【01】宝華荘


 二〇二〇年三月三日。

 あの夜鳥島での戦いを終え、桜井梨沙と茅野循は、九尾天全と和歌山駅で別れたあと帰路に着いた。

 大阪へと電車で向かい、高速バスで生まれ故郷の県へと辿り着いたのは、既にとっぷりと日も暮れたあとだった。

 このまま、順調にいけば日付を跨ぐ前に自宅へと着け――




 はしなかった。

 二人は県南の陸橋の上にある停留所で下車すると、石段を降る。

 そして、すぐ近くの高架トンネル脇の歩道で、とりとめもない無駄話に興じた。

 しばらくするとトンネルから出てきた白いライトバンが、二人から少し離れた沿道に車体を寄せて停車する。

 その車体の横には『蛇場見温泉じゃばみおんせん 宝華荘ほうかそう』とある。

 二人は荷物を持って、そのライトバンの方へと小走りで向かった。

 すると、運転席から白髪で丸眼鏡の人のよさそうな顔の男が姿を現す。

 彼は二人に近づき一礼をした。富沢とみざわと名乗り、穏やかな口調で言葉を続ける。

「桜井梨沙様と茅野循様ですね? お嬢様が宿の方でお待ちになっております。お荷物を、こちらへ……」

 そう言って、富沢はライトバンの後部座席の扉を開けると、二人分の荷物を手慣れた様子でトランクへと納めた。

 二人が車中に乗り込みシートに腰を落ち着けると、富沢がライトバンをゆっくりと走らせた。

 それから数十分ほど田園風景を割って延びる道を行き、峠の登り坂に差しかかる。

 夜闇に満たされた山道を走っていると、沿道の木立の向こうに町並みの明かりが見えてくる。

 その町並みの方へと続く左曲がりの下り坂の途中にあった大きな看板が、ヘッドライトの明かりに浮かびあがった。


 『ようこそ! 蛇場見温泉郷へ』


 それを見た桜井が、ぽつりと呟くように言う。 

「……何気にあたしたちの県って温泉が多いよね。有名なところは群馬とか大分だけどさあ」

 その疑問に少しだけ疲れた様子の茅野が答える。

「私たちの県は温泉地の数が全国で第三位らしいわよ」

「ふうん……」

 このあと、その温泉が多い原因であるフォッサマグナについて、茅野がぽつり、ぽつりと解説するうちにライトバンは辿り着く。

 広大な敷地を囲む、丁寧に剪定せんていされた檜葉ひばの生け垣。玄関前にあるロータリーには、立派な松の樹がそそり立っていた。

 そして、その歴史を感じさせる木造建築の絢爛けんらんたる佇まいは大きさもさる事ながら、このひなびた温泉街にあって一際異彩を放って見えた。

「すご……」

「まさか、ここまでとは思わなかったわ」

 流石の桜井と茅野も目を丸くして驚く。

 そんな二人の様子をルームミラー越しに眺めて、富沢は誇らしげに表情を綻ばせる。

「この宝華荘は蛇場見ではもっとも歴史ある宿の一つになります。創業は大正六年ですよ。……さあ、着きました」

 ライトバンは玄関前へと続く石段の前で停車する。

 そして、桜井と茅野が車を降りると庇の奥から女が一人飛び出てきて、ぱたぱたと石段を駆け降りてくる。

 黒地に白や桃や紫の牡丹ぼたんをあしらった振袖姿で、黒髪をきっちりと結いあげていた。

 顔立ちは涼しげな三白眼の美人で、しっかりとしたメイクをしていた。

 桜井と茅野は彼女が何者か解らず、一瞬だけ戸惑う。しかし、その両目の下のくまを見て、記憶にある人物と目の前にいる彼女が同一人物である事を認識した。

 振袖姿の女は二人の元までくると袖で口元を隠しながら、いひひひ……と魔女じみた笑みを漏らす。

「ようこそ。久し振りだねえ」

 あのグリーンハウスでの滞在中に知り合った近藤由貴菜であった。




 ちょうど、同じ頃だった。

 県庁所在地の駅裏にある古びたアパートの和室で、二人の男が簡素なローテーブルを挟んで向き合っていた。

「……ほんで、宮谷みやたには?」

 そう言って、ポールモールのフィルターをくわえて紫煙をくゆらせるのは、石峰大祐いしみねだいすけ

 彼は十年前に起こった金塊強奪事件の犯人の一人である。

「知らない……俺も……」

 石峰の質問に答えたのは、前原健太郎まえはらけんたろうと言う。

 彼もまた金塊強奪犯の一人であった。

「知らないって、お前ら連絡取り合ってたんじゃねーのか?」

 呆れ顔で灰皿に空き缶に灰を落とす石峰。

 そして、目尻を釣りあげ脅すように言う。

「まさか、おめえら、俺がシャバにいねえ間に、金塊に手ぇつけてねーだろうな?」

 前原はぶんぶんと首を振り乱して否定する。

 石峰はゆっくりと煙をふかして……。

「まあいい。取り合えず蛇場見には明日の昼過ぎまでに着けばいい。今日は前祝いといこうや」

「それなら、いい感じのねーちゃんのいる店を知ってるからそこに行こう」

 前原は腰を浮かせて箪笥の上のキーストッカーから車の鍵を手に取った。

 石峰も灰皿に煙草の火を押しつけて立ちあがる。

「いいね」

 二人は前原の運転する白のライトバンで夜の町に繰り出した。

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