【23】後日譚


 二〇二〇年二月十七日の昼休みだった。

 オカルト研究会の部室で、桜井と茅野は西木を交えて昼食を取っていた。

 当然ながら話題の矛先は例のグリーンハウスの一件へと及ぶ。

 因みに関係者には既にメッセージで経過を報告済みであった。

「……けっきょく、犯人の動機って何だったんだろうね」

 西木がそう言いながら、弁当箱から箸で卵焼きを摘まみあげる。

 その彼女の問いに、茅野はコンビニのサンドウィッチの包装をむきながら答える。

「君田さんへの恋慕れんぼの情なのか……被害者への憎しみか……もしくは、その両方か」

「単に壺の力を試してみたかったっていう可能性もあるねえ……」

 桜井がそう言ってササミチーズカツを噛る。

「いずれにせよ、真実は藪の中よ」

 茅野はそう言って、サンドウィッチを一口んだ。

 そこで西木が、ふと思い出した様子で声をあげる。

「そういえば、あず姉に聞いたら、やっぱり杉橋っていう人がライブに来てたの知らなかったみたいだよ」

 杉橋亮悟が『葬儀屋キルタイム』の隠れファンだった……それを知らされた小松は十六日の深夜に帰宅して早々、杉橋の元を尋ねて直接問い質したのだという。 

「グイグイいくねえ……」

 と、感心した様子の桜井。茅野も興味津々といった表情で「それで、どうなったのかしら?」と話を促す。

「杉橋さん本人によると、あず姉がグリーンハウスに引っ越してきて、初対面で一目惚れだったらしいよ」

 何でもギターの音が五月蝿うるさくて文句を言いに二〇一号室へ向かったところ、部屋から出てきた小松を見て何も言えなくなってしまったらしい。

 そのとき杉橋は適当に言葉を濁して、自らの部屋へと引き返したようだ。

 どうも彼は厳つい見た目に反してかなりピュアで奥手らしい。

「まあ、あず姉も突然一目惚れされたとか告白されて困惑してるみたい」

 因みにこの数日後、小松梓と杉橋亮悟はめでたく交際し始める事となるのだが、それはさておき……。

「取り合えず、一件落着って事でよいのかな? 危険な呪術を使える犯人は、もう目覚める事はなさそうだし」

 西木が何とも言えない表情で、おにぎりにかぶりつく。

「目覚めても、もう二度とあの壺を作る事はないんじゃないかしら?」

 茅野の見解に桜井も同意する。

「そだね。ずっと、どこぞのギャングのボスみたいな事になってた訳だし」

 意識不明だった入鹿が、ずっと悪夢を見続けていた……あの話は、君田の溜飲りゅういんを少しでも下げようと考えた茅野の想像であった。

 しかし、九尾によれば、実際にそうなっていた可能性は極めて高いのだそうだ。

「あははは……確かに、私ならもうやらないわ」

 西木が引きった笑みを浮かべた。

 そこで桜井は、くまさんの水筒からほうじ茶をついでグビリと飲んでから話題を転換させる。

「……それにしても、今回は関係者がほぼ全員、濃厚キャラだったから疲れたよ」

 茅野も深々と頷く。

「本当ね。こうして西木さんと話をしていると、貴女のよさを再認識するわ」

「私?」

 きょとんとした表情で自らを指差す西木。

 桜井も腕組みしながら「うんうん」と茅野に同意する。

「そうだよねえ。キャラが薄すぎず、それでいて、あっさり、まったりとしてコクがある……西木さんは最高だよ」

「な、何だか知らないけど、誉めてくれて、ありがとう」

 西木は困惑気味に笑いながら礼を述べた――








 ……くん、起きて。


 遠くから声が聞こえた。

 それは最愛の人の声だった。

 入鹿卓志は重たい目蓋をゆっくりと開く。

 すると、ぼやけた視界の中、満開に微笑むのは幼馴染みの君田優子であった。

「ここは……?」

 瞬きを繰り返す。見慣れぬ薄暗い部屋。窓硝子は雨粒に濡れている。窓の外が青白く輝き、しばらくして遠雷のいななきが聞こえた。

「病院だよ、タクくん」

 君田が入鹿の問いに答える。

「タクくんは、車にかれて……ずっと、意識が戻らなくて……それで……うっうう」

 君田は崩れ落ちるように膝を突いて、ベッドの縁に突っ伏して泣き声をあげ始める。

 そこで入鹿はようやく思い出す。

 あの四月八日。

 満開の桜咲く夜道で矢島と電話をしながら、術が上手くいった事を確信した。

 次の瞬間、凄まじい衝撃……地面から両足が浮いて、次に気がついたときは、あの悪夢の中にいた・・・・・・・・・――。


 明滅する明かり。

 光から闇、闇から光へ。

 やがて、不穏な車内アナウンスと共に始まる残酷劇。

 入鹿はすぐに悟る。

 これはきっと、呪いが自分に返ってきたのだ、と。

 入鹿は冷静だった。

 先頭車両の最前列左の乗車口のドア……それが、緊急脱出用の非常口だった。

 すぐに座席から腰を浮かせて、先頭車両を目指す。

 本来なら開かないはずの左の乗車口のドアをあっさりと開ける。

 その向こうに渦巻く色濃い闇の中。

 そこに飛び込めば、目を覚ますはずだった。

 思い切って乗車口から飛び降りる入鹿。

 しかし、次に目に飛び込んできた光景は、光から闇へ明滅する明かりの中、不気味に浮かびあがる電車の車内だった。

「ど、どういう事だよ」

 入鹿は立ちあがる。

 再び先頭車両へ向かう。脱出口に飛び込むも、結果は同じであった。

 繰り返される車内アナウンス。

 入鹿は目覚める事が出来ずに悪夢の中をさ迷う事となった――




「よかった。本当によかった……タクくん」

 その君田の声を聞いて入鹿は実感する。

「目覚める事が……できたのか……?」

「そうだよ。タクくん……うっうう、本当によかった」

 入鹿の口元が歓喜の笑みに彩られる。そして、君田に一番聞きたかった事を質問した。

「ねえ、優子ちゃん」

「何?」

「矢島はどうなった?」

 入鹿は矢島の事が大嫌いだった。

 そもそも、彼は君田の事が好きで彼女と一緒にいたかっただけだ。そこに矢島がズカズカと割り込んできたに過ぎない。

 事実はどうあれ、入鹿の視点ではそういう事になっていた。

 やがて、君田と時間を過ごすうちに彼は自分ではどうやっても、彼女の心を手にする事ができないのだと悟った。

 事実はどうあれ、入鹿はそう思い込んでしまった。

 だから、見守っているだけでよかったのに……。

 そんな偶像アイドルに、矢島は手で触れて汚した。いつかは他人の物になってしまうにせよ、彼にその役目を譲るのだけは我慢ならなかった。

 子供の頃からずっと一緒で、世界の誰よりもその人なりを理解していただけに、許す事ができなかった。

 だから入鹿は彼を殺す事にした。

 このうえなく残酷で、自分が絶対に罪に問われる事のない方法で……。

「ナオくんは……ナオくんは……」

  その偶像アイドルは依然として、すすり泣きを止めようとしない。

 自分の為に彼女が涙を流してくれている……その事が、とても嬉しかった。

「優子ちゃん……」

 入鹿は寝たまま首だけを動かし、最愛の彼女へと目線を向けた。

 青白い雷光が窓の外から射し込む。

 その瞬間だった。

 入鹿は、ぎょっとして凍りつく。

 なぜならベッドの端に置かれた君田の手が茶色い体毛に包まれていたからだ。

 それは、まるで猿の手のような……。

 突っ伏していた彼女がゆっくりと顔をあげる。

 張り出したおでこと、突き出た顎。潰れた鼻。その君田優子と似ても似つかぬモノは、にっ、と犬歯をむき出して笑った。

 入鹿は悲鳴をあげてベッドから飛び起きようとした。しかし、なぜか身体が動かない。

「糞……何でだ!? これは、どういう事なんだ!?」

 もがいていると、病室の扉が開いて猿顔の医師と、看護士が数名やってくる。

 入鹿の眠っているベッドを取り囲んだ。

 医師は強引に彼の右眼を指先で押し開くと懐中電灯の光を当てた。

「……これは、エグリダシだなぁ」

 その声は、あの悪夢の車内アナウンスのものとよく似ていた。

 白衣のポケットからメスが取り出される。

「何で! 何でだよっ!」

 絶叫して泣き叫ぶ入鹿は気がついていなかった。

 まだ自分が夢の中にいる事を。

 去年の四月八日から凡そ十ヶ月の間、何度も繰り返されてきた悪夢は、彼の精神に深刻なダメージを与えていたのだ。

 メスの切っ先が右眼に迫る。


「やめろッ! やめろぉおおおおおおおおッ!!」


 呪いは九尾天全の手により消え失せた。

 しかし、彼の悪夢はまだ終わらない――






(了)

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