【03】聖なる香


「別に普通だね……」

「普通の古民家ね」

 津村から差し出されたスマホの画面をのぞき込みながら、桜井と茅野は感想を漏らした。

 画像は旗竿地の入り口から撮られたものらしい。

 建物自体は何の変哲もない、昭和初期頃の古い住宅といったおもむきである。

 しかし周囲の家との間が異様に狭く、まるでパズルのピースのように無理やり空いていた隙間に家を押し込めたかのような不自然さがあった。

「そういえば、この家について羽田さんは何て言っているのかしら? 彼女も近所に住んでいるのよね?」

 茅野の質問に津村が答える。

「継美ちゃんとは、あの旗竿地の空き地で遊んだ事もあったんですけど、私がこの家の話をしたら『そうだっけ?』みたいな反応で……。やっぱり家があった事についてはあまり不思議がっていないみたいです」

 因みに羽田はというと津村の事を西木に任せて、とっとと帰路に着いていた。

 桜井と茅野あのぶっとんだ二人に関わると、また恐ろしい目に合いかねないと警戒した為である。

「……なるほど」

 桜井は鹿爪らしい顔で腕組みをしながら「さっぱり、解らん」と、清々しいまでにきっぱり言い切る。

「兎も角、実物を見てみない事には、始まらないわね」

 茅野がそう言って立ちあがる。桜井も続く。津村は首を傾げる。

「え、実物って……今からいくんですか?」

「うん。当然」

「申し訳ないけれど」

 桜井と茅野が事もなげに言う。

 そして、西木が後輩をいつくしみに満ちた目で見つめながら一言。

「諦めなさい」

「えっ、え?」

 津村は困惑気味に三人の先輩の顔を見渡した。

 ……このあと、四人は学校をあとにして藤見駅へ。電車で来津へと向かったのだった。




 来津駅で下車し、駅裏に通じた改札口から外に出る。

 狭い住宅街の路地を進み、くだんの旗竿地の入り口前に辿り着く。

「……何か実物を見るとますます無理やり建ってる感が酷いね」

 西木がライカTのファインダーをのぞき込みながら苦笑する。

 そして、桜井が左の掌に右拳を打ちつけ「よし!」と一言。

 意気揚々いきようようと旗竿地の入り口から奥へと進もうとするが、それを茅野が制止する。

「待って、梨沙さん」

「うん。待つ」

 あっさりときびすを返す桜井だった。

「何の準備もなしに、敵陣へと乗り込むのは危険だわ。それにまだ、どうしても気になる謎がある」

「気になる謎ですか……?」

 津村が首を傾げた。その津村に向かって茅野は答える。

「それは、なぜ貴女だけが、あの家がある事に違和感を覚えているのかよ」

「ああ……」

「もしかしたら、あの家がどうこうというより、津村さんだけが何らかの怪異の影響を受けている可能性もあるわ。まずはそれをはっきりさせないと」

「なるほど。そのパターンもあるね」

 手を叩き合わせて納得する桜井であった。

「でも、じゃあ、まずはどうするの?」

 その西木の質問に、茅野は右手の人差し指を立てて答える。

「津村さんが、最初にあの家の存在に気がついたのは、朝、洗面所の窓から、この旗竿地を眺めたときなのよね?」

「ええ、はい」

「ならば、まずはその窓からあの家を見てみたいわ。お家にお邪魔しても構わないかしら?」

「はい。まあ……」

 グイグイと謎を解こうとしてくれる茅野の勢いにたじろぎながらも、彼女の申し出を了承する津村であった。




 そんな訳で津村宅へと向かう一行。

 津村宅は旗竿地の入り口から見て、左側にあった。

 その玄関先で茅野が除菌スプレーを取りだし全員に噴霧ふんむし出す。西木は、こういうところは真面目なんだよな……と、再び内心で苦笑した。

 その一幕が終わると家にあがり込む。因みに津村の両親は共に仕事で家を空けているらしい。

 ともあれ、四人は津村の案内を受けて洗面所に向かうが……。

「何もないね……」

「普通ね……」

 磨り硝子の窓を開けて裏手の旗竿地を覗き込む。しかし、特におかしなところは何もない。

 例の古民家は、変わらずそこに存在していた。

「写真を九尾センセに送りつけてみる?」

 桜井が恒例になりつつある心霊探知法を提案するが、茅野は首を横に振る。

「何でもかんでも九尾先生に頼り過ぎるのはよくないわ」

「そだね」

 このとき、西木は思った。たぶん自分たちで謎解きを楽しみたいだけなんだろうな……と。

 しかし、茅野の表情は浮かない。

「……とは、言っても正直なところ、五里霧中ごりむちゅうだわ。これはやはり、九尾先生の出番かしら」

 そう言ってから、神妙な面持ちで洗面所を見渡す。

「あの……何かあんまりジロジロ見られるのも恥ずかしいです」

 津村が照れ臭そうに頬を赤く染めた。すると、その瞬間だった。

 茅野の目線が、ある一点で止まる。それは化粧品や美容用品が並んでいる棚であった。

 茅野はその中から、白いチューブを取り出す。それは洗顔料であった。

「この洗顔料は、もしかして津村さん、貴女が?」

「はい。私、それを毎朝使うようにしてるんですけど……」

「もしかすると、初めてあの家の存在に気がついた朝も、これを使っていたんじゃないかしら? この洗顔料で顔を洗ってから、窓の外を見た……」

「え? ええ……」

 記憶を反芻はんすうしながら頷く津村。

 そこで桜井が首を傾げた。

「その洗顔料がどうかしたの?」

 すると、茅野は得意気に微笑みながら解説する。

「この洗顔料には、フランキンセンスの成分が含まれているのよ」

「ふらんきん……せんす?」

 桜井のあげた疑問の声に茅野は答える。

「フランキンセンスはオリバナムや乳香にゅうこうとも呼ばれる、木の樹液のお香の事ね。このフランキンセンスは、古代エジプトでは太陽神ラーをたたえる祈りの際に焚かれ、あのキリストが誕生したときも、三賢者の一人が贈り物とした聖なるお香なのよ」

「ふうん」

 と、相変わらずぼんやりとした返事を返す桜井。

「きっと、あの家に関する認識を誤認させていた何らかの力を、この洗顔料に含まれるフランキンセンスの成分が打ち破ったのではないかしら?」

 そこで、廊下から洗面所を覗き込んでいた西木が声をあげる。

「でも、そんな洗顔料で、何とかなるものなのかなぁ……」

「消臭スプレーにも対霊効果があるのだから、洗顔料にもそういった力があっても不思議ではないわ」

 と、茅野が鹿爪らしい顔で言ったが、西木はやはり釈然としない様子であった。

 すると、桜井がそこで一つの提案を打ち出す。

「じゃあさ、本当に効果があるのか試してみようよ」

「いいわね……」

 茅野は桜井の提案を受けて、津村に羽田継美を呼び出すように頼んだ。

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