【06】金塊強奪事件


 二〇〇九年六月二日。

 蛇場見市にある喫茶店『宇宙』

 店内の壁かけ時計の針が指し示す時刻は二十一時。すでに閉店時間は過ぎており、店主の宮谷恵美みやたにめぐみは裏手の自宅に引っ込んで缶チューハイで晩酌を始めていた。

 その静まり返った店内のテーブル席で顔をつき合わせる四人の若者の姿があった。

 宮谷恵美の息子のけいと、前原健太朗、石峰大祐、そして笹野優清。当時、全員十九歳であった。

 四人はこの蛇場見で育った幼馴染み同士で、小さな頃から常に行動を共にしていた。

 しかし、高校卒業後、笹野が進学のために地元を離れて以来、全員で顔を合わせる機会はあまりなくなっていた。

 今回、その笹野が祖父の葬儀へと出席するために帰郷したので、久し振りに顔を合わせようという事になったのだ。

 近況報告が終わり、思い出話が進むうちに当時のノリが戻ってゆく。

 昔は、よくこうして顔をつき合わせ、大人たちを困らせるような“遊び”の計画を話し合った。

 些細な悪戯と呼べるものから、一歩間違えば大惨事になりかねない犯罪スレスレの行為まで……。

 そうした“遊び”は、いつも悪知恵に長けた笹野が言い出しっぺとなって始まる事が多かった。

 このときもそうだった。

「……その金塊をいただいちゃおうって訳なんだけど」

 それは、あまりにも無邪気な口調であった。幼い頃から何も変わっていない。

 しかし、他の三人は微妙な表情で顔を見合わせる。

「あれ? 何かノリ悪いなぁ……」

 苦笑いする笹野。

 彼の話はこうだった。

 祖父の通夜の席で、親類の一人が金塊の買いつけと転売をやっているという話を小耳に挟んだらしい。

 その金塊を買取り業者の元へと運ぶところを襲撃して強奪しようというのだ。

 当然ながら、悪戯の枠を越えている。反応が鈍くなるのも無理はない。

「いや、流石に冗談だよね? 洒落になってないよ」

 と、苦笑する前原。石峰が続く。

「そりゃ、子供の悪戯じゃすまねえだろ」

 すると笹野は、きょとんと首を傾げる。

「でも、僕らまだ十九歳じゃん。子供だよ」

 ピントのズレた答えに困惑した表情を浮かべる三人。そして、笹野には昔からそういうところがあった事を思い出す。

 まるで、常識や良心をどこかへ置き忘れてしまったような……。

「いや、優清クン、そういう事じゃなくってさあ……」

 と、宮谷が言いかけたところで、それを制するように笹野が声を被せる。

「大丈夫だよ。もし、失敗しても絶対に警察沙汰にはならない。僕の親父が何とかしてくれる」

 三人は再び顔を見合わせる。

 笹野の父親が元は県警のお偉方で、今でも強い影響力があることはよく知っていた。

 笹野の従兄……母方の伯母の息子にあたる人物がとんでもない札付きのワルで、県下では有名な『黒鬼死隊』という暴走族の総長であった。

 ニュースや新聞に載るような大きな事件をいくつか起こしたらしいが、その度に笹野の父親の力を借りて罪を逃れてきたのだという。

「そもそも、バレなければよいのさ。ノーリスク、ハイリターン……楽なゲームだろ?」 

 と、笹野は自信ありげに言う。

 確かに小さな頃から、彼の考える“遊び”の計画はいつも巧妙だった。

 大人たちをいとも簡単に翻弄ほんろうし、失敗に終わる事は数えるほどしかなかった。

 けっきょく三人は迷った末に笹野の計画した金塊強奪計画に乗る事にした――




 結果、すべては上手く行き、四人は一億二千万円相当の金塊を手にいれた。因みに彼らが犯行のときに手にしていたのは精巧なモデルガンである。

 ともあれ、四人は用意していた逃走用の盗難車を乗り継ぎ、巧みに警察の追跡を巻いて再び閉店後の『宇宙』へと帰還を果たした。

 時刻は午前一時過ぎ。

 宮谷の母は、自身の目と鼻の先に一億二千万円もの金塊がある事など夢にも思わず、寝室でいびきをかいて熟睡していた。

 ともあれ、静まり返った店内のカウンターに並べた二つのアタッシュケースを開けると三人は色めきたったが、笹野は冷静だった。

「……取り合えず、この金塊は公訴時効が過ぎるまで寝かせよう」

 彼の言葉で冷や水を浴びせかけられたようにテンションをさげる三人。

 石峰が眉をひそめて、笹野に問うた。

「時効って、何年だよ?」

「強盗は十年だね」

 あっさりと答える笹野。

 彼の目的は金塊を強奪し、その罪から逃れるというプロセスにあった。

 それゆえに、十年待ってでもできる限りのリスクを廃したかったのだ。

 しかし、当然ながら家が資産家で金に困っていない彼とは違い、三人は難色を示した。

 そこで笹野は、きんは不景気に強く、その相場は今後もあがり続けるであろう事を根気よく説いた。

 けっきょく、笹野の分け前を減らす事と二〇〇九年より相場がさがった場合は、その分を補填する事で、三人の合意を得る事ができた。

 そして、話し合いの最後に石峰が、笹野にこんな質問をした。

「……んで、優清クン、金塊を寝かすって言っても、どこに置いておくつもりなの? まさか『僕が全部預かる』なんてふざけた事は言わねえよな?」

「ああ。その場所については、目星はつけてあるよ。誰も近寄らない安全な場所さ」

「え、どこ?」

 宮谷が訪ねると、笹野は無邪気な笑みを浮かべて答える。


八女洞・・・





 二〇二〇年の三月四日だった。

 喫茶店『宇宙』の裏手で合流した三人は、籠女村の奥にある登山口へと向かった。

 この登山ルートは地図にも載っておらず、ごくわずかな地元民しか知らない。

 ここから二十分ほど歩くと沢にぶち当たる。本来の登山道はその沢を渡るのだが、苔むした岩場をつたい歩き、上流へ向かうと八女洞が見えてくる。

 もちろん、三人の目的は例の金塊を回収する事だった。

 本来なら時効の明けた去年の夏に、四人で回収に訪れる予定であったが宮谷と連絡が取れず、石峰も事故による怪我で長期入院を強いられていた。

 笹野と前原も都合が合わず、けっきょく予定が延び延びとなるうちにコロナ禍が訪れてしまった。

 すると世界情勢が一気に不安定になった事から、金の相場が高騰こうとうし始める。

 流石にこの機会は逃すべきではないという話になり、依然として宮谷とは連絡のつかないままであったが、金塊をいったん回収する事にしたのだった。 

「……ほんで、優清クンさぁ。金の相場って今いくらぐらい?」

 石峰大祐はシートに座りっぱなしで凝り固まった身体を伸ばすよりも早くポールモールのフィルターをくわえ、オイルライターで火を灯した。

 そんな彼の質問に笹野は答える。

「ちょっと今は、ここスマホの電波届かないし、解んないけど。 確か昨日でグラムあたり五千七百円くらい」

 前原が口笛を吹いてほくそえむ。

「だいたい二〇〇九年の頃とくらべると二倍くらい?」

「だね」と笹野。

「やっぱ、優清クンの言う通りにしといてよかったわ」

「たぶん、これからもう少しあがると思うよ。んで、少しさがって落ち着く」

「その前に売っ払いたいね」

 前原がそう言って、登山口へと向かう。二人も後を追う。

「でもよぉ、どうせ誰もいねえし、わざわざ、こんな格好してくる事なかったんじゃね?」

 石峰がそう言って、自分の胸元を摘まむ。

 彼らは万が一、人に見られても怪しまれないようにトレッカー風の格好をしていた。

 笹野が楽しげにケラケラと笑う。

「確かに、このご時世、こんなところにくる輩なんか、僕たちみたいな悪者か、頭のいかれた奴・・・・・・・だけだろうね」

「ちげえねえな……」

 石峰が上機嫌に笑う。前原も笑った。


 ……しかし、そんな三人を近くの木陰から覗き見る、頭のいかれた・・・・・・二人組・・・がいる事に彼らはまったく気がついていなかった。

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