【13】旅の終わり


「効いてるねえ」

「このまま、押しきりましょう」

 桜井が前原の尻やももの辺りをぺしぺしとひいらぎの枝で叩いて追い立てる。

 前原はその度に身悶えをし、やって来た方へゆっくりと戻り始める。

「うりゃ、うりゃ……あはははは」

 何か楽しくなりだしたらしく、笑い出す桜井。

「私にもやらせて欲しいわ」

「んじゃ、はい。枝」

 桜井から枝を受け取り、前原の背中に鞭打むちつ茅野。

 やはり、こちらも楽しげにぺしぺしと叩き続ける。

「これは退魔の儀式よ。仕方なく……仕方なくよ! 仕方なくやってるだけなんだから!」

「誰に何の言い訳をしてるのさ」

 端から見ると、どうしようもなくシュールな光景である。

 ともあれ、三人は廃屋の奥にある和室までやってくる。その裏庭に面した掃き出し窓と、網戸が開け放たれていた。

 どうやら、この場所から侵入したらしい。

 桜井と茅野は前原を追い立てながら表へと回る。何とか時間をかけて門の外へと追い出した。

 すると、前原はとぼとぼと項垂うなだれながら、登山道の方へと続く坂道へと歩いてゆく。

「ふう……終わったかな?」

 桜井は前原が消えた夜闇を見据えながら、右手の甲で額の汗をぬぐう。

 そして、茅野もほっとした様子で溜め息を吐く。

「あの男、あんな物トカレフなんか持っていたって事は、まっとうな人間じゃなさそうだし、関わり合いになりたくないわ。何かもう満足したし帰りましょう」

「そだね。警察は面倒だし、お腹減ったし」

 流石の二人でも、再びあの沢に戻り八女洞に入ってみようという気にはなれなかった。

 そのまま、二人は籠目村の外を目指した。




 その頃、和歌山県加太のビジネスホテルの一室だった。

 穂村や和歌山県警らと共に夜鳥島の調査を終えて、宿に帰ってきたばかりの九尾天全はシャワーを浴びて部屋着に着替え、ようやく人心地つこうとしていた。

 すると、サイドボードの上にあげておいた充電中のスマホが音を立てた。

 茅野循からの電話である。

 嫌な予感を覚え、九尾は顔をしかめた。しかし、出ない訳にもいかないので通話ボタンを押した。スピーカーフォンにしてテーブルの上に置く。

「はい」

『……もしもし、九尾先生?』

 微かな風の音とアスファルトを踏みしめる足音がした。どうやら、外にいるらしい。

 後ろで『センセ、元気ー?』と桜井の声も聞こえた。

「循ちゃん、今はどこにいるの?」

『それが……』


 ――と、茅野の話を聞いて九尾の心中にどっと疲れが押し寄せる。

 嫌な予感はしていた。

 しかし、まさか、和歌山を発って、まだ家に到着していないとは思いもしなかったからだ。

 二人は“以前から友人の実家を訪ねる予定だった。その先に心霊スポットが偶々たまたまあっただけなのだ”などと言い張ったが、そっちが本当の目的である事は明白であった。

 九尾は、大人としてちゃんと二人の素行を注意しておかなければならない……などと思ったが、三秒で無駄だな、と確信し、出かかった言葉を飲み込んだ。

『それで、ナナツメサマの正体は結局のところ、何だったのかしら?』

 茅野のその質問に九尾は思案顔を浮かべ、首を捻る。

「わたしにも、ちょっと解らないわ。循ちゃんの推測通り、一つ目の怪異である事は間違いないんだろうけれど」

『けれど?』

「……兎も角、山は一筋縄でいかないのよ」

『というと?』

「知っていると思うけど、山は古来から既存の政権に恭順しなかった人々、“まつろわぬ民”たちの世界なの。いわば異世界といっても過言ではないわ」

『ええ。そうね』

「そのせいか、信仰や風習、そこに潜む怪異も我々からすると、特殊なものが多いのよ。更にそういったモノは、大抵の場合、記録に残されていない事が多い。だから……」

 と、九尾は、そこで溜め息を深々と吐き、

「山は厄介なのよ。訳の解らない事が頻繁ひんぱんに起こるし、訳の解らないモノが棲んでいる」

『ようするに山のスポットは何割か増し増しでヤバい感じなんだね』と、ワクワクした桜井の声が聞こえた。

「かなり危険な場所みたいだし、何らかの対策はしないと不味いだろうけど……」

 取り合えず穂村一樹に報告しておくか……と、思うと同時に、彼、過労死するんじゃないかしら、と心配になる九尾であった。

 実際に対応するのは近隣に在住する“狐狩り”の霊能者になるだろうが、穂村の方も仕事を割り振って、はい終わりという訳にはいかない。

『ところで、あのナナツメサマに取り憑かれていた男はどうなるのかしら?』

 九尾は渋面を作りながら告げる。

「直接見てみない事には何とも言えないけど、たぶん残念ながら手遅れだと思うわ」

 ここで、二人は近藤の話を思い出す。

 ナナツメサマは明け方と共にあの世へ帰る。そのとき、取り憑かれた者も連れていかれてしまうのだと……。

 九尾によれば、みだりに八女洞へ近づかなければ、これ以上の被害は出ないとの事だった。

『とりあえず、山、やべえ……って、事?』

 その桜井の雑な感想に「そうね」と、疲れた様子で答える九尾。

 そして、茅野も溜め息を吐く。

『兎も角、もう流石に家へと帰るわ。明日の朝には必ず』

「本当でしょうね?」

 茅野はその質問に答えずに、質問を返してきた。

『九尾先生は、いつまでそっちに?』

「たぶん、明日の昼過ぎには帰れると思うわ……」

『妹さんには、会えた?』

 不意打ちのような、その質問に何とも言えない表情で頷き、

「うん」

 と、返事をした。

 茅野は吐息だけで笑うと一言だけ『そう』と相づち打った。

 そして、シンプルな別れの言葉を続ける。

『それじゃあ、また。何かあったら連絡するわ』

『じゃあね、センセ。また一緒にスポット行こうよ』

 桜井の無邪気な声が聞こえた。

「じゃあね。また……」

 そう言って、九尾は通話を終えた。




 籠目村の入り口付近の路上だった。

 桜井と茅野が九尾との通話を終えて、しばらくするとヘッドライトの明かりが街の方からやってくる。

 富沢が運転する宝華荘のライトバンだった。九尾に電話をする前に連絡を入れていたのだ。

 さっそく車に乗り込む二人。

 時刻は既に二十二時を回っていた。

「お疲れ様です。どうでした?」

 ルームミラー越しの富沢の問いに、二人は顔を見合わせて満面の笑みを浮かべる。

「最高だったわぁ……」

「山のスピリチュアルを味わえたよ」

「そうですか。それは何よりです」

 富沢はそう答えて車を発進させた。

 そこで茅野が気になっていた事を問う。

「そういえば、由貴菜さんの方はどうでした?」

 すると、富沢は困り顔を浮かべる。

「それが……」

 その表情を見て、婚約者との顔合わせが上手くいかなかったであろう事を悟った桜井は「よっしゃ」と小さく呟いて、握り拳をぐっと引き寄せた。

「何かアクシデントでも?」

 茅野が促すと、富沢は少し迷ったあとに口を開いた。

「婚約者の方が、いらっしゃいませんで……連絡もつきません。どういう訳なのやらさっぱりで」

 桜井と茅野は、きょとんとした表情で顔を見合わせた。

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