【07】モンスター
「それで、あのクッキーの箱の中に……何です?」
静香は再びリビングに戻ると話の続きを促した。
それを受けた茅野が淡々と語り出す。
「クッキーの箱の中に入っていた切り抜きのほとんどは、広告や雑誌などから切り抜かれたものでしたが、中にはそうじゃないものもありました」
「そうじゃないもの……?」
静香は首を傾げる。
そこで桜井が新しくキッチンの戸棚から持ってきた
さっきはあんなにお菓子を食べていたのに……静香は
腹が満たされたのか、それとも警戒されているのか……。
疑心暗鬼がどんどんと膨らんでゆく。
そんな彼女の心中など気にした様子もなく茅野が口を開いた。
「スナップ写真です」
「は?」
「学校の行事のときに撮影されたものでしょうか。その中にジャージの胸元に刺繍された学校名を読み取れるものがありました。“白谷西中学校” 息子さんの母校です」
「ああ……ああ」
静香は力なく頷いた。
「……息子さんの同級生のものと思われる切り抜きがいくつかありました」
「だっ……だから、いったい何だと言うのですか……」
「以前、息子さんは動画の中で、中学の頃に虐められ登校拒否になった……と語っておられました」
「そうよ。息子はとても優しくて、大人しい性格だったから、他所の家の悪い子たちに狙われやすかったの……」
「……ですが、インターネットの情報ですと、ずいぶんと違うらしいですね」
「ち、違う……あなたは何を言って……」
「
「なっ……何を」
そんなはずがない。息子はか弱い犠牲者だ。被害者なのだ。
「あなたまで、息子を貶めようというのですか!?」
静香は声を荒げる。
「……そうよ。きっと、そのクッキー缶も、虐めっ子の一味が息子を貶めようと置いたのよ。そうに決まっている……」
桜井と茅野が微妙な表情で顔を見合わせた。
そこで静香の脳裏に苦い記憶が甦る。
あのときもそうだった。
学校へ呼び出され、急に訳の解らない話をされて、可愛い息子の事を罵られ――
それは二〇〇八年の十二月上旬だった。
御堂寿康が学校へ行かなくなってしばらくしたある日の事だった。
御堂静香は息子の担任教師である山本に呼び出され学校へと向かった。
教務員用の玄関からスリッパに履き替え、そばにあった事務局の受付窓口で名乗る。すると、少しだけ待たされて山本がやってきた。
白髪混じりでくたびれたジャージを着たいかにも胡散臭い男。静香は彼にそんな印象を抱いた。
その山本に案内されて一階にあった進路指導室へと向かう。
すでに授業は終わっており、校内は閑散としていた。廊下の窓の外……中庭を挟んだ向こうの廊下で、何かの運動部が屋内練習にせいを出していた。
懐かしい古びたリノリウムの床は湿り気を帯び、いくつもの足跡が浮き出ている。
ともあれ、進路指導室へ着くと山本が退室し、また少しだけまたされた。
段取りが悪い。それだけでかなり苛ついたのを今でも覚えている。
そうして、硬く冷たいパイプ椅子に腰をかけていると、山本が教頭を連れてやってきた。
歳は山本とそう変わらなく見えたが、こちらはスーツを着て肥っていた。
二人と長机を挟んで向かい合う。
先に話を切り出したのは山本だった。
「それで、今日お呼びしましたのは、武島くんの一件についてでして……」
「武島……誰です? 息子の事でお話があるのではなかったのですか?」
静香はきょとんとした表情で首を傾げると、山本は苦笑しながら彼女に問うた。
「聞いていませんか? 息子さんから……」
「いえ。私が聞いた話では、息子は西沢という子から嫌がらせを受けて、それが嫌で学校へいけなくなったと……」
その静香の言葉を耳にした山本と教頭は、微妙な表情で顔を見合わせる。
そして、教頭の方が「どうやら、認識の
「ええ。そのようですね……」
と、山本は再び苦笑して語り始めた。
その話を聞いた静香は驚きのあまり絶句する。
……何でも、山本によれば先月の終わり頃に、
武島はゲームや漫画の好きな、目立たない大人しい生徒であった。真面目で、ふざけ半分で窓から飛び降りたりするような生徒ではない。
山本は彼の行動を
武島が何かの悩みを抱えていて自殺しようとしたのでは……と、山本は考えたらしい。
しかし、返ってきた答えは「目立ちたくて、一人でふざけていただけ」の一点張りだった。
どうにも腑に落ちなかったが本人がそう言い張る以上、自分にできる事はない……と、山本は諦める。
そのまま、この騒動は終息するかに思われた矢先の事だった。
クラス委員の
彼によれば武島に飛び降りろと命じたのは御堂寿康だというのだ。
詳しく話を聞いてみると、西沢も御堂が武島に命じたところを見聞きした訳ではないらしい。
しかし、彼によれば、以前より御堂は武島を虐めていたのだという。そのやり口は巧妙でクラスでも一部の者しか知らないらしい。
そして、そういった者たちは、御堂と関わり合いになるのを怖れて口をつぐんでいたとの事だった。
この西沢の告発を切っ掛けにして、何人かの生徒が次々と、彼と同様の証言をし始めた。
「……と、言う訳でして、こちらとしては寿康くんにも事情を聞きたいと」
と、山本が言いかけた瞬間だった。
がたん、と大きな音を立てて静香は腰を浮かせる。そして、声を張りあげた。
「そんな訳がないでしょうッ! うちの息子がッ! そんな恐ろしい……」
山本と教頭は静香を見あげたまま、ぽかん、と口を開けた。
「わわわ私の息子がそんな事……ぜぜぜ絶対にあああありえません……ありえない……ええ、ありえないわッ!!」
山本は中腰になり、両手で落ち着くようにジェスチャーをしながら苦笑する。
「待ってください、お母さん。ですから、私どもとしましては、まず事実確認をいたしまして、双方の言い分をですね……そのために、学校を休んでいる寿康くんとお話をさせていただきたいと……」
「そんな必要はありませんッ! いいですか!? その西沢とかいう生徒の仕業に違いありません。その西沢とかいう生徒に聞けば解ります。その西沢とかいう生徒を今すぐここに連れてきてくださいッ! そのッ! 西沢をッ! 早くッ!」
「いやですから、私どもとしましては、学校を休んでいる寿康くんに、お話を……」
「あなたたちは、息子ではなく、加害者を庇おうというんですね!? そうですか……そうですか……そうですか……これが今の教育現場ですか……」
「ちょっと、お母さん、落ち着いて……」
たじろぐ山本。教頭はまだ凍りついている。
「ああ、もういいです」
ふと、急に人が変わったかのように真顔になる静香。
そのまま、ふらふらと進路指導室の出口へと向かう。
「待ってください!」
その背中を山本が呼び止める。
すると、静香は戸に右手を伸ばしたまま足を止める。
「もう、こんな学校に息子を通わせるつもりはありませんから……」
そう言い残して、彼女は進路指導室をあとにした。
けっきょく、この一件は武島剛士が証言を
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