【03】下男


 加納憲一郎は腹痛を訴えて、搬送された先の病院から抜け出したあと、丸一日ほど人家の少ない田園地帯や郊外の山林をさ迷い歩き、藤見市へとやってきた。

 そんな彼が茅野邸に侵入を果たしたのは薫が、救急車で運ばれたあとだった。

 姉らしき少女につき添われ、少年が担架に乗せられて運び出される一部始終を、加納は裏庭の奥にある竹藪たけやぶからリビングの掃き出し窓越しにじっと見ていたのだ。

 そして、救急車の音が遠ざかったあと、どうも家の中に人気ひとけがなさそうであると気がつき茅野邸へと侵入した。

 もちろん、鍵の壊れた裏口からである。

 まずキッチンで食料をあさり、ツナ缶とパックごはんを手にいれた加納は、家の中を探索して隠れ場所を探した。

 茅野薫の部屋を選んだのは、窓から玄関前が見渡せるため、人の出入りが把握しやすかったからだ。

 もっとも、そのお陰で弟の着替えなどを取りにきた茅野循と鉢合わせしそうになったのだが……。

 ともあれ加納は、とっさにベッドの下に潜んでやり過ごした。

 幸いにも彼女は病気の弟の事に気を取られており、侵入者の存在に気がつく事はなかった。着替えなどを持ってすぐに部屋を出ていってしまう。

 加納はというとベッドの下に潜り込んだまま、少し身体を休めようとしたところ、まんまと食後の眠気に意識をさらわれてしまったという訳だった。

 そんな彼が、今もっとも欲しいものは落ち着ける潜伏場所であった。

 忌々しいコロナ禍のお陰で街に人出は少なく、余所者はいつも以上に目立ってしまう。

 このまま遠くに逃げるより、長期間潜伏する場所を探した方が得策であると、加納は考えた。

 着替えを取りにきた茅野に対して、事を荒立てようとせずに隠れるという選択を取ったのはこのためだ。

 まずは、家族の人数を把握し、全員が帰宅して寝ているところを一気に制圧する事にした。

 もっとも、この家には現在、茅野循と茅野薫の二人しか住んでいないのだが。

 そんな事は知るよしもない加納は、住人全員を監禁し暴力で支配して奴隷化しようと目論んでいた。

 コロナ禍のお陰で、人と人の行き来や接触機会は極端に減っている。

 そのお陰で、この家に異変が起こったとしても、気がつく者は少ないだろう。

 そして……。

「あの女、いい身体、してやがったな……」

 加納はベッドの裏側を見つめながら、茅野循の顔立ちと身体つきを思い出し、よこしまな笑みに口元を歪めた。




 四月二十六日十九時頃。

 都内某所の占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン

 九尾天全は穂村から送られてきた捜査資料を丹念に読み込み、再びタロットカードとダウジングを駆使して霊視する。

 すると、清田冬美の居場所を埼玉県秩父市まで絞り込む事ができた。

 しかし、そこから先は何か・・に阻害され、どうしても突き止める事が出来なかった。何度やっても結果は同じであった。

「……それにしても、いったい冬美さんは何に囚われてしまったのかしら?」

 少し仮眠を取って集中力を回復させたあと、チリトマトヌードルをすすりながら秩父市の地図を眺める。

 そうしていると穂村一樹から着信があった。

 電話ボタンを押して、スピーカーにする。

「はい」

『何か解ったか?』

「失踪者は秩父にいるっていうのは突き止めたけど駄目ね」

『君の力を持ってしてもか』

「ええ。ただ、この怪異は非常に強力だけど限定的な領域・・・・・・でしか力を発揮できないタイプよ。冬美さんは、運悪くその領域に触れてしまった」

『彼女は生きているのか?』

「いいえ。彼女が囚われてから時間が経ちすぎている。たぶん、もう……」

『そうか……』

 ふう、と煙草の煙を吐き出す音が聞こえた。

『こっちは、過去に類似の失踪事件がないか記録を当たってみた』

「……で、どうだったの?」

『ああ。あったぞ。二〇一七年、大阪だ』

「大阪……? 清田冬美の高円寺とはずいぶんと離れているけど……」

 九尾は怪訝けげんな表情で首を傾げる。

『消えたのは高校二年の少年で、やはり自室のパソコンの電源がつけっぱなしになっており、画面は404でフリーズしていた』

「404……」

 大阪と東京。距離が離れており、両者の自室のパソコンの状況が同じ……。

 ここで、ようやく二人は、今回の相手がインターネットを介して力を振るうタイプの怪異ではないかという疑いを抱いた。

『取り合えず、秩父に関連したネット怪談を漁ってみるか』

「ええ」

『また、連絡する』

 そう言い残して穂村は通話を終えた。

「秩父に関連したネット怪談か……」

 九尾はふと天井のシーリングファンを見あげ、あの二人の顔を思い浮かべる。

「循ちゃんなら、知ってるかも……」

 と、スマホを手に取ってから、はっ……とした顔で目を見開き頭を振った。

「正気か、わたし……」

 奴らに頼るのは、最後の最後だ。

 どうせ、下手な事を話せば、強引に首を突っ込んでくるに決まっている。

 九尾は頬を引きらせて笑う。

 気を取り直し、自ら秩父に関連したネット怪談を調べてみるも結局のところ、かんばしい成果はあがらなかった。

 いくつか怪しい都市伝説には行き当たりはした。その中に“赤い地下室”の噂もあったが、秩父に関連しているかどうかまでは九尾の能力で調べ切る事はできなかったのだ。

「ま、まあ、穂村さんに任せておけば、大丈夫よね……」

 全力で穂村一樹にぶん投げる九尾であった。




 四月二十六日二十時頃。

 ベッド下でまんじりともせずにいた加納は、この状況に慣れてきたのか、徐々に退屈さを感じてきた。

 更に精神的な余裕が出てきた事から、再び空腹を覚え始める。

 取り合えず一階の状況も知りたかったので、加納はベッドの下から這い出し、そっと部屋をあとにした。

 忍び足で階段を降り始める――。

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