【12】目の数


「……で、反撃するにしても、けっきょくナナツメサマって、何なの? やっぱり吸血鬼系?」

 桜井の質問に茅野は首を横に振る。

「ここで、富沢さんの話を思い出して欲しいんだけど……」

「うん」

 因みに戸口の外の前原は、ようやく無意味だと悟ったのかトカレフを握った右手をおろし、再び上半身を揺らしながら佇み始めた。

「……富沢さんは、八女洞について“山の神様が祀られている場所”だと言っていたわ。それが、ある意味ですべての答えなのよ」

「えっ。じゃあ、ナナツメサマは山の神様?」

「……か、どうかは解らない。ただ、ナナツメサマと同じく目の細かい物が苦手な山にまつわる妖怪がいるわ」

「何なの? それって……」

 桜井が緊張した面持ちで、ごくりと喉を鳴らした。どうやら、自らの拳が通じなかった相手の正体について、様々な思いを巡らせていたらしい。

 茅野は、たっぷりともったいつけて、その名前を告げる。


「それは、一つ目小僧よ」


 桜井が真顔になる。

「へ!? 一つ目小僧? あの何か可愛いやつ?」

 昔、絵本などで見た事のある、かの妖怪の姿を思い出したらしい。

「そうよ」

「いやいや。腹パンが通じなかったんだよ? 絶対もっとヤバいなんちゃら大魔王みたいなやつだって」

 茅野は疑わしげな桜井に苦笑する。

「一つ目小僧だって、元々は零落れいらくした山の神様よ。大抵の伝承では無害な存在だとされているけれど、災難をもたらすモノとしての側面もあるわ。この妖怪は、二月八日と十二月八日……この二つの日付は事八日ことようかと呼ばれているのだけれど、この日に里の家をのぞき込んで、その家の落ち度を帳面に書いて疫病神に報告するらしいわ。それで、その報告を元に疫病神が各家々に災難をもたらすのだとされている」

「チクり魔か……」

 げんなりした様子の桜井。

「それで、この一つ目小僧に覗かれるのを防ぐ為に、山沿いの土地では、事八日になると、軒先に竹笊たけざるを吊るすという風習があったりするの」

「何で、笊?」

「一つ目小僧は、目が一つしかないからなのか、目の多い竹笊を怖がって逃げてゆくというわ。それから海外でも“吸血鬼は細かい物を数えるのが好き”という伝承があったりする。吸血鬼は網なんかがあると目を数えずにいられなくなるらしいの。だから、吸血鬼に出会ったら、その隙に逃げればよいとされている。……植物の種をバラまいたりもするらしいんだけど」

「網の力ってすげー」

「そうね。元々、格子柄の図形には、そういった魔を退しりぞける効果があるのかもしれないわ」

「でもさぁ……“ナナツメ・・・・サマ”だよ? 目が七個あるんじゃないの?」

「そこなのよ。その名前で誤魔化されていたけれど、もしかしたら“ナナツメサマ”は七人組の一つ目の怪異なのかもしれないわ」

「七人ミサキだっけ? それみたいなやつ?」

「そうね」と茅野は首肯して、ずっと右手に握っていた庭木の枝へと視線を落とす。

「まあ今の時点では何とも言えないけれど、正体は何にしろ、ナナツメサマが一つ目小僧に近い性質を持った怪異だとすると、籠目村の庭木に、このひいらぎが多く使われている事にも合点がゆくわ」

「えっ、その木の枝も何か一つ目小僧と関わりがあるの?」

「大アリよ。一つ目小僧の弱点はもう一つあって、それが、この柊の枝なの。葉に棘があって、枝が細いでしょう? 柊は魔除けの効果があると言い伝えられているのだけれど、さっきの事八日のとき、土地によっては軒先へ吊るす笊に、この柊の枝を刺しておいたりするの」

 桜井は少しだけ思案して「あっ」と閃く。

「笊の目を突き刺す……つまり目を潰すっていう意味?」

「そうよ。大正解」

「わーい!」

 無邪気に喜ぶ桜井であった。

「節分なんかでも“鬼の目突き”といって、邪気を払ういわしの頭に、柊の枝を突き刺した魔除けを玄関に飾るという風習があるわ。魔の目を突き刺す柊は一つ目小僧にとって、何よりも恐れるべき物だという事ね」

「なるほど。目が一つしかないもんね」

 と、話が一段落したところで、二人は玄関の様子をうかがった。すると……。

「あれ? ナナツメサマ、いないね」

 硝子が割れ落ちた格子戸の向こうには誰もいない。夜の寒々とした闇が渦を巻いていた。

「諦めて帰ってくれたのかしら……?」

 茅野がそう言った瞬間だった。

 彼女たちの背後の方からガタガタと物音が聞こえた。

 軋んだ足音が微かにして、屋内の戸が開く音がした。

「循、もしかして、あいつ、家の中に入ってきた!?」

 桜井の問いに茅野は悔しそうに歯噛みしながら答える。

「きっと、どこかに戸や窓の格子が壊れている場所があったんだわ。最初に確認しておくべきだった」

 彼女たちのいる部屋には二つの入り口があった。玄関側の戸口と建物裏手方向に面したふすまである。

 その襖がガタガタと開き始める。

「循、どうする!?」

「ここで決めましょう」

 そう言って茅野は桜井に柊の枝を手渡した。

「目を見ないように気をつけて」

「らじゃー」

 襖が開く。その向こうから、目玉を激しくぶれ動かす前原健太郎が姿を現す。その瞬間、桜井は大きく踏み込み……。

「はあー!!」

 顔を下に向けたまま、フェンシングのように前原を突いた。

 すると、柊の枝の尖端は前原の顎に当たり、ふにゃりとしなる。

 普通ならば、そこまで有効な一撃にはならないだろうが、効果はてきめんであった。

 悲鳴こそあげなかったものの、前原は苦しそうに身を捩り、顔を両手で覆ってくるりと背中を見せた。

 そのまま、のろのろと引き返し始めた。

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