【09】裏切り


 ごうごうと流れる渓流を挟んで切り立つ岩場の壁面に洞穴ほらあなが空いている。八女洞である。

 夏は岩場を這うようにつたがはえて、遠目からは目立たなくなる。しかし、今はその入り口があらわになっていた。 

「……おかしいね。格子が外されている」

 本来なら木製の格子が入り口を塞いでいるはずだった。しかし、見当たらない。

 格子は洞窟の入り口より少し大きい四角い木枠に固定されている。

 だが実は、その木枠を入り口の周囲の岩壁へと固定しているくさびが腐食しており簡単に外す事ができた。

 笹野たちは水流の中から顔をのぞかせた岩の上をつたい、渓流を渡る。

 入り口の前に立って周囲を見渡してみる。すると、少し離れた水際に、木枠ごと外された格子が倒れていた。

「何かの拍子に外れたのか、それとも……」

 笹野は思案顔を浮かべ、二人の顔を見渡す。

「まあ、取り合えず、中に入って確認してみようか」

 笹野の言葉に無言で頷く石峰と前原。

 それから、三人は懐中電灯をリュックから取り出してつける。

 笹野、石峰、前原の順に八女洞へと足を踏み入れた。

 徐々に遠ざかる渓流の水音。

 水滴のしたたりと、湿った砂を踏みしめる三人の足音が断続的に響き渡る。

 洞窟は一本道で数メートル進むと天井の高い岩室いわむろへと辿り着く。 

 その奥に佇む石筍せきじゅんのような影を三人の懐中電灯が照らしあげる。

 それは七つの地蔵であった。

 大人の腰丈ほどの大きさで、どれも

彫像によくありがちな幸せなアルカイック微笑みスマイルを浮かべている。

 しかし何よりも特徴的なのは、なぜか七体とも右眼を・・・瞑っている・・・・・事だった。

 この地蔵の裏と壁面の間の小さなスペースに、金塊の入ったアタッシュケースが隠してある。

 三人は地蔵に近づき、その裏側を覗き込んだ。すると……。

「何だ。あるじゃん」

 アタッシュケースは、ちゃんと十年前と変わらぬ場所にあった。

 しかし、前原の懐中電灯の光が、その傍らに落ちていた奇妙なものを照らし出す。

「何だこれ……」

 それは、スマホのような平たい機械だった。二股に別れた電極つきのコードがついている。

 笹野がその機械を拾いあげる。

「……これ、多分、ゴールドテスターだね」

「ゴールドテスター……?」

 石峰が怪訝けげんそうに眉をひそめる。

「金純度測定器だよ。質屋なんかで使われている。これは、一本取られたね……」

 笹野はケラケラと笑い出す。

「優清クン、どういう事なの?」

 前原が尋ねると、笹野は肩をすくめて二人の顔を見渡す。

「宮谷だよ。あいつ、多分、これを使ってGPSの入った偽物の金塊がどれなのか突き止めようとしたんだ。あのオフロードバイクは宮谷のものだったんだね」

「……え、じゃあ、宮谷はここにきたって事?」

 唖然とする石峰。笹野は笑顔のまま頷く。

「そう。だって、ここに金塊があって、その中に偽物がある事を知っているのは、僕たちだけだ。でなければ、こんな物をわざわざ持ってくる訳がないもの。それとも、君たちは誰かに、金塊の事を話したりしたかい?」

 石峰と前原が首を横に振る。

「ならば、宮谷だよ。このゴールドテスターは」

 笹野は断言する。

 石峰と前原は、慌ててアタッシュケースを地蔵の後ろから引っ張り出す。そして、足元に置くとしゃがんで蓋を開いた。

 中には十年前と変わらず、金塊がぎっしりと詰まっている。

 前原はきょとんと目を見開く。

 石峰がおずおずと声をあげた。

「優清クン……」

「何だい?」

「それなら、宮谷はどこへ消えたんだ? 金塊もそのままだし」

「多分、宮谷は山の神様にさらわれちゃったとかさ。あははっ。ここって、そういう場所だし」

 その笹野のあまりにもいつもと変わらない調子に石峰は呆れる。

 すると、おもむろに前原が立ちあがり羽織っていたウェアのジッパーを開けた。その内側から黒光りする金属製の物体を取り出す。

 それで、しゃがんだままの石峰のこめかみを突っついた。

 石峰が前原の方を見あげる。

「は? これ、何?」

 その言葉と同時に、ぷしゅっ……という気の抜けた音がした。スライドが後方へと下がる。

 同時に石峰の頭が血飛沫ちしぶきを撒き散らしながら、がくん、と仰け反る。空薬莢からやっきょうが転がる金属音。

 石峰はそのまま湿った地面に崩れ落ちた。

 流石の笹野も、その光景を唖然と見守るしかなかった。

 ようやく声が出たのは、前原の右手にあるのが、サプレッサーつきの本物の拳銃であると理解したあとだった。

「裏切るんだ? 健ちゃん。もしかして、宮谷を殺したのも君?」

 笹野はそう言いながら、両手をあげた。

 前原は首を横に振る。

「宮谷についてはマジで知らない」

「そうなんだ」

「でも、取り合えず、優清クンには感謝しているよ」

「じゃあ、助けてくれないかな? 実はこれから好きな女の子とデートの約束があるんだけど」

「それはキャンセルして。流石に」

 再び気の抜けた発砲音。

 笹野の胸元に血の染みが拡がる。よろよろと後退し、岩室の壁に背中をつける。そのまま、ゆっくりと腰を落とした。

「嘘でしょ……」

 笹野は半笑いで、岩室の天井へと視線をさ迷わせた。

 すると、その暗闇の中で、ぱちりと白い何かが瞬く。

 それは、だった。

 今際いまわきわに見る幻覚の類いか……。

 笹野はゆっくりと首を傾げた。

 同時に次々といくつかの眼が瞬き始める。

 その数は全部で七つ。

 何かが天井から降ってくる。笹野の中に侵入する。

 それは、次第に彼の意識を塗り潰して――




「出てこないねえ……」

 三人の男が八女洞の中に入って、随分と経った。

 桜井と茅野は対岸の大きな岩影に身を潜めて、入り口の様子を窺っていた。

 時刻は十七時を回っており、辺りはかなり薄暗くなっている。そのために、ほとんど視界が効かなくなっていた。

「ナイトゴーグルでも買っておくべきだったわね」

 そう言って、茅野はナイトビジョンつきの双眼鏡から目線を外した。

 リュックの中から夜鳥島の北門口探索でも活躍したヘッドバンドライトを二つ取り出し、ひとつを桜井に手渡した。

「ああいう、ナイトゴーグルって、いくらぐらいするの?」

「ピンキリだけれど、一万から二万の間かしら? もっと安いのもあるわ」

「ふうん。それなら、買っておいてもよいかもねえ……」

 桜井がそう言った直後だった。

 渓流の流れる音を割って、男の断末魔が夜闇に沈んだ山々へと響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る