【File23】八女洞

【00】危機


 二十九日の昼過ぎ、蛇場見市じゃばみしの路上で警備会社の輸送車が四人組の男に襲撃を受けた。

 犯行グループはピストルを手に、輸送車に乗車していた警備会社職員二名を脅し、金塊の入ったアタッシュケース二つを持ち出して逃走した。

 その被害総額は一億二千万円相当にのぼる。

 県警は強盗事件として捜査を進めている。


(2009・7・29 北越新聞より)

 




 ブラウン管のテレビが、ざざざ……ざざざ……と音を立てた。

 画面に映っていたアイドル歌手の姿が歪み、砂嵐へと変わる。

 すると、テレビを見ながらたくわんをんでいた老婆の顔色が見る見るうちに青ざめる。

「どうしたの!? ばあちゃん」

 不安げな表情で、卓上の皿から唐揚げを摘まんだ箸を止めるおかっぱの少女。

 すると、蛍光灯が明滅し、山の方から吹く風がガタガタと家を揺らし始める。

 老婆は慌てた様子で座布団から腰を浮かして、家の表に面した窓際に寄る。

 そして、外の様子をうかがいながら少女に手招きをした。

「ほれ、ユキちゃん、こっちきなっせ」

「何? ばあちゃん、怖い……」

「いいから。家の中にいれば・・・・・・・大丈夫」

 しばし少女は逡巡しゅんじゅんしたあと、立ちあがり祖母の元へと向かう。

 そして、虫除けの網戸越しに外をのぞき込む。

 すると、庭先の紫陽花あじさいひいらぎが生温い風に揺さぶられていた。

 その奥に連なる苔むしたブロック塀の向こう側に横たわる表通りを右手の方から誰かが歩いてくる。

 ゆっくり……ゆっくり……。

 前髪と両腕を垂らし、まるで墓場から蘇った死体のように……。

「ばあちゃん……」

 しわがれた横顔を見あげる少女。

 老婆は唇の前で指を立てた。

「ほれ。あれが“ナナツメサマ”だよ……」

「ナナツメサマ……」

 少女は、ぽかんと窓の外を見ながら、その名前を呟いた。

「いいかい? 大禍時おおまがときに、八女洞はちめどうに近寄ったらいけないよ。ナナツメサマに取り憑かれてしまう」

「おおまがとき……? ナナツメサマ……?」

 聞き慣れない言葉だった。しかし、その言葉から漂う不吉な香りを敏感に嗅ぎとった少女は眉間に大きなしわを寄せた。

「大禍時はね、夕暮れの事だよ。常世とあの世の境目が開く。ナナツメサマは普段はあの世にいるけれど、大禍時に、向こうからこっちへやって来るのさ……」

 表通りの影は、ゆっくり……ゆっくり……と歩み、窓から漏れる光の中へとやってくる。そこに照らし出されたのは作業着をまとった見知らぬ男だった。

 不安になった少女は、再び老婆の顔を見あげる。しかし、彼女の表情はいつものように冷静だった。

「ちょっと、話し声が大きかったかねえ……こっちに気がついたようだよ」

 男はゆらゆらと上半身を前後に揺らしたまま、ぴたりと足を止めた。

 男はしばらく足を止め続けて、不意に動く。少女たちの方へと顔を向けた。

 頭から垂れ落ちるぼさぼさの長い黒髪に縁取られた顔は、色濃い闇に包まれている。

 そこに真っ白い何かがパチリとまたたいた。

 それは二つの眼だった。

 眼球が激しく、出鱈目でたらめに動いている。

 縦に、横に、上下に、斜めに……信じられないぐらいの速さで動いている。

 まるで、目玉が沢山あるかのようだった。

「ひっ……」

 少女は悲鳴を漏らさぬように口元を両手で覆った。

「大丈夫。ここから見てるだけなら、安全さあ」

 老婆は優しい声でそう言って、窓の外から覗くナナツメサマを見据える。

「……でも、もしも、表で出会ったら絶対に捕まってはいけないよ。そうしないと、精気を吸われてしまうからね」

 少女は必死な顔で、コクコク……と首を揺らす。

「どうだい? 怖いだろう? この籠目村は、呪われているのさ……いっひっひひひ……」

 老婆はそう言って、笑い声をあげた。




 二〇二〇年三月四日――。


 冷々ひえびえとした深夜。

 人里離れた夜陰に明かりが二つ、人魂のように揺れている。

 その後ろから禍々しいモノが、ゆらゆらと揺れながら……音もなく迫る。

「はぁ……はぁ……腹パンが効かない・・・・・・・・だと・・!?」

 桜井梨沙が悔しげにほぞを噛み、未舗装の道を全力で駆ける。

 斜め右後方では、茅野循が長い黒髪を振り乱しながら必死に彼女のあとを追っている。

 その後ろから迫るのは男だった。

 歳の頃は三十代くらいだろうか。

 両目が激しく動いている。

 縦に、横に、上下に、斜めに……まるで、震えるように、信じられない速さで……。

 その右手には人を殺す為だけに作られた機具――サプレッサーつきの拳銃が握られていた。

 男は足を止めぬまま、ゆっくりと右腕を伸ばした。

 ぱすん……と、気の抜けた発砲音がして、茅野のかかとのすぐうしろの土が跳ねた。

 しかし、彼女は冷静に前を見たまま走り続ける。

 そして、これまで見てきたもの……たくわえてきた知識……そこから、この困難を打破する最善手を導きだそうとする。

 やがて二人が未舗装の坂道を抜け、廃村のアスファルトの路地へと足を踏み入れたそのときだった。

 茅野循の目の端に映るは、荒れ果てた庭先と今にも潰れそうな廃屋の軒先……。

 そこで彼女の脳裏に天啓が訪れる。


「成る程……だいたい、解ったわ」


 そう言って茅野循は勝利に向かって動き出した――

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