【02】博愛教会


 二〇二〇年六月二十五日の放課後。

 楪はインターネットで例のマークを調べてみる事にした。

 帰りの会が終わると一目散に帰宅する。

 家に着くなり早々、母親に許可を取り、ノートパソコンを使わせてもらう。

 戸田家では使用目的の申請とリビングのみでの利用という条件はあるが、楪には比較的自由にパソコンを使わせていた。

 因みに楪は連絡用のスマホも持ってはいる。

 しかし、フィルタリングが掛かっているため、ほぼ調べ物には役に立たない上に、学校への持ち込みは禁止されているので、休日以外は自室に置きっぱなしになっている。

 それはさておき、今回の利用目的について、楪は母親の美月に「友だちの夢に出てきたマークについて調べたい」と言った。

「友だちの夢……?」と、怪訝けげんそうな顔をされるも、ノートパソコンの使用を許される。

 楪はソファーに腰を落ち着けて、ローテーブルに置いたパソコンを立ちあげる。

 検索ワードは『六芒星 赤い薔薇』

 ボタンをクリックすると、一発で答えに辿り着く。




 博愛教会


 1991年に創設された日本の新興宗教( カルト )である。

 1999年、教団施設内で発生した集団自殺により、教祖および信者の大半が死亡したために消滅した。



 そのウィキぺディアに載っていた教団のシンボルマークがまさに、六芒星の中央に赤い薔薇の描かれた図案であった。

 そして“集団自殺”という文字を見て、楪はぎょっとする。

 何か見てはいけないものを見ているような気がして、近くのソファーに腰をおろす母親の顔を盗み見る。

 美月はお茶を飲みながらテレビのワイドショーに注視していた。

 楪はそっとパソコン画面に視線を戻し、再び記事を読み進める――




 博愛教会は御鏡真神みかがみしんじこと渡辺安武わたなべやすたけが設立した宗教団体である。

 前身は渡辺が会長を務めていた、大学のオカルトサークルであった。

 この当時は規模も小さく、ほとんど対外的な活動は行っていなかった。

 しかし、彼らは内輪の閉ざされた空間で、次第に妄想を歪ませ、“自分たちは、この世界の隠された知識オカルトに通じた、神に選ばれし者である”という選民思想を抱くようになる。

 そうして、その“隠された知識”という妄想を広く啓蒙けいもうしようと活動を始めた。

 その過程で渡辺は、日本人が失われた古代イスラエル十支族の末裔であるとする“日ユ同祖論にちゆどうそろん”を引き合いに出し、自らを旧約聖書にある“救世主メシア”の子孫だと標榜ひょうぼうするようになる。

 それから、神の王国を建造するとして、県南にある果南市かなんし見返村みかえりむらの教団施設にて十名前後の信者と共同生活を送るようになった。

 これが一九九一年の春先の事で、この頃から渡辺らは、自らの集団を博愛教会と称し始めた。

 その教義や世界観は旧約聖書や神智学をベースに、あらゆる宗教やニューエイジ系の思想などを節操なく取り入れたもので、随所ずいしょにほころびが多く幼稚なものであったのだという――




「“ちゅうにびょう”だっけ? こういうの……」

「何? 急にどうしたの? ユズちゃん」

「な、何でもないからっ」

 楪は慌てて誤魔化し、再びパソコンの画面に目線を落とす――




 ……それでも、一度だけオカルト専門誌『レムリア』で、博愛教会の活動が取りあげられた事があった。

 教団施設内の様子や、祈りを捧げる信者たち、また渡辺のインタビューなどが、けっこうなページ数を割いて特集された。

 だが、やはり世間の反応は冷ややかなもので、教団の活動に注目する者はまったくいなかった。

 また教団の拠点があった見返村の住民たちも、当初は彼らの事を薄気味悪く思いながらも特に気にしてはいなかったのだという。

 このように、設立したばかりの博愛教会は、小規模の目立たない新興宗教団体でしかなった。

 そんな彼らの転機となったのは、一九九五年三月二十日に発生した地下鉄サリン事件であった。

 この事件を主導したのが、新興宗教団体のオウム真理教であった事から、スピリチュアルなものやオカルト的なものに対する世間の風当たりが強くなり始めた。

 関係者の証言では、こうした風潮に渡辺は、かなり心を痛め絶望していたのだという。

 そして、一九九六年十月頃。

 週刊誌『女性問題』にて、博愛教会が“オウム予備軍”などと取りあげられる。

 その記事に掲載された脱会信者からのインタビューにより、教団の代表であった渡辺が複数の女性信者と関係を持っていた事が明るみになった。

 一夫多妻は、彼ら博愛教会側にしてみれば教義上は何の問題もなかったのだが、当然ながら世間の反応は厳しいものであった。

 博愛教会は世間から“セックスカルト”と認知され、批判に晒される事となる。

 これを渡辺は「我々を快く思わない勢力からの攻撃である」として、元々教団が持ち合わせていた選民思想と排他性を更に先鋭化せんえいかさせていった。

 この一件が、後の集団自殺の導線となった事は言うまでもない――



「わわっ……いっぷたさいって……そういう事なの……?」

 などと、パソコンの画面を見ながらあたふたする楪。

 しかし、その幼き双眸はパソコン画面に釘づけとなったままだった――




 ……地下鉄サリン事件、そしてマスメディアのバッシングを経て、渡辺は被害妄想と陰謀論、終末思想に傾倒していった。

 それにともない教団内では暴力による苛烈な制裁が行われるようになる。

 そのすべてが渡辺の疑心暗鬼に端を発しており、彼の機嫌次第で容易く制裁は行われた。

 因みに、この暴力による制裁は「再教育」と呼ばれていた。

 元信者によれば、渡辺は、この「再教育」を「我々を快く思わない勢力からの霊的攻撃により、聖性を失った仲間を救済する行為」としていたらしい。

 ほとんどの者が、この暴力行為に嬉々として参加していたのだという。

 こうして、かつての内輪での和気藹々わきあいあいとしていた共同生活は一変する。誰もが渡辺の顔色をうかがうようになった。

 見返村の住民と博愛教会信者とのトラブルも急増し、いくつかの案件は警察沙汰となった。

 そうした事が積み重なり、一九九八年十二月の事であった。

 渡辺は「ノストラダムスの予言は真実であり一九九九年の七月に世界は終わる」と信者に触れ回った。

 元から渡辺に心酔しており、また「再教育」を恐れていた信者は、誰も彼の言葉に異を唱えようとしなかった。

 そんな中で、渡辺は「終わった世界を肉体ごと捨てて、新たなる次元に至る」として、集団自殺を企てる。

 この計画は誰にも止められる事なく、一九九九年六月二十七日の正午過ぎに、教団施設内の「大聖堂」と呼ばれる大広間で実行され、渡辺を含む三十六名が命を落とす結果となった――




「うわわ……」

 と、唇を戦慄わななかせる楪。

 そんな娘の顔色をうかがい、美月は心配そうに眉をひそめた。

「大丈夫……? ユズちゃん。また怖いの見てるの?」

「うん。ごめん……」

 と言いながらマウスを動かしてブラウザを閉じた。

 変に不審がられるのも不味いと感じたので、正直に明かす事にする。

「……調べているうちに、何か昔の事件の記事に行き着いちゃって。あの宗教の人がいっぱい自殺したやつ。一九九九年の」

「ああ……」

 美月は心当たりのありげな相づちを打ってから唇を尖らせる。

「駄目よ。また夜に眠れなくなったらどうするの? もうやめておきなさい」

「うん……」

 楪は素直に従いパソコンの電源を落とした。

 そして、母親に問う。

「ねえ」

「なあに。ユズちゃん」

「……前世ってあると思う? 死んだら生まれ変わるの」

 美月は茶化す様子も、深刻ぶる様子もなく即答する。

「ないわよ。死んだら終わり」

「そうなの?」

「だから、みんな、頑張って生きてるの」

「……うん。変な事、聞いてごめん」

「いいのよ」

 そう言って、美月は朗らかに微笑んだ。

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