【21】フーダニット


 雨粒に濡れた車窓の外を流れる灰色の風景を眺めながら、桜井と茅野の会話は続く。

「でも、動機は? 入鹿って人、矢島さんと仲がよかったんだよね? 確か」

「ええ。でも、付き合いが深かったからこそ、色々と思うところもあったんじゃないかしら? でも、今はそんな事はどうでもよいわ。問題なのは近藤さんの部屋を訪れたあとで、私が提示した二つの疑問……覚えているかしら?」

「うん。“犯人はなぜ、人気ひとけのない春休み中に壺を埋めなかったのか”と“犯人の目的が矢島直仁を殺す事ならば、なぜ矢島直仁が死んだあとも、あの壺を回収しようとしなかったのか”だよね?」

「そうよ」と言って茅野は右手の人差し指を立てる。

「つまり、犯人は春休み中に壺をパティオへと埋める事ができず、矢島直仁の死亡後も壺をそのままにしておく必要があった人物……という事になる。その条件に当てはまるのは、私たちの知る関係者の中では杉橋亮悟ただ一人だけだった」

 そこで車内アナウンスが次の駅名を告げる。もちろん、それは猿夢の中の物騒な言葉ではなく、いたって普通の駅名だった。

「杉橋が犯人だと仮定すると、彼の動きは次の通りになるわ。……まず杉橋は梨沙さんの推測通り、二月九日の一件で矢島を殺そうと決意する。そしてグリーンハウスを出たあと、岡山へ向かい、あの壺を準備した。しかし……」

「春休みいっぱい時間が掛かってしまったんだね?」

 桜井の合いの手に茅野は頷く。

「そうよ。そして、彼が矢島死亡後も壺を回収しなかった理由は、二〇一号室に新しい住人が入って欲しくなかったから。騒音に敏感だった彼は、隣室に住人がいて欲しくなかった。たがら、誰かが入居しても、すぐに排除・・・・・できるように・・・・・・あの壺を埋めたままにしていた。当初は逆側の隣室に住む入鹿卓志も彼によって排除されたのだと、私はそう思っていた」

 電車が減速しだす。二人は椅子から腰を浮かせて近くの乗車口へと向かう。

「……でも、入鹿卓志の事故は明らかに猿夢が原因ではないし、そもそも隣室の騒音が五月蝿いのなら、二〇一か二〇三に部屋を移るべきよ。そうすれば、このグリーンハウスの構造上、隣室の数が一つ減るのだから。でも杉橋は矢島の死後も、入鹿の二〇三号室が空いたあとも、そうしていない」

 電車が停まり、空圧式のドアが気の抜けた音を立てて開く。二人はホームに降り立ち地下連絡路を通って改札を目指した。

「……それでも、あの稲毛徹平から話を聞くまでは、彼が最有力容疑者である事は間違いなかった」

「じゃあ、あのキモいおっさんの話も役には立ったんだねえ」

 しみじみとした口調の桜井。茅野は鼻を鳴らして笑う。

「そうね。彼から、矢島直仁の彼女が春休みいっぱい二〇一号室に入り浸っていた事を聞いたとき、もしかして、犯人は矢島直仁の彼女を殺したくなかったのではないかと閃いたの。そこで入鹿卓志の存在が私の中で急浮上しだした」

「確か彼女さんは、矢島と地元が一緒。高校の同級生だった入鹿って人も地元は一緒だろうし」

 と、納得した様子の桜井。

「それだけじゃないわ。彼がもしも犯人ならば、矢島直仁が死んだあとに壺を回収しなかった理由にも、すんなりと説明がつくわ」

壺を回収しなかった・・・・・・・・・のではなく・・・・・回収できなかった・・・・・・・・・んだね・・・? 怪我をして・・・・・いたから・・・・

 茅野は気取った口調で「Exaそのとおりctlyでございます」と答える。

「じゃあ、事故は偶然?」

「恐らくはね」

 二人は改札口を潜り抜ける。

 狭い駅構内を通り抜けてバス停を目指す。

「……そもそも、あの壺について九尾先生の話を聞いたときに、少しだけ引っ掛かってはいたの」

「何を?」

実は入鹿という・・・・・・・姓は岡山県が・・・・・・発祥なの・・・・

 桜井が、ぽん……と、両手を打ち合わせる。

「そう言えば、あの壺は岡山県に伝わる呪術だったね」

「そうよ。それでも明確な動機があるのは杉橋亮悟の方だし、彼が犯人でも、すっきりとはしないけれど筋は通る」

 肝心の杉橋は今朝までずっと不在であったし、壺は九尾の手によって処分された。

 そして、犯人は自分に呪いが返ってきているにも関わらず解呪できていなかった事から、何らかの不測の事態が起こって身動きが取れないであろう事は明白だった。よって、犯人探しを急ぐ必要がなくなる。

 そんな訳で、桜井のテスト勉強の方に集中する事となったのだが……。

「……でも・・今日の朝・・・・杉橋亮悟が・・・・・犯人ではあり・・・・・・得ない事が解った・・・・・・・・

 茅野の言葉に桜井が頷く。

がすちぇんばーだね・・・・・・・?」

 あの杉橋亮悟の手首に巻かれていたビニールのバンドに記された文字だ。そのお陰か茅野の中でいったん眠りに就いていたこの一件への熱が再燃してしまったらしい。

 そして、桜井はGASCHEMBURガスチェンバーという言葉の意味するところは既に知っていたが、あのバンドが何なのかよく解らなかった。

「で、あのバンドって、けっきょく何の為に着けていたの?」

あれは・・・ライブイベント・・・・・・・なんかでよく・・・・・・使われる再入場用・・・・・・・・のパスよ・・・・。チケットと引き換えに入り口で手首に巻かれる。使い捨てで一度外したら二度とつける事はできない。きっと杉橋亮悟は、ライブイベントのあとも外すのをずっと忘れていたのね。たまにあるのよ」

 その手のイベントに参戦した経験のある茅野循は、すぐに閃いた。

 そしてスマホで検索したところ、都内にある『GASCHEMBURガスチェンバー』というライブハウスの名前が引っ掛かる。

 どうも、このライブハウスの所在してる雑居ビルが少し複雑な構造をしており、他店舗とトイレなどのスペースを一部共用しているのだとか。

 その為に、このような使い捨てバンドを用いた再入場制をとっているらしい。

 そして二月十五日の夜に、そのライブハウスで行われたイベントに出演していたバンドの中に『葬儀屋キルタイム・・・・・・・・』の名前を見つける。

恐らく杉橋亮悟は・・・・・・・・小松梓の所属する・・・・・・・・葬儀屋キルタイム・・・・・・・・のファン・・・・……もしかすると・・・・・・小松梓のファン・・・・・・・なのかもしれ・・・・・・ないわね・・・・

「あの様子だと隠れファンだろうね。きっと」

 桜井が、口元に手を当てて笑う。

「兎も角、彼がいつから『葬儀屋キルタイム』のファンなのかは知らないけれど、彼が犯人ならば、あの壺を残しておく事はあり得ない」

「だから、入鹿卓志の方が犯人なんだね?」

「ええ。でも、ここは雪山の山荘でも嵐の孤島でもない。私たちの知らない場所に、私たちの知らない容疑者がまだいるかもしれないわ」

「だから、犯人の印が入鹿さんにあるのか確かめようっていう訳なのか……」

 そう桜井が話を結んだところでバスがやってくる。

 二人は、そのバスに乗り込み入鹿卓志が入院中の総合病院を目指した。




 桜井と茅野が病院を目指す少し前だった。

 君田優子は入鹿志朗から到底信じがたい話を聞かされていた。

 何でも岡山にあるという志朗の生家の倉には、決して読んではならないと言い伝えられている書が眠っているらしい。

「その書には、恐ろしいまじないのやり方が記してあるというんだ」

まじない……?」

 いきなり飛び出した非現実的な言葉……しかし、戸惑いはなかった。

 端から今回の一件には、そうしたモノが関わっていると、君田は考えていたからだ。

「その呪いを使えば、人を眠ったまま死に至らしめる事ができる……」

 本当か嘘かは判然としないが書物に触れるだけで、瘴気しょうきに当てられ気が触れるとして、処分される事もないまま箱に封じられていたのだという。

 因みに志朗はその呪いがどういうものかは、それ以上の事は知らないらしい。

 祖父や祖母から箱を開けるなと、きつく言われていたからだ。

 志朗自身も、そんな恐ろしいモノなど見るのも嫌で倉に近寄ろうとすらしなかったらしい。

 しかし、彼の息子である卓志は別だった。

「……あいつは昔から、暗い物や死にまつわる事柄に興味を持ってばかりいた……小さな頃、実家に遊びにいったとき、倉に忍び込もうとして、じいさんにこっぴどく怒られた事があった」

 そう言って、顔をしかめる志朗。

 君田は恐る恐る言葉を発した。

「じゃあ、タクくんは、その呪いの本を……」

「私の知らぬうちに読んでしまったのだろうな……」

「何で……」

 君田はもう一度、忌々しい暗黒のアルバムを開く。

 入鹿はずっと自分の事が好きだったのか……。

 矢島の事をずっと嫌っていたのか……。

 その本心を聞き出せる機会は、もう来ない。

「息子が人をあやめたのかもしれない……墓の下まで持っていこうかとも思ったが……独りでは抱え切れんかった……」

 そう志朗は声をしぼり出して泣いた。


 このあと、君田は入鹿宅から卓志の眠る総合病院へと向かった。

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