【05】霊感少年


 幽霊を見た次の日だった。戸田楪は何時ものように母親と徒歩でスーパーへと向かった。

 店内に入り消毒液で手を濡らしたあと、カートを引いた母と別れて独りで店内をうろつく。

 この頃には、昨日見た幽霊は父親の言う通り夢か何かだと、楪は考えるようになっていた。

 きっと、あれは怖がりな自分の心から生まれた嘘の存在だったのだ……そういう風に考えると気が楽になり、胸中にくすぶっていた恐怖の記憶は彼方へと遠退いていった。

 ともあれ、楪はお菓子コーナーへと向かった。棚に向かい、好きなお菓子の期間限定の新商品が出ていたのを見つけ、目を輝かせる。

 そのパッケージを手に取った直後だった。

「ねえ、君……」

 最初は自分が呼ばれていると思わず、反応がワンテンポ遅れた。

 声のした方を見ると男が立っていた。薄い茶髪、水色のパーカーを着ている。

 不意に黒いマスクの上の双眸そうぼうが、にっこりと弓なりにしなった。

「何ですか……?」

 楪が恐る恐る尋ねると、男は笑顔を崩さぬまま声を発した。

「君、取り憑かれてるね」

「え……」

 どきり、と心臓がはねあがった。

 楪が言葉を失っていると、男はまくしたて始める。

「……髪は長くて、ちょっとウェーブが掛かっていて、白いブラウス……ああ、フリルがついてるやつ。そして、腰にリボンがついた黒いロングスカート」

 最初は男が何を言っているのかさっぱり解らなかったが、楪はその髪型と服装が昨夜の幽霊のものである事に気がついて驚愕きょうがくする。

「な、何で、知ってるの……?」

 楪が尋ねると、彼はにっこりと再び両目をしならせ、

「お兄さんは霊感があるんだ。だから、視えるんだよ。幽霊が」

 そう言って、楪の肩の向こうを指差した。

「ほら。そこにいる」

 楪は咄嗟とっさに振り返った。

 しかし、そんな女はどこにもいない。

 お菓子の棚に挟まれた狭い通路。その奥には間隔を空けてレジへと並ぶ人々の列があるだけだった。

 男が耳元でささやく。

「君の事を怨めしそうに睨んでいる。怒っているみたいだよ? だから……」

 背後から男が楪の肩に手を置いた。その瞬間、彼女の頭皮からどっと汗が噴き出す。

「もう、隣の家は覗かない方がいい……今度は連れていかれちゃう。あっちの世界へ・・・・・・・

「ひぃっ……」

 楪は背筋を震わせて、かすれた悲鳴をあげた。すると前方からカートを押した母がやってくる。

「ユズちゃん、こんなところにいたのね。お菓子はこの前、買ったのがまだあるでしょ。行くわよ?」

 男の手が楪の肩からすっと離れる。

「どうしたの? 青い顔をして。具合でも悪いの?」

「何でもないよ。ママ……」

 そう言って、ぎこちなく笑い、楪は後ろを振り向いた。

 すると、既に男の姿はどこにも見当たらなかった。




「その男はいくつぐらいだったのかしら?」

 茅野の質問に、少し考え込んでから楪は口を開いた。

『たぶん、お姉ちゃんと同じくらい』

「私かしら?」

 自らを指を差す茅野。楪が頷く。

 桜井は腕組みをして、難しそうな顔で唸る。

『うーん。九尾センセのお仲間かなあ?』

「どうかしら? まだ何とも言えないけれど……」

 と、茅野も思案顔を浮かべる。

 そして、不安そうに見守る楪に向かって申し出る。

「その隣の家なのだけれど、今、私たちに見せてくれないかしら? 貴女が幽霊を見た窓から」

 楪は『うえっ』と言って、嫌そうな顔をする。


 “もう、隣の家は覗かない方がいい……今度は連れていかれちゃう。あっちの世界へ・・・・・・・


 謎の霊感少年の言葉を思い出したのだろう。

『だいじょうぶ、だいじょうぶ』

 桜井が全然大丈夫そうじゃない気楽な感じで言った。

 茅野の方は優しげな声音で提案する。

「……それなら、戸田先生に行ってもらいましょう」

『俺かぁ?』と戸田の声がした。

『可愛い娘さんのために、よいとこ見せなきゃ』

 と、桜井が煽る。すると、がさごそと音がして、しばらくすると戸田美月と楪の映っていた画面が動く。

 どうやら、カメラとノートパソコンを持って移動しているらしい。

 リビングの隣室へと通じる真っ白い引き戸の前で『それじゃ、入るぞ?』と戸田の声がした。楪に部屋へ立ち入る許可を取ったのだろう。どうやら、そこが彼女の部屋らしい。

 引き戸を戸田の毛むくじゃらな手が開けた。すると、その向こうにパステルカラーの可愛らしい部屋が現れる。

 画面はそのベッドへと近づいてゆく。

 そして、戸田はそのすぐ隣にある壁のピンク色のカーテンを開け放った。

『ほら。どうだ?』

 戸田の声がした。

 画面にはカーテンの開かれた窓と、その向こうの竹垣、奥には隣の家の掃き出し窓が見えた。

 楪の話にあった通り分厚いベージュのカーテンに閉ざされ、家の中はうかがえない。左手の方に少しだけ裏庭が見える。

 そこで、茅野がふと何かに気がついた様子で言う。

「先生。裏庭の方をもう少し映せませんか?」

『んー……ああ、ちょっと、待って』

 戸田の声がして、画面が左手へと振れた。すると裏庭と、その裏庭に佇む柿の木、そして裏手にある田んぼの用水路が少しだけ見えた。

 それを見た瞬間、茅野は顎に指を当てて考え込む。

『どしたの? 循』

 と、尋ねると、茅野は裏庭の映った画面を見つめながら言った。

「……この裏庭を・・・・・どこかで見た・・・・・・事があるわ・・・・・

『えっ!?』

 その相方の意外な告白に、桜井は目を見開いて驚く。

『どういう事なんだ?』

 戸田の怪訝けげんそうな声。

 茅野は「解らない」と言ったきり、黙り込んでしまった。




 再び戸田家のリビングに戻り、くだんの家の場所を教えてもらう。

 更に戸田美月より、前の住人がわずか四ヶ月程度で退居したという、興味深い情報を得た。

 そうして話が一区切りついたところで、この日のリモート心霊相談は、お開きとなった。

「では、取り合えず、今日はこの辺りで……何か解り次第、またこちらからご連絡します」

 茅野がそう言うと、画面の端に映り込んだ戸田が『ああ。よろしく頼む』と言った。

 すると、楪が控え目に声をあげる。

『あの……ちょっと』

「何か質問かしら?」

 茅野が聞き返すと、楪は少しだけ逡巡しゅんじゅんしたのちに口を開いた。

『あの、もう一度、あの幽霊が出たら、どうすれば……』

『そんなの簡単だよ』

 この質問に答えたのは桜井であった。

 右手の人差し指を一本立てると、極めて真面目な表情で言う。


『幽霊は、大抵、腹パンでなんとかなる』

 

『は、腹パン……?』

『うん。そう。腹パン』

『腹パン……』

『でもたまに効かないやつもいるから気をつけて』

『そっ、そうなんだ……』

 楪は首を捻りながら苦笑した。

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