【07】籠目村


 三月四日の朝。

 桜井梨沙と茅野循は目覚めてから、しばらくすると昨日とは微妙に柄の違う着物姿の近藤が朝食を持って現れる。

 メニューは旅館で通常出されているものではなく、ご飯、味噌汁、ベーコンエッグとキャベツのせんぎり、納豆、お新香、煮豆という恐ろしく普通の朝食であった。

 しかし、このベーコンエッグが明らかに一般家庭のものとは違い、二人は度肝を抜かれる。

 近藤によれば目玉焼きの焼き方に一工夫があるらしい。ベーコンや卵の素材にも当然ながらこだわりがあるのだそうだ。

 それから三人で宿の周囲を散策しながら、とりとめもない雑談をかわす。

 微かに硫黄臭が鼻をつく温泉街には人気ひとけはなく、寒々とした風景が広がっていた。

 しかし、蔦の張ったブロック塀や割れた電飾つきの看板、忘れ去られた狭い路地や、ゴミ箱の上にうずくまる猫など……その風景はどこか懐かしく、退廃としており、桜井と茅野の琴線に触れる。

 近藤によれば平日の人の出は、だいたいこんなものでコロナ禍以前とあまり変わらないらしい。

 そうして、三人は温泉街から少し離れたシャッター街へと足を向ける。

 どうやら、近藤は元々、この辺りの地域で生まれたらしい。

 父親は会社員で平凡な家庭だったが、彼女が物心つく前に離婚。

 母は女手一つで娘を育てる為に、温泉街の飲み屋で水商売を始めた。そこへ客として訪れたのが今の義父だったのだという。

 そんな話に耳を傾けながら、寂れたアーケードの一角を歩いていると、ふと近藤が足を止めて懐かしそうに目を細める。

 その視線の先は、『宇宙そら』という喫茶店の入り口脇にあるショーウインドに向けられていた。

「ここのナポリタン、美味しかったんだけどねえ……」

「ふうん……それは、ちょっと食べてみたかったよ」

 と、残念そうな桜井。近藤は扉にかかったままの『CLOSED』と書かれた看板を見ながら言う。

「何年か前に、店をやってたおばさんが亡くなってね。息子がついだらしいんだけど、上手くいかなかったみたいだねえ……」

 そこで茅野が手首に巻いたミリタリーウォッチの文字盤を見た。

「そろそろ、お昼ね。旅館へ帰りましょう」

 桜井と近藤が頷く。

 三人は再び宝華荘へと引き返した。




 宝華荘へ戻ると別館の和風レストランで昼食を取る。

 桜井は山菜そばとミニカツ丼のセット。茅野は山菜ちらし寿司。近藤は月見そばを頼んだ。食後にあんみつパフェもいただき、鋭気を養う。

 それから二人は部屋に戻り、探索の装備を取ってくると、宝華荘の玄関前に向かう。富沢の運転する車で籠目村まで送ってもらおうというのだ。

 何でも村の入り口まで、宝華荘から十五分ほどかかるらしい。

 そんな訳で、近藤による見送りを受けて二人は、いよいよ謎めいた八女洞の探索へと出発した。

 その車中で桜井が腕組みをしながら感慨深げに言う。

「これで、泉の広場、夜鳥島、加太砲台跡、そして八女洞と、怒濤の四連ちゃんだよねえ……我ながら少し呆れるよ」

「そうね。少しやり過ぎの感はあるけれど、もうしばらくスポット探索はできなくなるだろうから、活動休止前にはちょうどよいわ」

 と、そこで茅野は、富沢に話の水を向ける。

「……ところで、富沢さんは八女洞について何か知っていますか?」 

 前を見たまま「さぁ……」と首を傾げる富沢。

「山の神様を祭ってあるところだって、子供のときに聞きましたけど詳しくは……」

「山の神様……」

 桜井はルームミラー越しに茅野と視線を合わせる。

「何か遊び半分に行くとバチが当たるっていって、大人からは近寄らないように言われていましたが、あの辺りは流れの速い渓流があるし、足元も滑るし、単純に危なかったんでしょうな。子供の遊び場としては」

 どうやら彼は、オカルトは信じずに現実的な解釈をするタイプらしい。

 そして、こうつけ加える。

「でも、小さい頃にかじかきのついでに八女洞の前まで行った事がありますよ」

 当然、桜井と茅野は食いつく。

「え、マジで!」

「どんな感じでした?」

 富沢は二人の剣幕にやや気圧されながら、

「別に普通の洞窟でしたよ。ただ、入り口に碁盤目ごばんめの格子の壁があって奥まで入れませんでした」

 そこで富沢は、反対に二人へと質問を投げ掛けた。

「あの、それで、お二人はずいぶんと色々なところに行かれているようですが、もしかして今流行りのパワースポット巡りというやつでしょうか?」

 茅野が「ええ。そうです」と、さらっと嘘を吐く。

 桜井は、あながち間違ってもいないな……と、声には出さずに思った。




 短いクラクションの音と共に走り去ってゆく、富沢のライトバンを見送る桜井と茅野。

 そのテールランプが消えたのとは逆方向へと歩き始めた。

 沿道にはしい山毛欅ブナが立ち並んでおり、その合間に新芽を天婦羅てんぷらにすると美味しい漉油こしあぶらなどが見られ、桜井の食欲をそそる。

 ともあれ、数分歩くと景色が開けて、沿道にぽつぽつと民家の廃屋が建ち並び始めた。

 残された電柱には錆びついた住所表示板が残されており、そこには『籠目村』とある。二人はそのまま奥へと進んだ。

 剪定せんていされず伸び放題となった五加木うこぎの生け垣や、ひび割れて今にも倒れそうなブロック塀。

 それらの向こう側から庭木のひいらぎの枝が伸びて、路上へと突き出ていた。

「それにしても……」

 と、桜井は歩きながら沿道に建ち並ぶ廃屋を見渡す。

「廃村になったのが、四年前って聞いていたけど意外と傷んでいる家が多いね」

 桜井の言う通り、完全に原型をとどめている家屋の方が少ない。

 中には崩落して茂みに埋もれている家もあった。

 かつての畑や田んぼなども、まるで白髪のような枯れ草に被われて見る影もない。

「きっと一気に住人が途絶えてしまった訳ではないのでしょうね。ゆっくりと過疎化が進み、四年前に廃村となった」

「ふうん……」

 と、気のない相づちを打つ桜井。

 すると、前方に十字路が見えてくる。

 そこで立ち止まる二人。

「取り合えず、どうする?」

 桜井は十字路の三方を見渡して問うた。

「そうね……」と顎に指を当てながら茅野は思案顔を浮かべ、

「まずは、特に取っ掛かりもない事だし、のんびりと村を一周回ってみましょう」

「いいねえ」

 と、同意する桜井。二人は取り合えず十字路を真っ直ぐ行く事にした。

「……ところでさあ」

 歩き出して唐突に桜井が話を切り出す。

「何かしら?」

「ここなら人もいないし、コロナ感染の心配も必要ないよね。もしかしたら、これからの時代、スポット探索が流行る……?」

 その冗談とも本気ともつかない桜井の発言に、茅野はくすりと笑って肩をすくめる。

「どうかしら? そうなると心霊スポット探索者同士で社会的距離を取らなきゃなくなるわ。それによって呪われ方も変わるかもしれない」

「……これが新時代のスポット様式の始まりなんだねえ」

 ……などと、よく解らない話をしながら二人は、のんびりと廃村巡りを堪能した。

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