【03】生け贄


 運ばれてきた食事は、正式に宿泊したときに提供されるものではなくまかないめいたメニューであったが、かなり豪勢だった。

 白身魚の唐揚げタルタル丼と豚汁、白菜の浅漬けで、デザートのりんごは兎の形に切り揃えてある。

 そのボリュームは流石の桜井ですら申し訳なく思えるほどだった。当然ながら味も文句のつけようがない。

 そんな、少し遅めの夕食に舌鼓をうちながら、二人は近藤の話に耳を傾ける。

「この旅館は先代の頭が馬鹿でね。借金が十億近くあったんだ」

「じゅ、十億……」と桜井が目をむいて驚く。

「この旅館は呪われている……訳ではなくて、バブルが崩壊して景気が悪くなっても、過去の栄華に甘えて何もしてこなかったツケが回っただけなんだけどねえ」

 収益は年々下り坂となり、ついには破産一歩手前というところまで落ちぶれてしまったのだという。

「そこで立ちあがったのが、瞳義姉さんでね……」

 彼女は先代のオーナーと離婚した前妻との一人娘である。

 因みに由貴菜は先代オーナーの再婚相手の連れ子で、瞳とはいっさい血の繋がりはない。

 その由貴菜の母が病死したのが七年前の事。

 既に旅館の経営は立ちゆかなくなっていたうえに、突然訪れた再婚相手の死。

 先代オーナーもすっかり気落ちして、塞ぎ込んでしまった。

 いよいよ、この蛇場見で百年以上続いた宝華荘も幕引きのときか……と、誰しもが確信に近い思いを抱いた。

 しかしここで、当時大学を卒業したばかりだった瞳が奮起する。

「義姉さんは、逃げ遅れて泥船に乗り続けていた従業員たちをまとめあげ、徹底的な経費削減と伝統をぶち破る型破りなアイディアを次々と打ち出していった。結果、経営は徐々に上向きになっていったのさ」

「まるで、ドラマか映画みたいな話ね」

「まったくだよ」

 と、近藤は茅野の言葉に答え、ずるずると玉露ぎょくろすすりあげる。その表情は得意気で、心の底から義姉の瞳を尊敬しているさまがうかがえた。

「……そんなこんなで、ようやく借金完済が見えてきて、さあこれからというときに忌々しいあの病さ」

 彼女は寂しげに笑って肩をすくめる。

「そこで、ワタシを人柱・・にしようっていうんだよ」

「人柱……?」

 桜井が箸を止めて首を傾げる。

「ワタシの婚約者だって男が、この蛇場見じゃ有名な旧家の名門の血筋でね……歳は今年で三十だったかな?」

 その彼の家は県内の政財界に顔が効き、かなりの資産家であるらしい。

 宝華荘が苦境にあったときは何度も助けてもらった恩があるのだとか。

 その家の跡取りが「病禍が集束したら由貴菜さんと結婚したい」と彼女の義父である先代オーナーに申し出たらしい。

 どうも三年前の正月に、この旅館を訪れたときから由貴菜の事を見初めていたのだとか。

「それで、義父が勝手にそいつの申し出を了承してしまったのさ」

「は? 勝手にって……」

「とても現代の話とは思えないわね」

 桜井と茅野は盛大に呆れる。

 今回、義父が彼女を実家に呼び出した理由が、この婚約の件だったのだという。

「義父は隠居して、経営の方には口出しはしないけど、家の事となると未だに声がでかくてねぇ。しかも厄介な事に私を嫁がせる事が、この宝華荘の為になると本気で思っているのさ。この旅館の再建を自分の手で成し遂げられなかった事に負い目があるらしくてね……そんなの今さらどうだっていいのに」

 嫌悪感に表情を歪ませる近藤。

 すると、茅野が得心した様子で頷く。

「成る程。その負い目から、貴女の義父は何でもいいから、この旅館に利する事を自らの手で成し遂げたかった。だから貴女とその跡取りの婚姻をまとめて、名家と強固な繋がりを作ろうとした……って、ところかしら?」

 近藤が「そうだよ。大当たりさ」と頷いた。茅野は更に続けて述べる。

「……そして、その跡取り息子の方はこのご時世ならば万に一つも断られる事はないと踏んで、あえてこのタイミングで婚約を申し入れた」

「そう。あの跡取りは、こっちの足元を見ていやがるのさ。だいたい、何で端から義父の方に話を持っていくのさ。ワタシと結婚したいなら直接言いにくればいいのに!」

 憤慨した様子の近藤。

 桜井が一言「それはクソだね」と端的に吐き捨てた。続けて、近藤へ質問を投げかける。

「……で、もし直接プロポーズされてたら、ありだった? なしだった?」

「なしだよ」

 即答である。

 そして、戸惑った様子でこうつけ加えた。

「そもそも婚約だの結婚だの急過ぎるよ」

「断れないの……?」

 桜井が気遣わしげに眉尻を落とした。

 近藤は首を横に振り、

「こういう古い田舎のでかいだけが取り柄の家には、未だに色々としがらみがあってね。それに、これからこの旅館の経営が厳しくなるのも事実だし……」

 しょんぼりと項垂うなだれる。

「そんな訳で、私が実家に帰ってきたのを知った婚約者が、急に明日、訪ねてくる事になったのさ。ワタシと直接話したいらしいよ。本当にすまないね」

「そういう事なら構わないわ。大変なときに押しかけてきたのは私たちだし」

 茅野の言葉に桜井も頷いて同意する。

「うん。場所だけ教えてもらえれば、スポット探索はあたしと循でいくよ」

「本当にすまないね……義父に呼び出された時点でろくでもない話だとは思っていたけど、まさかこんな事になろうとはね……」

 心底申し訳なさそうな近藤。

 どうせ、大学卒業後の進路の事についてあれこれ言われる程度だろうと、高を括っていたのだそうだ。

 ふと会話が途切れ、気まずい沈黙が訪れる。

 そこで桜井は気分を変えるために――なのか、純粋な好奇心かは微妙であったが――わざと明るい声をあげる。

「それで、そのスポットっていうのは、どんな場所なの?」

 すると近藤も姿勢を正して、いつもの調子に戻る。

「……この蛇場見の外れに籠目村っていう所があってね。今はもう廃村になっているんだけど。その近くの山中に八女洞っていう場所があるんだ……」

 それは登山道から少し離れた場所にある、沢沿いの岸壁に空いた洞窟であるらしい。

 地元民は滅多に誰も近寄らず、郷土の資料にもほとんど名前が残っていない忌み地なのだという。

「そこには“ナナツメサマ”という恐ろしい化け物が棲んでいるという言い伝えがあるのさ」

「ナナツメサマ……聞いた事がないわね。妖怪の類かしら?」

 茅野が神妙な表情で言った。

 すると近藤は、ひひひ……と、引き笑う。

「ナナツメサマはねえ、本当にいるんだよぉ。何せワタシは小さい頃に実際に見たんだからねえ……」

 そして、彼女は魔女めいた調子で、己が小さい頃に祖母の家で見たモノの話を語り始めた。

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