【06】all night long


 四月二十六日二十二時過ぎ。

 九尾の元に再び穂村一樹からの電話があった。

『……あったぞ。多分、これが正解だ』

 開口一番にそう言い放った穂村は、一時三十四分にだけ閲覧する事が出来る赤い地下室というサイトの都市伝説を九尾に聞かせた。

『そのサイトを開いた者が怖がりだった場合、地下室の女がやってくるらしい』

 地下室の女。

 それが今回の相手だと九尾は確信する。

『それで、元々は、その赤い地下室は横瀬太一よこせたいちというアーティストが管理していたサイトだった。この横瀬の実家兼アトリエが秩父の郊外にある』

「その横瀬という人は……?」

『ああ。二〇一三年十月三十一日に自宅で首を吊っている。サイトが閉鎖されたのは、その直前らしい。その秩父の彼の自宅では、他にも三人死んでいる。地元では有名な心霊スポットらしい』

「三人も……」

『一九九一年に家政婦が事故で、二〇〇三年に横瀬の母親が、そして、その翌年に父親が病気で死んでいる。特に不審な点は見当たらない……ただ』

「ただ?」

『最初に死んだ家政婦は地下室の階段から足を滑らせたのだが、その彼女の身につけていた腕時計が壊れて止まっていた。それにより細かい死亡推定時刻が判明している』

「何時?」

一時三十四分・・・・・・

 もう間違いないだろう。清田冬美は、その地下室の女に連れていかれてしまったのだ。

『……それで、どうする? 今からなら動けるが朝まで待つか?』

「うーん……」

 九尾は思案する。

 地下室の女の被害が発生する条件は以下の通り――


 “一時三十四分ちょうどに赤い地下室のURLを踏んだ上で恐怖を感じる事”


 この赤い地下室の都市伝説の知名度にもよるが、現状ではそこまで頻繁ひんぱんに起こり得ないように思える。

 更に九尾の見立てでは地下室の女は非常に強力だが、恐らくはこの条件下でしか力を発揮する事ができない。

 そして清田冬美ら被害者は失踪から時間が立ちすぎており、その生存は絶望的である。

 急ぐ必要はないように思われるが……。

「いきましょう。万が一、今日の一時三十四分に新たな犠牲者が出るかもしれない」

 これから準備を整えて出発すれば、ぎりぎり時間前に秩父へと着けるはずである。

『解った。今から迎えに行く』

 こうして九尾天全は、穂村一樹と共に秩父へと向かう事になった。




「クソっ……ガキはすぐに寝ろよ」

 加納憲一郎は苛立っていた。

 あの少女がリモート通話を終えて就寝してから動き出すと決めたものの、一向にその時はこない。

 階段を降りて何度かリビングの方をのぞき見るも、半透明のアクリル扉の向こうからは明かりが漏れたままだった。

 まだビデオ会議アプリを繋いだままなのかは解らないが、それを確認するために再びキッチン側から回り込んで様子をうかがう気にはなれなかった。

 もし見つかってしまい、なおかつ、通話中であったなら最悪である。確実に警察へと通報がゆく事だろう。

 加納は床に寝そべりながらナイトスタンドの明かりでサッカー雑誌を読み漁る。

 お陰でそこまで興味のなかった世界のサッカー事情にたいへん詳しくなってしまっていた。

「……ここで、ヘタを打ったら今までの苦労が水の泡だ」

 己に言い聞かせるように呟く。

 何か自分がとてつもなく深い奈落へと、ゆっくり転げ落ちていっているような気がしたが、加納は気を取り直してじっと好機を窺う。


 ――こうして、時間は刻々と過ぎていった。




 ついに日付を跨いで、四月二十七日一時二十分頃。

『そろそろ時間だけど、今の心境は?』

「ベストを尽くすわ」

 ……などと、試合前のアスリートとインタビュアーのようなやり取りをする桜井と茅野だった。

「胸が高鳴るわね」

 もちろん、恐怖からではない。

『いいなあ……』

 羨ましそうに眉をハの字にする桜井。そこで茅野が腰を浮かす。

「ちょっと、珈琲を入れてくるわ」

『いってらー』

 桜井にリモート越しで見送られ、茅野はキッチンへと向かう。コーヒーメイカーをセットし始めた。

 すると……。

「あら……?」

 流し台のラックに差してあった包丁がない事に気がつく。

 茅野は怪訝けげんそうにラックを見つめながら、コーヒーメイカーに水をそそいだ。




 その頃、未だ二階に潜伏中の加納憲一郎は、耐えがたい苛立ちに襲われていた。

「クソっ……」

 空腹が我慢の限界に達したために、偵察がてらキッチンへと向かい、何かの食料を盗ってくる事にした。

 そろり……そろりと、部屋を抜け出して一階へ向かう。

 階段を降りて正面に延びた廊下の先へと進む。

 そして、裏口の隣のキッチンの戸をゆっくりと開けた。

 その瞬間、加納は思わず凍りつく。

 ちょうど、湯気立つ珈琲カップを持った茅野循がリビングの方へ消えるところだった。

 加納は彼女の気配が遠ざかるのをじっと待つ。

 それから音を立てないように戸を開けてキッチンへと四つん這いで侵入する。

 そこで、リビングの方から「そろそろいくわよ」と声がした。

 加納は、こっそりと飾り棚から顔を覗かせる。

 すると、茅野がウェブカメラに向けてスマホを掲げている。


 ……何をやっているんだ。


 加納はいぶかしげに眉をひそめて、その様子を見守る。

 やがて、「三十……二十九……二十八」などと、カウントダウンを始める。

 後ろ姿で顔は見えなかったが、とても楽しそうに思えた。

 まるで、初めてのデートの待ち合わせに出かけるかのような……。 

 何かのオンラインのイベントでもあるのだろうか。あまりそういった事に詳しくない加納にはよく解らなかった。

 そうこうするうちに、カウントダウンがついにゼロになった。

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