【04】謎の絶不調
閨秀作家の横井圭子が同郷の
本来なら小浦谷が雪解けを迎えたあとの四月頃に挙式を行う予定であったが、圭子の父親が大病を煩い、その関係で早めたのだ。
そんな訳で、田舎の
このように彼女の結婚自体は、ここまで特に何の問題もなく幸せであった。
しかし、それは圭子が小浦谷で新婚生活を開始して、しばらく経ったあとの事。本来、結婚が予定されていた四月の半ばを過ぎた辺りであった。
彼女はときおり身の回りの周辺で、おかしな白い影を見るようになった。
ゆらゆらと揺らぐ煙のような人型であったが、
庭先の
何かの幻か白昼夢の類だろうか。圭子は始めは不気味に思いつつも気に止めないようにしていた。
しかし時を追う事にその白い影は、はっきりと見えるようになり、自分の元へ近づいているように思えた――
「……ここは、どこだ」
徳澤祐司の意識は覚醒し、彼は辺りを見渡した。
並んだ割れ窓の向こうに立ち並ぶ山毛欅や楢の木立。床に散らばる硝子片や落ち葉。
洋館の長い回廊だった。
「圭子の……家か……?」
しかし、彼の記憶にある光景よりも、ずいぶんと古びていて汚ならしい。
これではまるで廃屋ではないか……。
「何だ? これは……何かが……」
おかしい……。
その言葉は、口から外へと出る前に不安に押し潰され消えた。
記憶が曖昧だった。
ぼんやりとしていて、まるで過去に起こった出来事が濃い霧の彼方にでもあるかのような……。
首にさげていたはずの、
シャツの上着の胸ポケット、ズボンのポケット……どこにもない。
そこで徳澤の脳裏に遠藤の言葉が蘇る――
『この術を使ったときに、身に着けていた物も一緒に持っていけます』
具体的には、衣服や小物、片手で持てる程度の物らしい。
更に――
『ただ一度、身体から離れてしまった場合は術が解ける前にもう一度、身に着け直してください。そうしないと向こうに残されたままになってしまいます。因みに向こうに元々あった物を持ち帰る事は出来ません』
つまり言い換えると、この術を使えば、身に着ける物程度なら遠く離れた場所へ一瞬で運べるのだ。
徳澤は更に記憶を辿る――
『特にペンダントはなくさないように。戻れなくなる……という事はありません。しかし、あのペンダントはとても貴重な物なんで……』
「不味い。あと何分で術が途切れるのだ……?」
この術の効果時間は十五分程度らしい。
時間がくれば術は勝手に解けて
その前にペンダントを回収しなくては、二度と圭子の元へと飛べなくなる。
「な……何としても、探さなくては……どっ、どこだ……どこで落とした……」
狼狽えながら、闇雲に廊下の先へと進む。
すると、開けた空間への入り口が見えてくる。玄関ホールだ。
駆け込もうとする寸前で、徳澤は足を止める。
誰かがいる……。
そっと入り口の影に隠れ様子を
小柄な少女だ。
その格好は徳澤の目には奇妙に感じられた。
困惑した様子で、ぐるりと周囲を見渡している。
その胸元にぶらさがった物に気がつき徳澤は、はっとした。
……あの首飾りだ。
少女は玄関ホール奥にある階段の方を見あげ、そのまま動かなくなった。
徳澤は、そっと、その少女に近づいた。
「ちょっ……何なの!」
右腕を大きく振り乱し、東藤は振り返った。
すると、そこには……。
「その首飾り……返せ……」
見知らぬ男が凄まじい形相で彼女を睨みつけていた。
レトロな
何かに憤っている事は悟ったが、東藤には心当たりがなかったし、知った事ではなかった。
「何なのか知らないけど、今忙しいの。ごめんなさい」
早く桜井梨沙を追いかけなくてはならない。
男に背を向けようとした、そのときだった。
「待て。どこへ行くんだ!? その首飾りを置いていけ!」
男が右手を伸ばして掴み掛かろうとしてきた。
“置いていけ”と言われて素直に“はい解りました”などという訳にはいかない。
これは二千円を出して自分で買ったものだ。
東藤は桜井の追跡を邪魔された事もあり、男の理不尽な物言いについつい、かちん、ときてしまう。
「しつこい」
その右手を弾きあげて組みついた。素早く
「あれ……?」
足が重い……というより、全身がダルい。まるで病みあがりようだ。
「何これ……」
反対に男に押し倒されてしまう。地面に背中を打ちつけたあと男に組伏せられる。
「いいから、首飾りをとっと寄越せ!」
「放して! 邪魔をしないで!」
必死にもがくものの、やはり身体が重たい……。
きっと、これは夢だ。悪い夢なのだ……。
ならば、目覚めるのをこのまま待つか……そう思いかけた直後だった。
「暴れるな、糞が……」
東藤の右腕の拘束が解かれた。男の左手が首飾りに手を伸ばす。
そのとき、東藤の右手の指先に、こつりと固い何かが当たった。硝子片だ。
東藤はまったく
硝子片を摘まんで振りあげた。男は驚いて仰け反ろうとしたが、もう遅い。
絶叫が轟き、男は左目を押さえて天井を
東藤は膝を立て、起きあがりざまに真下から左フックをかます。
男が床に転がり、顔面を押さえて悶え始める。
東藤は立ちあがり、男の悲鳴と罵倒の言葉を背に階段を駆け昇る。やはり身体が重い。
「何なの? まるでプールの中にいるみたい」
いいトレーニングになる――などと、言っている場合ではない。
これが夢だろうが、何だろうが、桜井梨沙を追い駆けなくてはならないのだ。それが最優先事項であった。
そして階段を駆け登り、二階に着いたあとだった。
「あ、そうか……」
東藤は自らの不調の原因を悟った。
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