【12】後日譚
「本当にいない。あんな凄いのどうしたのよ……」
自宅リビングの応接で驚く九尾に向かって『いえーい』と、ウェブ越しにVサインを送る桜井であった。
それは死人の森の探索から一夜明けた六月二十一日の夜だった。
桜井と茅野、そして九尾の三人は、各々の自室からビデオ会議アプリにログインして顔を合わせていた。
「も、もしかして、“
茅野は首を横に振って否定する。
『違うわ』
昨晩、日付が変わるぐらいの頃、九尾の元に茅野から桜井の画像が送られてきたのだが、そこにあの凄い式神の姿はなかった。
いったいどうやって祓ったのか九尾は訳が解らなかった。
兎も角、あんな凄いのを素人がどうにかできる訳がないのだ。
「じゃあ、いったいどうやって……」
『あの式神はようするに自らの敵を探して梨沙さんに憑いてきた訳でしょう?』
「ええ、まあ……」
『
そこで桜井が口を挟む。
『私たち、あのあと、旧猿川村トンネルにいってきたんだ』
「はあ!?」
驚きのあまり、大きく目を見開く九尾。
『九尾先生が前に言っていたけれど、あの旧猿川村トンネルは、死人の森と同等の心霊スポットなのよね?』
「ああ、うん、まあ。……あれ?」
いつそんなの話したっけ……と、首を傾げる九尾であった。
『なら、単純に考えて、旧猿川村トンネルに巣くう霊をあの式神が滅するのに、何十年もかかるという事になるわ』
「……まあ、あそこは、色々な要因が重なり過ぎて霊の吹き溜まりみたいな場所になっちゃっているから、下手をすればもっとかかるかも……」
『その頃には、あの凄いのも、あたしたちの事なんか忘れてるっていう訳。いえーい!』
もう一度、満面の笑顔でウェブカメラにピースする桜井であった。
「いやいやでも、そんな馬鹿げた方法で……」
『でも、効果はあったでしょう?』
と、茅野は事もなげに言う。
「いや、でも……いや、あのトンネルが綺麗になるならいいのか……? いや、でも……」
やはり釈然としない九尾であった。
そこで、茅野が話題の転換をはかる。
『それはそうと、
と、前置きをして語り始めた。
この話は後日、九尾から穂村一樹に伝わる事となった。
西嶋里佳はすべてが終わった翌日、当初の予定通り阿久間警察署へ
宇野の悪霊に関する事を除いては、すべて嘘偽りなく供述する。本当の事を言っても誰も信じてくれないと思ったからだ。
更に話の辻褄を合わせるために宇野が娘にやらせた罪は、すべて自らの罪とした。
当初は希代の女殺人鬼などと報道されて日本中を凍りつかせた。しかし、その報道はどういう訳かすぐに下火となる。
そうして一ヶ月あまりが経過した頃だった。
その日、西嶋は県警の取調室へと連れてこられた。また長々とした取り調べだろうと思っていたが、先に室内で待っていたのは見知らぬ顔の男だった。
神経質そうな銀縁眼鏡に整った顔立ちをしている。いつもの刑事と比べて、いかにも高そうなスーツを着ていた。
彼は自らの対面の椅子に西嶋を座らせ、穂村一樹と名乗った。どうも警察庁の人間らしい。
そして、穂村は、何故か西嶋への謝罪の言葉を口にした。
その理由について、こう述べる。
「……少し君の事件について調べさせてもらった。その結果、君の供述が事実と異なるであろうという結論にいたった訳だが、少々手間取ってしまった。その事に関する謝罪だ」
彼が何を言いたいのか解らずに「はあ……」と生返事をする西嶋。
穂村は更に話を先に進める。
「我が部署は、この世のモノではない存在が関わった案件への対応が仕事でね」
その言葉を耳にした西嶋は大きく目を見開く。
「その業務の中には、今回のような事件の
「辻褄……合わせ」
西嶋はその言葉を
「まだ正式に決まった訳ではないが、一連の事件の首謀者は宇野哲平であり、君は
「そんな……事が……」
許されていいのだろうか……その言葉を吐く前に穂村は淡々と言葉を発する。
「“宇野が生きていた”という部分の他は、ほとんど事実と変わらないだろう?」
「それは、まあ、そうですけど」
「まったくの無罪放免という訳にはいかないだろうが、
そして、穂村はあくまで淡々とした態度を崩さずに、自分の左眼を指差す。
「それから、君はシャルル・ボネ症候群を患っているようだが……」
「な……何ですか、それは」
「低視力になった際に、そこにはないはずの人間や動物などが視えてしまう病気の事だよ。簡単に説明すると、何らかの原因で視力が低下したとき、その眼がまだ健全に機能していると、脳が錯覚する事によって起こるらしい。視力の低下した網膜がスクリーンとなり、記憶や他の感覚の情報が像となって映り込むと考えていい。詰まる所、見えている像自体は、誤作動した脳が作り出した幻という訳だな」
「はあ……」と生返事をする西嶋。穂村の話は更に続く。
「この症状自体はさして珍しいものではない。視力が低い者には、それなりによく起こる。しかし、霊能者としての資質の高い者がシャルル・ボネ症候群を患った場合、通常の感覚ではとらえられない存在が本当に視えるようになってしまう事がある」
「それが、私……ですか?」
「その通り」と穂村は頷く。
「こちらで勝手に検査させてもらったところ、君の霊能力は本物だ」
そして、彼はいずまいを正して身を乗り出す。
「それで、君の裁判の結果がどうなるか、今からでは何とも言えないが、すべてが終わったら本格的に霊能者としての技能を学んでみないか?」
「私が霊能者に……」
西嶋は理解が追いつかず、ぽかんとするしかなかった。
「そして、我が部署の仕事を手伝って欲しいのだが、どうだろう? 君のような人材は、こちらとしても、喉から手が出るほど欲しいのだ」
もちろん、断るべくもない。
しかし、そんな自分の未来の事よりも、西嶋にはずっと気がかりだった事があった。
「あの……」
「何かな?」
「娘は……麻鈴は……今、どうしてます?」
自首するとき、麻鈴も一緒に警察へと連れていき、保護して欲しいと願い出た。それ以来、会っていない。
前に取り調べの担当刑事に聞いたところ憑依されていた間の不摂生が祟り、入院したと聞いたが、西嶋が知っているのはそこまでだった。
その娘の近況について、穂村が述べる。
「ああ。身請け先は、安全な施設に決まったから安心しても良い。それから、憑依されていたときの事はほとんど覚えていないらしい。今はそれなりに元気だそうだ」
「そう……ですか……」
西嶋は心の底から安堵の微笑みを浮かべた。
そのトンネルは山深い忘れ去られた土地にあった。
元々、近隣にかつて存在した村と外界を結ぶ数少ない道として、大正時代に掘られた場所だった。
全長はたったの五十メートルほど。
そのトンネルの中だった。
薄暗い闇が凝縮し、血塗れの落武者が実体化する。
血走った目を大きく見開き、数メートル先に浮かぶ奇怪なモノを見据える。刀を抜いて
すると、その奇怪なモノ――例の式神も無数の触手を落武者に目がけて伸ばす。
数は全部で九本。
落武者は足を止めて触手の攻撃をたくみにかわし、いなし、弾き飛ばして斬りつける。
しかし、五本目の触手が落武者の両足をすくう。
残り四本の触手が転倒した落武者へと襲いかかる。
落武者は黒い霧となって霧散する。
すると今度は、地面から影のような無数の腕がたくさん伸びて、式神の身体にまとわりつこうとする。
しかし、雷光のような青白い光が瞬いたかと思うと、その無数の腕が一気に消滅した。
どこからともなく、子供の笑い声と童歌が聞こえてくる。
……ざいごんしょーのいえーのー、もじこきおんば、しゃーつけてー、やまいってーうめたー……。
闇が凝縮し、式神の正面に斧を持った男が、背後の空間には再び落武者が姿を現した。
式神は、うじゅる、うじゅる……と、全身を脈動させた。その仕草はどこか嬉しそうに見えなくもなかった。
斧男が駆ける。落武者が刀を構えた。触手がうねる。
戦いはまだまだ終わらない。
(了)
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