【04】勝負


 その日の朝、桜井梨沙は身支度みじたくを整えると自宅をあとにした。

 日課のジョギングである。

 普段は自宅の近くにある城址公園じょうしこうえんの園内をぐるぐると走るのだが、この日は駅裏を目指した。

 例の幽霊が出現するという、夢乃橋記念公園へと向かおうというのだ。

 桜井は軽快な足取りで古い住宅街を駆け抜け、コンビニの前の『激辛タイカレーフェア』ののぼりに後ろ髪を引かれ、田んぼの真ん中を突っ切る農道を渡り、目的の夢乃橋記念公園へと辿り着く。

 園内に入ると、例の幽霊の出現ポイントだと思われる場所へとまっすぐ向かった。

 皐月さつき紫陽花あじさいの奥の銀杏ぎんなんの樹。

 桜井は皐月という植物については知らなかったが、紫陽花と銀杏は流石に知っていた。

 すぐに、くだんの場所へと辿り着く。

「ここか……」

 植え込みの奥にある銀杏の木陰を鋭い眼差しで見据える。

 まだ周囲は薄暗く、人気ひとけもない。遠くから自動車の走行音がわずかに聞こえる。

 そのまま数分が経過して、おもむろに桜井のお腹がきゅるきゅると仔犬の鳴き声じみた音を立てた。

「カレー……食べたい」

 そろそろ帰ろうか……そう思った直後だった。

 遊歩道を誰かが自転車に乗ってやってきた。

 長い黒髪。色素の薄い赤眼。モノトーンのゴスロリワンピースをまとっている。

 その謎の少女は、桜井の数メートル手前でブレーキをかけると、両足を地面に着いてニヤリと笑った。

「貴女も例の少女の幽霊の噂を聞いてやってきたのね?」

「そうだけど……」と素直に認め、質問を続ける。

「君は?」

 少女は不敵な笑みを浮かべながら、自らの名前を口にする。

「私は、茅野循よ」

「ふうん。あたしは桜井梨沙だよ。君も幽霊に?」

「そうよ。……それで、ちょっと、話さないかしら? 目的が同じ者同士」

 桜井はお腹に手を当てながら考える。

 空腹ではあったが、この訳知りの様子の少女の話を聞いてみたくなった。

 幽霊と出会える手がかりになるかもしれない。

「うん。いいよ」と桜井が返事をすると、茅野循は悪魔のように微笑んでみせた。




 近くのベンチに並んで座る二人。先に話を切り出したのは、茅野の方であった。

「なるほど……。柔道ね?」

「ん? よく解ったね。あたしが柔道やってるって」

 突然の指摘に面食らう桜井。

 すると、茅野は右手の人差し指を立てて得意気な顔で解説しだす。

「手足の筋肉を見れば、貴女が何らかのスポーツをやっているであろう事は明白よ。更に決定的なのは、その耳」

「耳……」と茅野の言葉を反復し、己の耳を触る桜井。

「……一見すると普通だけれど、よく観察すれば少しだけ根元が太くなりかけてる。これは耳介血腫じかいけっしゅね。寝技の練習や対戦相手と頭がぶつかったりすると、耳介内に内出血を起こすのだけれど、これを放置しておくと、耳の形が変型してしまう。属に“餃子耳”と呼ばれるものね」

「おおーっ!」と、桜井が感心した様子で、パラパラと拍手する。

 茅野はなおも言葉を続ける。

「まだそこまで酷くないけれど、悪化させないためにも練習後はしっかりと、ケアする事を薦めるわ」

「一応、ちゃんとセンセに言われた通り、練習が終わったあとは耳を冷やしてたんだけどね」

「耳を保護するイヤーガードなんかもあるから、購入を検討した方がよいわね」

「ふうん。じゃあ、酷くならないうちに、親に相談してみるよ」

 と、忠告を素直に聞き入れる桜井。

 一方の茅野は興が乗ったらしく……。

「それじゃあ、ついでに、もう一つ当ててあげましょうか?」

「お、なになに?」

「そうね。貴女が幽霊に会いたがっている理由……」

「あー、うん。言ってみて?」

 おほん、と咳払いをする茅野。

「ずばり、貴女は何かの罰ゲームでこの場所へとやってきたのね? だって、一人でこんなところにくるなんて、おかしいもの」

「完全に自分の事を棚にあげてる気がするけど……」

 という、桜井の的確な突っ込みを無視して、茅野は彼女の胸元にぶらさがった携帯電話を指差す。

「それで、その携帯で証拠写真を取るように言われてきた。違うかしら?」

「違うよ」

 と、桜井が即答すると、茅野は意外そうに目を見開く。

「外した!? 嘘でしょう!?」

「嘘じゃないよ」

「じゃあ、貴女は何でわざわざ幽霊の出る場所なんかに……」

「それは、幽霊を倒しにきたに決まっているじゃん」

 それができてさも当然のような口調で桜井は言ってのける。

「倒しに……?」

 このとき茅野は『幽霊を倒す』という桜井の言葉を、子供のヒーローごっこ程度のノリだと勘違いしていた。

 本当に幽霊に会えるとは思っておらず、独りで記念公園の噂の場所へといった証拠写真を携帯におさめて友だちに自慢するつもりだったのだろうと……。

 多分・・この子も・・・・その程度なのだろう・・・・・・・・・と見誤って・・・・・しまった・・・・

 そんな訳で、茅野は桜井に対して、少し悪戯・・を仕掛ける事にした。

「ねえ。貴女……それなら、私と一つ勝負をしないかしら」

「勝負? 何の?」

「貴女が本当に、この公園の幽霊を倒せたら貴女の勝ち。私は貴女が幽霊を倒せない方に賭けるわ」

「なるほど……」と、桜井は腕を組み、思案顔を浮かべ、

「いいよ。やろう。面白そう!」

 と、勝負にあっさりと乗る。

「え、本当にやるの?」

 あまりにも簡単に釣れた事に面食らう茅野。桜井は迷いなき表情で頷いた。

「退屈してたしちょうどいいよ」

 その眼差しに嘘はないように思えた。

 馬鹿なのか、それとも……茅野は内心ほくそ笑む。

「じゃあ、期限は今日から一ヶ月」

 そう言って茅野が右手の人差し指を立てると、桜井はぶんぶんと首を横に振った。

「いや、一週間でいいよ。あまり長くてもだれる」

「あ……そう? 私はどちらでもいいけれど」

 大した自信だと、茅野は内心呆れつつ、更なるを提案した。

「それじゃあ、もしも、幽霊を倒せたら、証拠もお願いするわ」

「証拠、証拠ねえ」

 桜井は、ぼんやりと思案顔を浮かべる。そして……。

「幽霊の首でも、もいでくる?」

 真顔でのたまう。

 茅野は予想の遥か斜めうえの返答に戸惑い呆れる。

「そこは、携帯か何かで写真を撮ってきてくれればいいわ。倒された幽霊の」

「あー、うん。そだね」

「それじゃあ、そんな訳で、勝負は成立ね。負けた方が勝った方の言う事を何でも一つ聞くっていう事で」

「うん。いいよ。じゃあ、一週間後、またここで」

 二人はベンチから腰を浮かし、固い握手を交わしたのだった。

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