【07】恐怖のギャラリー


 カーナビの機械じみた音声がまどろむ意識の遠くから聞こえた。

「もうすぐで、着くぞ」

 その穂村の声で、九尾天全は目を覚ます。

 銀のレクサスは大きな左曲がりの坂道を登る最中だった。

 ガードレールの向こうに立ち並ぶ山林の木々が、まるで両手を広げた怪物のようにサーチライトの中に浮かびあがる。

 どうやら、秩父の峠道らしい。九尾は寝ぼけまなこをこすりあげた。

 やがて、路面は緩やかな下り坂となって左側にガードレールの切れ目が見えてくる。

 そこから延びた小道は、鬱蒼うっそうと生い茂る森の奥へと続いていた。

 穂村はウィンカーを出すと、その小道へとハンドルを切った。

 ガタガタと四輪が砂利を踏み締める音と振動に身を任せ、木々の合間を進むとすぐに開けた土地へと到着する。

 そこには、破風窓はふまどが並ぶ古びた洋館の廃墟があった。

 外壁は茶色い煉瓦で、いたるところに蔦が這っていた。

 元は英国風だったと思われる庭先は見る影もなく荒れ果てていた。花壇も柵もガーデンアーチも生い茂る庭草の群に埋没している。

 穂村が手に持った懐中電灯で、その光景を照らしあげる。

「どうだ? 何か感じるか?」

 九尾は神妙な表情で頷き、その寂然じゃくねんとした風景を彼岸の目で見通す――。

「間違いないわ。この館の地下室に、清田冬美さんはいる……」

「そうか。ならば決まりだ。とっとと終わらそう」

 穂村はそう言って、車のトランクを開けると大きなバールを取り出した。

 それから、館の入り口の扉に打ちつけてある板をはがし始める。

 その作業のかたわら、穂村一樹が九尾に問うた。

「……で、その地下室の女というのは、一九九一年に死んだ家政婦の霊なのか?」

 九尾は首を横に振る。

「まだ何とも言えないけれど、多分違う……わたしの予想が合っているなら、きっと、かなり異質な存在だと思う」

「そうか」と、それ以上は聞かずにバールを握る手に力を込める穂村。

 その足元に錆びついた釘が落ちて、金属音を立てた。

 時刻は一時二十分だった。





 四月二十七日一時三十四分。


「……ゼロ!」


 掛け声と共に茅野は赤い地下室のURLを踏んだ。

 すると、しばらくして、茅野のスマホ画面に赤い壁紙のトップページが表示された。

 そこには黒い武骨な明朝体で『赤い地下室』と記されている。

「やったわ! 梨沙さん!」

 まるで、宝くじにでも当たったかのようにはしゃぐ茅野。そして、ウェブカメラにスマホを掲げ、桜井にスマホ画面を見せびらかす。

 サイトのコンテンツは、アクセスカウンターと『Galleryギャラリー』のみ。広告も他のサイトへのリンクもない。

「さっそく、スクショを……」

 パシャ……パシャ……と、撮影ボタンを押しまくる茅野。

 そこで、桜井が慌てて突っ込む。

『循、循。顔、顔! 笑ってるよ?』

「ああ」

 はっとする茅野。

『もっと、怖そうに!』

 桜井の指摘を受けて渋面を作り、

「怖いわー。このサイト怖いわー」

 棒読みだった。しかも、口元が笑ってしまっている。

『駄目だ。こりゃ……』

 と、呆れる桜井。しかし、茅野は気にした様子もなく『Gallery』をクリックする。

 すると、画面に不気味な女の絵が表示される。

「これ、油絵かしら……?」

 まるで、エドヴァルド・ムンクの作品を思い起こさせるかのような不安定な色彩で画かれた女の絵。それがいくつも並んでいる。

 蛇のようにうねった黒髪に目元は覆い隠されていたが、何本もの乱杭歯が飛び出た獣じみた口元を見るに、女の面貌めんぼうがまともではない事は一目で知れた。

 鼻は輪郭がなく扁平へんぺいで爬虫類のような鼻腔が二つ並んでいる。

 襤褸布ぼろきれのような赤いワンピース姿で、鋭利な爪が指先にはあった。

 茅野はウェブカメラに向かってスマホ画面を掲げる。

『これが、地下室の……女? ずいぶんとパンチが効いているけど』

 桜井は胡乱うろんげに眉をひそめた。

 茅野はスマホの画面に指を滑らせる。

「……全部、この女の絵ね。凄い。百枚以上あるかも」

『でも、何なんだろうね。これ……。何て言うか、志熊さんの小説とか、あのおもしろ人形を見たときみたいな、ざわざわ感はするね』

 志熊さんの小説とは、四次元屋敷で発見した“Al・AZIFアル・アジフ” 

 そして、おもしろ人形とは、伝説的な呪物である“ヨハン・ザゼツキの少女人形”の事だ。

「……確かにモチーフに対する偏執的な思いがひしひしと伝わってくるわね」

『うん……何か見ちゃいけないものを見ちゃった的な……キモキモオーラが出ちゃってるよ』

 そして、茅野の指は『Gallery』にアップされていた最後の絵に辿り着く。

「梨沙さん、これ……」

 茅野はスマホの画面を桜井に見せる。

 それは、これまでの不気味な女を描いたものではなかった。

 血染めのような赤い壁。窓や扉はない。その壁の前に古めかしい木製の椅子に座った七人の人間が並んでいる。

 年齢も性別もバラバラだった。

 右端から、ジャージを着た肥った男。

 主婦らしき四十代ぐらいの女性。

 パジャマ姿の中学生くらいの女子。

 部屋着を姿の高校生ぐらいの男子。

 ピンクのスウェットの女子……その胸元には有名テーマパークのキャラクターがプリントされている。

 そして、左端の二人。

 どう見ても・・・・・その人物は・・・・・桜井梨沙と茅野循・・・・・・・・であった・・・・

 何故か二人とも、たった今着ている服装と同じ格好で描かれている。

『循……』

「梨沙さん……」

 二人は画面越しに見つめ合い――。


 同時に声をあげて爆笑した。

『……やめて。怖いわー。怖いって』

 言葉とは裏腹に桜井は膝をばんばん叩きながらゲラゲラ笑っている。

「必死に怖がらせようとしているのが伝わってきて、むしろ、いとおしいわね」

 茅野も堪えきれないといった様子で、スマホの画面を見つめながら笑う。

「……でも、駄目ね。これじゃあ」

『うん。やっぱり、あたしたちのところに地下室の女はきてくれないよ』

 桜井の言葉に頷いて、茅野は、ふわっと欠伸あくびをして両手を突きあげて伸びる。

「一段落ついたし、お風呂に入ってくるわ」

『うん。あたしも』

 茅野がヘッドセットを取って座卓の上に置いた。ソファーから腰を浮かせるとリビングをあとにする。

 そして、桜井も同じように画面から姿を消した。




 そのとき、キッチンの飾り棚の影に隠れていた加納は、唐突に響き渡った笑い声に、ぞっとした表情で首を傾げていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る