【03】退屈と孤独


 その日、小学五年生の茅野循は久々に学校へ向かっていた。

 当時、彼女が熱中していたAWOで唐突に不具合が発生し、臨時メンテナンスが行われる事になったからだ。

 少し前までの彼女ならば、メンテナンスが終わってすぐログインするために自宅で待機していたであろうが、もうそんな情熱はとうに失われていた。

 彼女はネトゲの沼に浸かって数ヵ月あまりで二つの真理に気がついてしまったからだ。

 それは“プレイ時間が増加すればするほど、そのゲームへの評価がクソゲーに近づいてゆく”と“課金額の増加量と一円当たりの満足感は反比例する”の二つである。

 これに関して、ゲームプレイ中の廃人ユーザーをモニターして、ドーパミン放出量の変化をデータとしてまとめる事ができれば、けっこう面白いかもしれないと彼女は真剣に考えていたが、ゲーム自体への興味は既に色褪いろあせていた。

 しかし、だからといってゲームの外も当時の彼女にとっては退屈極まりない世界だった。

 茅野が教室前方の扉を開けて中に入ると、ざわめいていた室内が一瞬にして静まり帰る。視線が一斉に飛んできて突き刺さるのを感じた。

 クラスメイトたちは、滅多に学校へくることのない茅野循の出現に驚いているようだった。

 当時、その大人びた美貌と優秀過ぎる成績から、茅野の存在は学校中の誰もが知るところであった。

 しかし、謎や怪奇、死にまつわる物事にかれてやまない悪趣味な茅野と話の合う者はおらず、この頃の彼女はいつも孤独だった。

 ときにそうした話題を茅野と共有しようとする者もいた。

 しかし、茅野の言葉は一般的な小学五年生にとっては難解で特殊で退屈なものだった。

 まるで、違う言語で話しているかのような感覚。

 そうした違和感が、彼女を近寄りがたい存在としていた。

 だが、茅野は特に寂しがる事はなく、いつも独りで――ときには弟を巻き込んで、そうした趣味を楽しんでいた。

 早熟で聡明そうめいだった彼女は、既に“個人の趣味や嗜好しこうは赤の他人にとって最もどうでもよいものである”という、ひとつの真理に到達していたからだ。

 ともあれ、その日も、特に何の感慨もなく静まり返った教室に足を踏み入れ、自分の机に座った。

 すると、そこで教室内が息を吹き返したかのようにざわめきを取り戻し始める。

 茅野はというとランドセルの中からロナルド・ノックスの『陸橋殺人事件』の文庫本を取りだして読み始めた。

 すると、不意に周囲にいたクラスメイトの声が耳に入ってくる。

 話の内容はよく解らなかったが『記念公園の幽霊』というワードだけは、頭に入った。

 興味を持ち、文庫本の文字の羅列から目線をあげる。

 どうやら、その言葉は右隣の机の周りに集まって雑談をかわすグループから聞こえてきたものらしいと気づく。

「……本当らしいぜ? いちばん最初に幽霊を見たのは、蛯沢さんらしい。うちの町内の野球チームの監督なんだけど」

 と、言ったのは、坂崎洋治さかざきひろはるだった。

 お調子もので野球の得意な男子である。

「あの、公園の奥の方にある紫陽花あじさいのところだよね……?」

 と、訊いたのは箕輪美陽みのわみはる。可愛らしく、何かと目立ちたがり屋の少女である。

 話の輪の中にいた誰かが「うん、そうだよ」と返事をすると、箕輪はおびえた表情になって言う。

「私、あそこの前を通りかかると、寒気がすると思っていたんだよね」

 そこで、長い黒髪の少女が神妙な顔で声をあげた。

「実は、私、ちょっとだけ霊感があるんだけど……」

 その蒲生麻帆がもうまほの発言によって、話の輪に加わっていた者たちがざわつき始める。

 彼女はクラス委員であり、普段からあまり冗談を言うタイプではない。

 それゆえに、突然の霊感があるというカミングアウトは、クラスメイトたちに充分な衝撃を与えたらしい。

 更に蒲生は落ち着いた様子で話を続けた。

「あそこ、いるよ。ずっと前から白い和服の女の子が、遊歩道を通りかかる人を怨めしそうに見てる……気をつけた方がいいよ」

「そういえば、昔、あの公園の池で死んだ人がいるって……お兄ちゃんが……」

 箕輪が脅えた表情で言った。

 すると、その直後だった。


「ぶっ」


 茅野循が盛大に吹き出し、大声でゲラゲラと笑い始めた。

 その話の輪にいた者のみならず、教室内が静まり返る。

 坂崎が恐る恐る茅野に声をかける。

「あ、あのー、急にどうしたの?」

 すると、茅野はどうにか笑いを堪え、目尻から溢れそうになった涙をふいて、彼の質問に答えた。

「……久々に学校へときてみれば、面白い話が聞けたものだから、つい笑ってしまったわ。ごめんなさい。話の邪魔をしてしまって」

「面白い話って、俺たちの?」

「そうよ。その記念公園に幽霊が出たっていう話。とっても、面白かったわ」

 坂崎たちは困惑した様子で顔を見合わせる。

 そこで蒲生が恐る恐る茅野の発言に異を唱えた。

「茅野さん……。あの記念公園の銀杏ぎんなんの下には、本当に恐ろしい幽霊が“いる”のよ。私には解るの……冗談ではないわ」

「そう」と茅野は素っ気なく言って、開きっぱなしだった陸橋殺人事件をぱたりと閉じた。

「私は幽霊なんていないと思うわ」

 と、言った途端、担任の教師が前方の入り口から顔をみせる。

 朝のホームルームが始まった。




 つつがなく学校が終わり、茅野が家に帰ると、ゲームの臨時メンテナンスは終わっていた。

 そこから部屋に閉じ籠り、明け方までギルドメンバーと狩りをしたあとログアウトした。

 因みにこの当時から茅野の両親は家を留守にしがちで、代わりに瀬名せなエツという家政婦が住み込みで家事や食事の準備をしてくれていた。

 しかし、この瀬名という人物は茅野に対して厳しい。

 少し前の定期メンテのときに、久々に外へ出かけた茅野が服をドロドロに汚して帰ってきたときなど、真っ赤になって激怒していた。

 そのときの事で未だに小言を言われるので、できれば瀬名とは顔を会わせたくなかった。

 彼女を起こさぬように、そっと部屋を抜け出し、茅野は浴室へと向かった。

 そして、シャワーを浴びている最中に、ふと例の噂話を思い出して、もう一度笑みが溢れる。

 この頃の茅野は、現在ほど幽霊などの怪異の存在を確信してはいなかった。

 彼女の超常現象に対する認識は『科学で解明できない不可解な事ならあるだろう』といった程度であった。

 何よりも、聡明な茅野は坂崎らクラスメイトの話を少し耳にしただけで、だいたい解って・・・・・・・しまっていた・・・・・・

 その白い少女の幽霊の正体が何であるのかを……。

 ともあれ、茅野はシャワーを浴びたあと、ふと記念公園へと行ってみる事にした。

 それは、ほんの散歩程度の気紛れであった。

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