っ黒な津波がやってきて、町を全部押し流して……もう何か
そこで、その場にいた全員の目線が宮野の首元に集まる。
最初に、それに気がついたのは皆川だった。
「宮野くん……それ……」
「は? 何?」
宮野はきょとんとした表情で首を触った。
そこには、まるでロープのような赤い
首の痣について、宮野は戸惑った様子ではあったが、すぐに「別に痛くないし、大丈夫」と開き直る。
その後は特に気にする事もなく普通に授業を受けていた。
そして、給食が終わり昼休みになる。
この日の宮野は、仲のいい男子たちと“ユーチューブごっこ”をするために校庭の方へいってしまった。彼は人気者なので、休み時間は各所から引っ張りだことなる。
一方の皆川、徳間、松本、そして楪の四人は、教室で例の痣や夢の事について話し合う事にした。
「やっぱり、あれって、夢が関係あるんだよね……」
と、心配そうに表情を曇らせる皆川。
すると、松本が声を潜めて話を切り出す。
「……今から言う話は宮野くんに内緒にしていて欲しいんだけど」
「え?」
「何?」
皆川と徳間が興味津々といった様子で食いつく。楪はというと、彼女が何を言い出すのか察しがついてしまった。
「……実は、宮野くんが夢で見た赤い薔薇の六芒星って、博愛教会っていう宗教団体のシンボルマークなの」
ああ、やっぱり……楪は苦笑いをする。どうやら彼女も調べたらしい。
皆川が「何なの? その博愛教会って」と尋ねると、松本は得意げな顔で語り始める。
その話の中には、楪が知っている以上の情報は含まれていなかった。
ともあれ、松本は話の最後に己の見解をつけ加える。
「……だから、宮野くんは、そのとき自殺した人の生まれ変わりなんじゃないかって」
皆川は「いやだ、怖ーい」と、眉をひそめながら笑う。半信半疑といった様子だ。
そして、徳間が首を傾げながら松本に問う。
「じゃあ、あの痣って、もしかして、その自殺のときについた
「そうよ。ネットだと自殺した信者たちは毒を飲んだ事になっているけど、全員が同じ方法で死んだ訳じゃなかったのかも」
その松本の見解に、楪はいまいち釈然としないものを感じた。
毒を飲むより首を吊る方が辛そうなのに、わざわざ違う方法を選ぶ理由が解らない。
しかし、その違和感を口に出す事はせずに話の流れを
「じゃあ、けっきょく、ユダヤ人は関係なかったって事?」
松本は首を横に振る。
「それが、そうでもないのよ……」
「どーゆう事?」
皆川が首を傾げる。
「その博愛教会のマークが、ユダヤ人のシンボル……ダビデの星から取られたものだからよ」
皆川は更に質問を重ねる。
「何で? 教祖がユダヤ人だったりしたの?」
「教祖の御鏡って人が、自分の事を旧約聖書の中に出てくる救世主だって言ってたみたい」
「聖書? 聖書って、キリスト教のやつ?」
徳間のあげた疑問の声に松本は頷く。
「旧約聖書はユダヤ教の聖書でもあるわ」
「でも、教祖は日本人なんでしょ? なら何で、そんな……」
徳間は苦笑する。すると、松本はとんでもない事を言い始めた。
「……そもそも、日本人の祖先がユダヤ人なのよ。実は」
その言葉を聞いて、皆川、徳間、楪の三人は目を丸くする。
「どういう事なの? 姫ちゃん」
皆川が話を促すと、松本はこれまでにも増して得意げな顔で語り始める。
「ユダヤ人の国だった古代イスラエル王国が紀元前七〇〇年ぐらいに滅亡したんだけど、そのとき故郷を終われた民が、中東の方から日本にやってきて住み着いたんだって」
そこで楪は思い出す。
昨日、博愛教会について調べたとき“日本人が失われた古代イスラエル十支族の末裔 ”みたいな記述があった事を……。
きっと松本が言いたいのは、その事だろうと楪は察した。
更に松本の語りは続く。
「この日本人の祖先がユダヤ人だっていう説は“日ユ同祖論”って、言うんだけど、その証拠は現代でもたくさん残されていてね……」
そう言って松本は“君が代はヘブライ語の歌に無理やり日本語を当てはめたもの”だとか“ユダヤ人の使うヘブル文字にはカタカナとひらがなにそっくりなものが多い”だとか、日本人の祖先がユダヤ人であるという根拠を次々とあげた。
そして、最後に……。
「それで、その博愛教会の人たちが住んでいた果南市見返村なんだけど……“かなん”は旧約聖書に出てくる地名だし、“みかえり”も聖書なんかでお馴染みの大天使ミカエルと似た読みでしょ?」
「ええー!?」
「嘘でしょ?」
皆川と徳間の二人が
しかし、松本は取り立てて気にせず、確信に満ちた様子で話を続ける。
「それで、見返村では、玄関にダビデの星を書いた魔除けのお札を貼っておく風習があったんだって。きっと、村には日本人がユダヤ人だった頃の伝統がずっと失われずに残っていたのよ。だから、博愛教会の人は、見返村を本拠地に選んだらしいんだけど」
どうにも、うさん臭い話だ。楪は率直に思った。
……と、そこで昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。
その日、家に帰ると楪は再び母にパソコンの使用許可を求め、日ユ同祖論について詳しく調べてみる事にした。
すると……。
「え……」
楪は驚愕する。
そのノートパソコンの画面に映し出されているのは――
・君が代の歌詞は次のヘブライ語の歌に日本語を当てはめたものである。
・ヘブライ語の歌詞の意味は次の通りとなる。
「立ち上がれ、神を讃えよ、神の選民たるシオンの民は、選民として歓喜せよ! 人類に救いが訪れ、神の予言が成就した。全知あまぬく宣べ伝えよ」
「じゃあ、本当に、日本人の祖先って……」
「どうしたの? ユズちゃん。また怖いの見てるの?」
美月が心配そうに問う。
楪は「何でもない。大丈夫。ちょっと、びっくりしただけ」と答えながら思った。
冷静に考えれば、日本人の祖先がユダヤ人だったところで何が変わる訳でもない。
しかし、君が代とヘブライ語の見事な符号は、幼い楪の心に大きな衝撃を与えた。
更にヘブル文字と、カタカナ、ひらがなを比較した表もあった。それを見る限りヘブル文字の中には、どう考えてもカタカナやひらがなとしか思えないものがいくつかあった。
松本が言っていた通り、日本人の祖先はユダヤ人で間違いないのかもしれない。
そして、博愛教会の教祖が本当に救世主かどうかは疑わしいが、それでも彼らの言っている事には、ある程度の真実が含まれているのでは……と、思えてきた。
楪は深々と
クラスメイトの見た奇妙な夢から始まり、二十一年前の集団自殺事件、世界が終わる夢と首の痣、日本人のルーツに迫る秘密……。
何か自分が手を出してはいけない隠された知識に触れてしまったような気がした。
もう、この一件は自分の手に余る。
楪はパソコンを片づけて自室に向かうと、置きっぱなしだったスマホを手に取り、茅野循へと連絡を取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます