【01】六芒星の夢


 回廊の割れ窓からのぞめるのは、誰からも忘れ去られた山深い常緑の森だった。

 からから……からから……と、車輪の音が聞こえ、車椅子を押す白い御髪おぐしの老女が姿を現す。

 車椅子に乗っている人影は、フードを目深に被った白いローブ姿だった。革の手袋にブーツ。うつむいており、酷く小柄である。

 その頭越しに老女は、独りささやくように話し続ける。

「……神人。あんたも、今年で二十歳になったわ。 ……もう、立派に成長して、あの人の……真神様の跡継ぎとして相応しい大人になれた」

 からから……からから……と、車輪は回る。

 右端に黒子ほくろの浮いた唇が動く。

「ありがとう。お母様。そう言って、いただけて嬉しいです」

 老女は満足げに微笑んだ。

「それでね。お母さん、考えたの……どうすれば、使命を果たす事ができるのか……」

 返事はない。

 からから……からから……。

 そして、その幼い男児のような口調が沈黙を破った。

「この世界に残された人間を助ける事だよ、お母様」

 老女は深々と頷く。

「……そう。あんたの使命は、この世界に残された人たちをできる限りたくさん救う事よ」

 そして、二十歳というにはあまりにも華奢きゃしゃな後ろ姿に、柔らかな眼差しを向けた。

「でもね、お母様。僕にできるかな?」

 老女は首を振る。

「大丈夫。貴方ならば、きっと、できるわ。もっと自信を持ちなさい」

 右手に現れた大きな両開きの扉の前で、車椅子の車輪がぴたりと停まる。

「ちょっと、待っていてね」

 老女はいったん車椅子から離れると扉を押し開いた。獣の悲鳴のような音が鳴った。

「……あの世界が終わる前の一九九九年六月二十七日、真神様が……同胞たちが、向こう側へと旅立ったのが、この場所よ」

 老女は再び車椅子を押して、開かれた扉口を潜り抜ける。

 硝子が割れ落ち、枠だけになった天窓から射し込む真夏の太陽光が、二人の足元にいびつな模様を描いている。

 床には木の葉や枝、ビニール袋や空き缶などのゴミがたくさん散らばっていた。

 その荒れ果てた大広間を見渡し、老女がクスクスと笑う。

 そのまま車椅子を押して奥に向かい始める。

「……あれから、世界はどんどんとおかしくなっているわ。どんどんと、毎年毎年毎年……」

 老女はステージの前で、ぴたりと足を停めた。

「悪い方へ……悪い方へ……世界はどんどんと落ちていく……真神様の予言通りよ。もうこの世界は二十一年前の七の月に滅亡したのよ」

 老女が遠い眼差しを何もないステージ上へと向けた。

「だから、私たちで、世界を救いましょう」

 そして、続けて力強い言葉が木霊こだまする。


「うん。解った。お母様。僕も頑張るよ」




 二〇二〇年六月二十五日の事。

「……しみゅらくら現象? ぱれいどりあ効果?」

 小難しそうな本に視線を落とし、眉間にしわを寄せるのは小学四年生の戸田楪である。

 それは、昼休みの事だった。空には晴れ間がのぞいており、大半の生徒は校庭へと出払っていた。

 教室内では数人の児童たちが会話をかわしたり、楪のように己の席へと着いて本を読んだりしている。もちろん、全員の口元はマスクで覆われていた。

 ときおり、男子がふざけて「ソーシャル! ソーシャル守れやバカ!」などと、声をあげて追い駆けっこをしていたが、基本的に静かであった。

 そんなおりだった。

 本を読む集中力を失いつつある楪の耳に、近くで会話をしていた女子の声が届いた。

「……でね、それって、前世の記憶なんじゃないかって」

 ……面白そうな話だ。

 楪は小難しそうな本をパタリと閉じると席を立って、その子らの話に加わる事にした。

「何の話してるの?」

 三人の女子が楪の方へと目線を向ける。

 皆川日菜美みながわひなみ徳間心愛とくまここあ松本姫子まつもとひめこだった。

 比較的、よく話すクラスメイトの女子である。

 そして、もう一人は……。

「ああ。戸田か。聞いてくれよ」

 宮野颯天みやのはやてという名前で、運動も勉強もよくできる上にクラス内の人望も厚い男子だった。

 顔立ちも、どこぞのアイドル事務所のジュニアグループにいそうなイケメンと評判である。

 もっとも、好きな男性のタイプといえば“お父さんのような人”である楪にとって、宮野の何がいいのかさっぱりなのだが……。

 それはさておき、宮野は語り始める。

「実は最近、変な夢ばっかり見るんだよ。あんまり続けて同じ夢ばかり見るもんだから、ちょっと、おかしいな……なんて、話をしていて。そしたら、松本がそれを前世の記憶なんじゃないかって言うんだ」

「そうそう」と皆川が相づちを打つ。

「これは心霊の臭いがしてきた……」

「ん? 今何て言ったの、ユズちゃん」

 と、皆川に聞き返され「何でもないよ」と誤魔化ごまかす楪。

 それは、一流のゴーストハンターを目指す彼女にとって、このうえなく興味深い話であった。

「それで、どんな夢?」

 話を促すと、宮野が口火を切る。

「ずっと……どくん……どくん……って、誰かの心臓の音がしてて」

「音だけ?」と楪が尋ねると、宮野は頷く。

「うん。音だけの夢」

「変だよねー」と徳間が笑う。

 宮野は更に話を続ける。

「そのうち、遠くの方から変な声が聴こえてきて」

「誰の?」

 宮野は首を横に振る。

「知らないおっさんの声。なんか、何を言ってるのかあんまり聞こえなくて、選挙の演説みたいな感じで……」

 楪は、わくわくと両手の拳を振りながら合いの手を入れる。

「それから、それから?」

「お、おう……えっと」

 思わぬ食いつきに、ちょっと引き気味の宮野は、苦笑しながら話を続けた。

「……そ、それから、その声がやんだら、急に何か、凄い苦しくて、痛くなって……目の前が、ばーっと、明るくなって」

「目が覚めるの?」

 この問いにも宮野は首を横に動かす。

「何か次は変な魔法陣みたいなマークが見えて、そこで目が覚めるんだよ」

「それって、どんなマーク?」

 楪の質問を受けて、宮野が両手の親指と人差し指を合わせて三角を作る。

「よくゲームとかであるやつ……」

 そう言って、その三角を裏返し、上下逆さまにした。

「こう、三角が二つ重なってるマーク」

六芒星・・・よ。ダビデの星ともいうわ。元々はユダヤ人の象徴の印よ」

 と、松本が補足すると宮野は頷く。

「そう。その六芒星の真ん中に真っ赤な・・・・薔薇の絵・・・・が描いてあるの」

「ふーん……」と、楪は思案顔を浮かべてみるも、何が何やらさっぱりであった。

 すると松本が得意気な顔で語り始める。

「きっと、宮野くんの前世はユダヤ人の王子様だったんだわ。ユダヤ人は頭がよくて、お金持ちがたくさんいるっていうもの」

「きゃー」

「王子様!」

 などと、皆川と徳間が黄色い声をあげる。

 そこで、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。

 楪は宮野たちに礼を述べて自分の席へと戻るかたわら、そのマークについて、もっと詳しく調べてみようと考えた。

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