【02】彼女の事情
桜井と茅野は、あの猿夢の一件のあとも近藤とSNSで頻繁にやり取りをしていた。
因みに自分たちの素性やグリーンハウスに滞在していた本当の理由について、既に彼女には明かしてあった。
ともあれ、その近藤から連絡があったのが四日前の事。
桜井と茅野が和歌山へ向かう前日だった。
何でも近藤の実家の近くに本物の心霊スポットがあるのだという。
彼女もちょうど親から呼び出され、実家に帰る用事があるらしく、そのついでにと二人を招待した次第であった。
桜井と茅野は、近藤の実家が旅館である事は事前に聞いて知ってはいた。
しかし、彼女自身の妖しげな所作からするに、もっと陰気で年期の入った……有り体に言ってしまえば
そういった経緯で、玄関の重厚な
エントランスホールは古き良き時代の雰囲気を残しながら、落ち着いた和モダンに調えられており、幅広い客層に人気がありそうだった。
そこで、
彼女は
近藤由貴菜の義姉なのだという。歳は八つ離れているらしい。
こちらは妹とは違い、正統派の和風美人だった。顔はまったく似ていない。現在は板前である夫と共にこの旅館を切り盛りしているのだという。
「……妹がお世話になったみたいで。この子、変わっているから、面倒臭いでしょ?」
「姉さんは、他の客に愛想でも振り撒いていなよ。この二人はワタシの友だちなんだから……」
などと、言葉を交わす近藤姉妹。
しかし、そこに
「それじゃ、こちらのお客様は、由貴菜にお任せしようかな。でも……」
と、言葉を区切り、幼子に言い聞かせる保護者めいた表情になって、義姉は妹に向かって言った。
「あまり羽目を外しちゃ駄目よ? 貴女には苦労をかけるのだから、お父さんのようにあまり
「解っているさね……」
引き笑う近藤。
桜井と茅野は何の事か解らずに顔を見合わせる。
すると義姉は、軽い調子で右手をヒラヒラと振る。
「あとは、よろしくね」
そう言い残して、エントランスホールをあとにした。
「じゃあ、行こうかねえ。こっちだよ」
と、近藤がエントランスホールの奥にある大階段へと向かう。二人は荷物を持った富沢と共に彼女のあとを追った。
桜井と茅野は風流な中庭が見おろせる部屋へと通される。
和室と洋和室、寝室の三部屋と広々としたバルコニーがあり、大きな
オーディオ機器は一通り揃っており、調度品から何まですべてが高価だった。
どう考えても一泊十万近くはしそうな部屋である。
桜井と茅野は怪異に遭遇したときより驚いた様子で、呆然と和室の入り口で立ち尽くす。
「まじか……」
「こんな部屋、本当に使っていいのかしら?」
茅野の問いに近藤は軽い笑みを漏らす。
「大丈夫さ。どうせ、あの糞忌々しい病のお陰で、客足は減っているからねえ……」
当然、“糞忌々しい病”とはコロナウィルスの事である。
この病について、当時は“どうせすぐに何とかなるだろう”という希望的観測が、まだ世論の根底にはあった。
当然ながら大都市圏では切迫した局面に置かれる人々も大勢いたが、地方の田舎では、そこまで日常に違いはなかった。
しかし、近藤の言葉によって病禍の影響を身近に感じた二人は、何とも言えない微妙な表情で顔を見合わせた。
そんな二人の様子を気にした素振りもなく、近藤は手慣れた所作でお着きのお茶を入れ始める。
富沢の方は荷物を置き「ただいま食事をお持ちします。しばらくお待ちください」と、言い残して立ち去っていった。
すると、近藤が所在なさげに立ち尽くす二人に向かって、ひひひ……と笑いながら、座卓に置かれた
「ほら。早く座りなよ。ここのお着きの菓子は、ワタシのおはぎより上等なもんさね……」
その中に詰まった高級そうな和菓子を見て目の色を変える桜井。
二人は座卓を挟んで近藤の向かいに腰をおろす。
さっそく和菓子にパクつき始める桜井。
茅野は近藤の入れた
「そういえば、お義姉さんが“明日の事もあるんだから”と言っていたけれど……あれは、いったいどういう事なのかしら?」
「ああ。悪いね……明日、急に
近藤は忌々しげに舌打ちをする。
桜井が高そうな
「許婚……?」
すると近藤は勘違いしたらしい。
「……ん? ああ、許婚っていうのは、婚約者の事さ」
「いや言葉の意味は流石に知ってるよ。誰の許婚なの?」
この桜井の質問に近藤は心底うんざりとした様子で溜め息を吐いた。
「ワタシのだよ。ワタシの婚約者だって男が、明日ここにくる事に決まったのさ……本当に勘弁して欲しいよ……」
桜井と茅野は無言で顔を見合わせた。
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