【03】検索してはいけない言葉


 四月二十六日の十八時過ぎだった。

 茅野循は、リビングの座卓にウェブカメラとノートパソコンをセットする。

 更に物々しいスタンロッドを座卓の端に置いた。それから、カメラの角度を調整していると桜井からメッセージが届く。

 今日の彼女は朝からバイトで、昼過ぎに茅野が送った薫入院の一報をようやく確認したらしい。

 文面は以下の通りである。


 『カオルくん大丈夫なの!?』


 茅野はスマホを手にソファーに腰をかけ返信する。


 『大丈夫よ。虫垂炎は大した病気じゃないわ。盲腸の事よ』


 すぐさま既読がつき、ポン……と電子音が鳴る。


 『何だ。よかった。今度、桃缶を持ってお見舞いにゆくよ』


 『今はコロナ禍だから、日用品の差し入れ以外の面会は禁止されてるわ。だから、うちに持ってきて頂戴ちょうだい。薫に渡しておくわ』


 了承の意を示すスタンプ。

 そして、このタイミングで茅野は話を切り出す。


 『ところで梨沙さん。今夜、面白い実験をしたいのだけれど、あとで下記のURLにログインしてもらえないかしら?』


 と、メッセージを打って、ビデオ会議アプリのURLを貼りつける。

 送信すると、すぐに了承の意を表すスタンプ。そして……。


 『何? 心霊絡み?』


 『そうよ。ときに梨沙さんは“赤い地下室”というサイトを知っているかしら?』


 『もちろん、知らないけど』


 『“イルカの夢でさようなら”や“野崎コーンビーフ”のような精神ブラクラ系のサイトね。もっとも、この二つと比べると、知名度は格段に劣るのだけれど』


 『イルカの夢? コーンビーフ?』


 『ああ、その二つに関しては、あとでスマホで検索してみて頂戴』


 検索してはいけない言葉を検索するように促す茅野であった。

 そして、桜井からも勢いよく了承の意を表すスタンプが返ってくる。


 『それで、赤い地下室はどんなサイトなの?』


 『不気味な絵がたくさんアップされていたそうよ。ただ、もう閉鎖されているらしいんだけど』


 『なあんだ』


 『でも、そのURLを一時三十四分きっかりに踏むと、今でもそのサイトにいけるらしいわ』


 『お、話が心霊っぽくなってきたねえ』


 『それで、その赤い地下室には、サイトが閉鎖される前から、ある不気味な噂があったの』


 『どんな?』


 『サイトを見た者が怖がると地下室の女がやって来るらしいの』


 『地下室の女って、何かの幽霊なのかな?』


 『さあ。今日は、その正体を確かめようという訳よ』


 『なるほどねえ。つまり、ネットの中のスポット探索という訳だね?』


 『そうよ。ちょうど家に薫もいない事だし、もし本当に変な怪異がきても巻き込む事はないわ』


 『これがアフターコロナの探索様式か。あたしも行っちゃ駄目?』


 茅野は少し迷ったのちに、手を交差させて口をバッテンにしているキャラクターのスタンプを送る。


 『今は自粛期間中よ。梨沙さんはリモートで観覧していて頂戴』


 『循って、けっこう、そういうところこだわるよね』


 茅野循は変なところで社会的な規範に五月蝿うるさい。

 例をあげるなら、心霊スポット探索のとき、やたらと不法侵入などの法律面を気にしたりするのがそうだ。

 彼女は・・・そういった事を・・・・・・・気にした上で・・・・・・、必要に応じて常識から外れた行動を取っているのだ。

 ゆえに尚更、質が悪いともいえるのだが……。

 それはさておき、そこから少し適当な雑談を交わし、夕食と入浴を済ませたあとに再びオンラインで会う事を約束して桜井とのやり取りを終える。

 そして、十八時三十分頃。

 茅野循はソファーから腰を浮かせて、お腹に手を当てる。

「何かお腹に入れておいた方がいいわね……」

 そう独り言ちて、キッチンへと向かう。

 普段、食事は薫か桜井にまかせてばかりだったので、彼女が自炊するのは、ずいぶんと久し振りであった。

 適当にコンビニで買ってきたもので済ませる事も考えたが、ツナ缶とパックごはんが一つずつ残っていた事を思いだし、それでリゾットを作る事に決めた。

 冷蔵庫からチーズや野菜などを取りだし、ツナ缶とパックごはんの入っている戸棚を開ける。しかし……。

「あら……?」

 余っていたと思っていたツナ缶とパックごはんがどこにも見当たらない。

「確か、あったはずだけれど……」

 茅野は怪訝そうに首を傾げたのち、気を取り直してパスタをゆで始めた。



 ちょうど、同じ頃だった。

 階段を登り右側に延びた廊下の手前。向かって左の部屋。

 壁には“白と黒ビアンコネロ”のユニフォームを着たサッカー選手のポスターが貼ってあった。

 調度類はシンプルで飾り気がなく、いかにも十代男子の私室といった様相だった。

 茅野薫の部屋である。

 その片隅のゴミ箱の中には、空になったツナ缶とごはんの空パックが押し込められている。

 誰もいないはずの部屋……。

 しかし、そのベッドの下から、ぬっ……と、何者かがおもむろに這い出てきた。

 薄汚れたスウェット姿に、脂でべとついた長髪。何日もそっていない髭。

 彼こそは、加納憲一郎。

 県警の拘置所から脱走し、依然として行方が解らないままとなっている男である。

 加納はノロノロとベッドの下から這い出すと目を擦りながら、勉強机の卓上時計を見た。

 そこで、自分がベッドの下で眠ってしまっていたらしい事に気がつき苦笑する。

 かなり疲労していたせいか、十時間近くも熟睡していたようだ。

 暗闇に目が慣れるのを待って、ゆっくりと扉を開けて外に出ると階段の下をそっと覗き見る。

 すると、微かな人の気配がした。一階に誰かがいるらしいが人数までは解らない。

 加納は小さく舌打ちをして再び茅野薫の部屋へと戻る。

 ……動き出すのは、深夜に家人が寝静まってからでいい。

 静かに戸を閉めると加納は薄暗い部屋でほくそえんだ。

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