【05】スニーキングミッション


 ごはんを食べ終わり食器や調理器具を洗って片付け、茅野循はリビングのノートパソコンの前に座ると、たっぷりと甘くした珈琲を楽しんだ。

 そして二十時頃にビデオ会議アプリにログインする。

 桜井も食事を済ませて準備万端といった様子で自室のノートパソコンの前に座っている。

 まず茅野はスマホにURLを入力し赤い地下室へとログインしようとする。

 しかし、スマホ画面に表示されたのは……。


 “404 not found”


 その結果をウェブカメラに掲げる。

 すると、パソコン画面の向こうの桜井が感心した様子で首を縦に揺らした。

『おお……本当だ。これが、一時三十四分には、例のサイトに繋がるんだね?』

「ええ。存在していないサイトにね」

『ところで、地下室の女が現れたらどうするの?』

 そこで茅野はスタンロッドを手に取り、ばちり、と青白い火花を散らした。

「こいつを試してみるわ」

『おお……新兵器だね』

 と、拍手する桜井。

『……でもさあ』

「何かしら?」

『地下室の女って、怖がりの人のところじゃないとこないんだよね?』

「そうね」

『じゃあ、駄目じゃん。循、怖がらないし』

 そこで「はっ」とした顔をする茅野。

「梨沙さん、天才ね……」

『自分で気がつこうよ』と苦笑する桜井。

「そこは“饅頭怖まんじゅうこわい”の要領で上手くやってみるわ」

『いけるかなあ……』

 いぶかしげな表情で首を傾げる桜井。

 そして内心、今日の茅野循はいつもより切れ味がないな……と不安になる。

 やはり入院中の実弟が気がかりで本調子ではないようだ。

「取り合えず、地下室の女が出現しなくても、赤い地下室のスクショにはチャレンジしてみたいわ」

『そだね』

 そこで、茅野が「あ……」と声をあげる。

『どしたの?』

「そういえば、裏口の扉の鍵が壊れているんだったわ。ほら。警察に勾留中だった強盗傷害事件の容疑者が脱走したなんて話もあるし」

『物騒だね』

 と、眉をひそめる桜井。

『……やっぱり、あたしも行こうか? そっち』

 その申し出に対し、茅野はカメラに向かって右手をかざす。

「駄目よ。ソーシャルディスタンスよ」

『本当に、そういうところこだわるよね』

 桜井は呆れ顔で笑う。

 このあと、ビデオ会議アプリを繋ぎっぱなしにし、雑談をしたり、各々好きな事をしたりしながら、まったりとした時間を過ごした。




 階段を降りると三方向に廊下が延びている。

 その中で右手へと延びた廊下の突き当たりには半透明のアクリル扉があった。リビングの入り口である。その向こうからは明かりが漏れており、人の気配がする。

 加納はまず、そのリビングとは反対の玄関を目指した。目的は靴である。

 玄関に並んだ靴を見れば、この家には何人の者が暮らしているのか解ると考えたからだ。

 加納は洋間の扉や収納棚の前を通り過ぎ、三和土たたきを見おろす。

 男物と女物が数足。

 加納は屈んで靴を持ちあげて一つ一つ靴裏を確認する。

 靴の磨り減り具合の癖を確認しようというのだ。

 結果、摩り減り具合の癖は男物と女物が各一種類ずつ。

 そこから、この家に住んでいるのは、例の少女と病院へ運ばれた少年だけであると当たりをつける。

 そして、今この家には、あの少女が独りきりしかいないのだと気がつく。

 加納の表情が嫌らしく歪んだ。

 少女を捕らえて、久々のお楽しみタイム……などと、よからぬ妄想を巡らせる。

 それから再び、いったん階段の前に戻り茅野邸の左翼方向へと延びた廊下の先へと向かった。

 こちらの廊下には、左側の壁にトイレや洗面所や浴室が列び、突き当たりには例の鍵が壊れた裏口があった。

 その右側にキッチンへ通じる引き戸がある。ここから回り込んでリビングの少女の不意を打つ。

 そっと、身を屈めて音を立てないように戸を開ける。そのまま床に手を突いて、キッチンへと侵入した。

 リビングの方からは誰かと会話しているような声が聞こえたが、相手の声は聞こえない。電話か流行りのビデオ会議アプリだろうと推測する。

 その通話が終了したときが仕掛けどきだ……加納はほくそ笑みながら、流し台のラックに立てかけてあった包丁に手を伸ばし、柄を握りしめる。

 そのまま、ゆっくりと……ゆっくりと……歩を進めた。

 そして、ダイニングキッチンとリビングの間……固定電話や観葉植物の鉢、マガジンラックなどが置かれた仕切り棚から、そっと顔を出して様子をうかがった。

 すると、その瞬間だった。

 ばちりと青白い火花が散る。

 こちらに背を向けてソファーに座る少女が、右手に持った物々しいスタンロッドをウェブカメラに掲げてきらめかせた。


「こいつを試すわ」


 思わず声をあげそうになったが、咄嗟とっさに頭を引っ込める。


 ……何だ、あの厳つい得物は……いったい何をするつもりなのだ……“試す”って何をだろう……。


 加納の脳裏に、様々な疑問がぐるぐると渦巻く。

 それから少女は、画面の向こうの相手と脱走犯――つまり加納自身の事について話すと、ビデオ会議アプリを繋ぎっぱなしにしたままソファーにねころがり、リモコンでテレビをつけるとスマホをいじり始めた。

 その様子を覗き見た加納は歯噛みする。

 このリモート通話が終わらない限り、仕掛ける事ができない。通話相手に気がつかれてしまう。

 安全な潜伏拠点を作るためには、ここはまだ動くときではない。少女が就寝するまで我慢すべきだ。

 そう判断した加納は再び来た道を戻り、二階の茅野薫の部屋へと戻った。

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