【05】バラバラ


 最寄り駅からバスに乗り山間部へと向かう。土の匂い立ち込める長閑のどかな田園風景に囲まれたバス停で降車し、ひなびた集落を通り抜ける。

 すると、見えてくる。それは苔むしたブロック塀に挟まれたカーブの向こう。

 そこから続く直線の先に杉の木立の間を割って延びる登り坂が見える。黒猫坂である。

 そのたもとの左側に建つのが黒猫坂屋敷であった。

 周囲には田んぼと無花果いちじくの果物畑、ビニールハウスがあるばかりで人気はない。

 二人は桂の生け垣の間の門前に立って敷地内を覗き込む。

 門の間にはプラスチックの黄色いチェーンが渡されていた。

「……それで、このスポットが、あの・・トシヤンソンの実家っていうのは本当なの?」

「ネットによる情報だけれど、この地域の出身で間違いはないみたいね。二〇一〇年ぐらいまで彼はこの土地で暮らしていたそうよ。それから県庁所在地の団地へ引っ越したらしいわ」

「ふうん」

 と、何時ものさして興味がなさそうな相づちを打ったあと、桜井は正面の奥に見える土蔵へと視線を向けながら言う。

「どうする? まずは本丸を落とす?」

 茅野はデジタル一眼カメラの撮影準備を整えながら答える。

「いいえ。今回は逆さの幽霊の謎も興味深いけど、あの・・トシヤンソンがどんな幼少期を過ごしていたのか……その片鱗を感じてみたいわ。母屋から探索しましょう」

「りょうかーい。循もけっこうミーハーだねえ」

 桜井は悪戯っぽくそう言って黄色いチェーンをあっさりと乗り越える。茅野もあとに続いた。


 


 ボロボロになった波板のポーチの奥にある玄関の引き戸はあっさりと開いた。鍵はとうの昔に壊されていたらしい。

 二人は三和土たたきへと足を踏み入れる。

 かまちから続く廊下の向こうには薄墨を溶かしたような闇が漂っていた。

 床にはたくさんの足跡がついており、玄関から右側に見える和室の障子戸の紙はすべてなくなっていた。

 そして、三和土の左側の壁に一ヶ所だけ四角く切り取られたように色の違う部分があった。ポスターでも貼ってあったらしい。その中央に大きな穴が空いている。

 それらの光景をネックストラップで吊るしたスマホで撮影しながら、桜井は悦楽の笑みを浮かべた。

「いやあ……やっぱり、本格派の廃墟はアガるねえ」

「まずは手前の部屋から順に見ていきましょう」

「らじゃー」

 こうして黒猫坂屋敷の探索は始まった。




 茶箪笥、天板の抜けた座卓、落下した蛍光灯の傘……野添の言う通り、かなりの家具が残されていた。

 ご多分にもれず、床にはスナック菓子の袋や飲料のペットボトル、酒類の空き缶などが転がっている。

「普通だね」

「でも、それがいいわあ……」

「ほっこりするよね」

 ……などと、常人の感性では推し量れない感想を漏らしながら探索を続ける二人。

 そして、それは玄関から続いた廊下の突き当たりだった。

 そこには、枠だけになった格子戸があり、周囲には割れた磨り硝子が散乱していた。

 どうやら格子戸の向こうは台所らしい。その戸口の前だった。

 唐突に茅野が硝子片を一枚拾った。

「どったの?」

 桜井が怪訝けげんそうに首を傾げる。

 すると茅野はその硝子片をデジタル一眼カメラのライトで照らして言う。

「見て。梨沙さん」

「何?」

 硝子片をのぞき込む桜井。

「ここ。色が違う」

「うん。確かに……」

 黄色く変色した部分と、変色していない部分……その硝子片は中心を境にはっきりと色が違った。

「これが、どうかしたの?」

 桜井が問うも茅野はそれに答える事なく、おもむろにしゃがんでいくつかの硝子片を手に取り、つぶさに観察し始めた。

「何か解った?」

「まだ、何とも言えない」

 茅野は思案顔を浮かべたまま立ちあがる。


 ……そのあと二人は一階の部屋をすべて回ってから、キッチンの近くにあった階段で二階へと向かった。




「ここが、あの・・トシヤンソンの部屋か……」

 桜井は室内を見渡して感慨深げに言った。

 学習机、枠組みだけのパイプベット、空っぽの書架に箪笥、虫ピンのあとがたくさんついたコルクボード。

 足元の畳は砂にまみれて、ずいぶんと傷んでいた。

 茅野が箪笥の引き出しを下から開けてゆく。

「流石に何も残されていないわね」

 嘆息たんそくすると、そこで四つん這いで押し入れの下段に頭を突っ込んでいた桜井が声をあげた。

「循!」

「何かしら?」

「奥に衝立ついたてがある」

 下段の奥にブックエンドのような形のベニヤ板の衝立が立てられていた。

 ぱっと押し入れを覗いた程度では、そこには壁があるようにしか見えない。

「ん……裏側に何かあるよ」

 桜井がその衝立の裏側に隠されていたものを取り出した。

 それは、大学ノートぐらいの金属製の箱だった。うっすらと埃に被われている。

「クッキーの箱かな?」

「ちょっと、待って……」

 茅野がその箱を桜井から受け取り、埃を手で払う。

 すると、蓋の中央に書かれた“かんおけ”の文字が表れる。

「かんおけ……って、あの?」

「どうかしら?」

 茅野が箱を耳元に近づけて上下に揺する。カサカサと音がした。

「紙……かしら? 軽い。写真か、カードか、シール……兎も角、そんな感じのものね」

「取り合えず、開けて呪いがどっかんは怖いから……」

 桜井はそう言って、箱をぱしゃりとスマホで撮影し、その画像を添付したメッセージを九尾天全に送りつけた。もちろん、本文はない。

 すぐに既読がつき、返信があった。


 『クッキー? 急に何なの?』


 桜井は茅野と顔を見合わせる。

「だいじょうぶそうだね」

「開けてみましょう」

 茅野が箱を開けた――




 二〇二〇年五月二十七日、県営団地のリビングにて。

 茅野循が開けた箱の中には、たくさんの紙切れが入っていた。

 それは、雑誌や広告から切り抜かれたもので、すべて人間の写真だった。

 モデル、芸能人、老若男女。その数はおびただしい。

 異様だったのは、その多くが首と胴体、手や足が切り離されている事だった。

 まるで、大量のバラバラ死体のようだ。

 それを見た静香は絶句する。

 中には目の部分がくり貫かれたり、身体の何処かに大きな穴が空いているものもあった。

 赤いマジックで、ぐしゃぐしゃと線が引かれているものもある。

「……違うの」

 静香は自分の口から思わず言葉が漏れてしまった事に気がつき、口元に手を当てる。

 茅野がまるで野狐を追い詰める狩人のような眼差しで言った。

「何が違うんです?」

 静香は唇を戦慄わななかせ、遠い昔の記憶を辿る――

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