【06】良い子


 御堂静香が、その箱を初めて見たのは、息子がまだ幼い頃の事だった。

 幼少期の御堂寿康は、広告や雑誌などから人物の写真を切り抜くのが好きだった。

 そして、その切り抜きを両手で持ち、人形遊びの要領で遊んでいた。

 大抵は男の子らしく、切り抜き同士を戦わせているように静香の目には映った。

 そして、そんなペラペラの紙切れで、人形遊びをして楽しいのだろうかと、彼女はいつも疑問に思っていた。

 何度かアニメや特撮ヒーローの人形を買い与えようとした事もあった。

 しかし、息子は決まって「こっちの方がリアルで良い」といって首を縦には振らず、切り抜きで遊び続けていた。

 本音を言ってしまえば安あがりではあるし本人がいいといっているならば、それで構わないと静香は考え、特に気にしない事にした。

 そうして、月日は流れて寿康は七歳になった。

 その頃、すでに静香は夫と離婚しており、寿康と父の善一と共に黒猫坂の実家で暮らしていた。

 それは、曖昧な季候が続く、夏と秋の境目のある日の事だった。

 夕暮れ時、洗濯物を取り入れて家の中に入ろうとした。すると、庭の隅っこの生け垣の近くに、ぽつんと何かが置いてある。

 大学ノート程度の大きさの平たい箱。

 何だろう……静香は近寄って覗き込む。

 その蓋に記されたマジックの文字。


 “かんおけ”


 始めは意味が解らなかった。

 きっと、寿康のものだろう。

 几帳面でお片付けはちゃんとする息子であったが、他に気を取られた事があったのか、この日は忘れてしまったようだ。そんな風に推測した。

 静香はくすりと笑い、洗濯籠を地面に置くと箱を拾いあげる。

 持ちあげたとき、かさかさと紙の擦れる音がしたので、息子が集めている切り抜きでも入っているのだろう。そう思った。

 そして、何気なく……本当に何気なく……箱の蓋を開けた。

 その瞬間、彼女は凍りつく。

 中身は予想通り、たくさんの切り抜きが入っていた。

 しかし、そのほとんどが千切れたり、破れたりしたものばかりだった。

 中には目の部分や口の部分に穴が空いていたり、赤いマジックでぐしゃぐしゃと塗りつぶされたり線を引かれたりしたものもあった。

 首、手、足、大きな穴の空いた胴体……まるで、バラバラ死体の山のようだ。

 そう思った瞬間、静香は“かんおけ”の意味を悟る。

 棺桶……きっと、そうだ。これは……。

「何……これ……?」

 あまりにも禍々しい。

 たかが、紙であり、たかが、子供の遊びだ。

 しかし、そこからは、不吉な想像しかできなかった。

 これを本当に、あの優しいはずの息子がやったのだろうか。常軌を逸している。静香は困惑し、そのまま開かれた箱を見つめていた。

 すると……。


「お母さん」


 突然、声をかけられて静香は背筋を震わせる。

 気がつくと、すぐ近くに寿康が立っていた。

 無表情。

 血のような夕焼けに照らされた、そのときの彼の顔は、まるで別人のように思えた。

「トシちゃん……これは……? “かんおけ”って……」

 寿康が静香の手から箱を引ったくる。

「死んだ人の入れ物だよ」

 そっけなく言うと、蓋を閉めて母屋の方へと戻っていった。

 その背中を呆然と見つめながら、静香は思った。

 きっと、遊びの戦いで命を散らした切り抜きを弔ってやっていたのだ。

 別におかしい事ではない。

 息子は優しい子だ。

 優しい子なのだ。

 静香は心の中で必死に自分へと言い聞かせた――




「……息子は、とてもいい子なんです。ちゃんと、立ち直って、今は立派に……お母さんは全然、そういうの解らないけれど……立派に立ち直って……中学校の頃も息子は悪くなくって……被害者は息子で……いい子なんです……いい子、よいこぉ……」

「落ち着いてください」

 茅野が極めて冷静な声で静香の言葉をさえぎった。

 静香は、はっとして口をつぐむ。

誰も・・息子さんの話・・・・・・なんか・・・していませんよ・・・・・・・

「あぁ……うう……」

 言葉が出てこない。

 そこで桜井が追い討ちをするように言う。

「じゃあ、やっぱり、これ、息子さんのものなの?」

 静香はやっとの事で首を振った。どっと疲れが襲ってきて、こめかみがうずき出した。

 もう二人には帰ってもらおうか。しかし、ここで突然、帰れだなんて言い出したら怪しまれてしまう……と、そこまで考えて静香は疑問に思った。


 何を怪しまれる・・・・・・・というのだろうか・・・・・・・・


 やましい事など何もない。

 そう。

 息子はちょっと変わっているけれど、とてもいい子だ。優しい子なのだ。自慢の息子だ。恥ずべき事など何もない……。

 静香は深呼吸をする。

「ごめんなさい。少し取り乱して……」

 桜井と茅野は何とも言えない表情で顔を見合わせる。

「やっぱり、そのクッキーの箱……息子のものじゃありません。やっぱり、近所の子供の悪戯でしょう。やっぱり、今どきの子供は、そんな残酷で悪趣味な事ばかりに興味を持って……。やっぱり、親の教育が悪いんです。そうに決まってます」

「そうですか」

 と、茅野は素っ気なく言葉を返す。

 そして話を再開させる。

「それで、この箱の切り抜きの中に……」

「ちょっと……まだ話は続くんですか!?」

 静香は悲鳴に近い声をあげた。

「ええ。ここからが本題ですが、やめておきますか?」

 茅野が腰を浮かせる。

「何か、顔色も悪そうだし……」

 桜井も眉尻をさげて立ちあがる。

 すると静香は慌て出す。

「いえ。是非お話を最後まで聞きたいわ。お願い。だから、もう一度、お座りになって? ねっ、ねっ?」 

 桜井と茅野は無言で顔を見合わせて、再びソファーに腰を落ち着けた。

「ごめんなさい。ちょっと、疲れてしまって……お茶、入れ直してくるわ。お茶菓子もいるわよね? ちょっとだけ、休憩にしましょう」

 静香は空のティーカップをお盆に乗せて立ちあがる。キッチンの方へと向かった。

 そうして、三人分の紅茶を入れながら考える。


 ……この二人が何をどこまで・・・・・・知っているのか・・・・・・・確かめなくてはならない。


 もう聞きたくなかった。

 それでも、この話を最後まで聞かなければならない。

 静香はそっとラックから、くだものナイフを取り出して腰に挟み、上着を被せた。

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