【20】写真
二〇二〇年二月十六日。
物悲しげな雨垂れの音を聞きながら、君田優子は朝食を取ったあと、入鹿宅へ電話をして、これから向かう旨を伝えた。
時刻は十時半だった。
身支度を整え、傘を差して玄関をあとにする。
雨粒に打たれて揺れる庭木の
入鹿宅は君田の実家から徒歩十分程度の場所にあった。
ひび割れ苔むしたブロック塀に囲まれた一軒屋で、玄関に向かって左側へと続く白いカーテンに覆われた縁側や、ゴルフ練習用のネットが掛けてある狭い芝生の庭先は昔からあまり変わらない。
懐かしさを覚えた君田は、門前から続く石畳を渡り
外に向かって雨露を払っていると、背後の磨り硝子の引き戸がガラガラと音を立てて開く。
中から顔を覗かせたのは入鹿卓志の父、志朗である。
髪は白く染まり、顔中にしわが増えた。
数年前に妻を亡くし、今は志朗だけがこの家に一人で住んでいる。
そんな彼だけが、記憶の中にある姿と大きく変わってしまったような気がして、君田は少しだけ切なくなる。
「久し振りです。おじさん」
昔のようにそう呼ぶと、志朗は身体の痛みを堪えるように顔をしかめて笑った。
それから、定型的な挨拶を交わし合って、君田は居間へと通される。
しばらく待つように言われ、その通りにしていると、何やら黒い本のような物を持って志朗が戻ってくる。
彼は座卓を挟んで君田の正面に座ると、その黒い本のような物を差し出しながら言う。
「優子ちゃんに見せたい物っていうのは、これなんだ……」
「これは……」
「取り敢えず見て欲しい」
そう言われた君田は、黒い本を受けとる。どうやら、それは随分と年期の入ったアルバムらしい。
表紙をめくる。
そして、まず最初に目に飛び込んできたものを見た瞬間、君田は凍りつく。
それは君田と矢島、そして入鹿が幼い頃に撮られたと思われる写真だった。
どこかの公園の砂場であろうか。
三人とも横一列になってしゃがんでいる。
右端の君田は満面の笑みで両手を掲げてダブルピースを決めていた。
左端の入鹿は玩具のスコップを持ってご満悦の様子だった。
そして、真ん中の矢島の顔は、カッターナイフで幾度も切りつけられた痕があり、その表情は
次のページをめくる。
幼稚園、そして小学校時代……両親が撮影した写真だろうか。仲睦まじげなスリーショット。
しかし、そのすべての矢島の顔は無惨に切りつけられている。
そして、中学校時代。
ここから君田が単独で写っている写真が増えてゆく。
しかし、そのどれも君田には撮られた覚えがなかった。どう見ても隠し撮りされたような構図のものばかりである。
怖気をこらえ、更にアルバムをめくる。
高校時代……この頃は、矢島と入鹿とはまったく交流していなかったはずだ。
写真どころか入鹿と会話をした記憶すらない。
そして、高校卒業後……そして、次第に矢島とツーショットの写真が増えてゆく。もちろん彼の顔は傷つけられ、無事ではない。
その中にはグリーンハウスのあの部屋で、あられもない姿で抱き合う姿をおさめたものまであった。あの掃き出し窓から
ここで君田は確信する。
あのねばつくような視線と気配。
初めて部屋を訪れたときに視界の端に見えた男の顔。
その正体が入鹿卓志であったという事を。
君田は
すると、志朗は両目に涙を溜めながら、こう言った。
「矢島君は息子に殺されたのかもしれない……」
朝食を食べたあと、桜井と茅野の二人は九時頃まで勉強をすると、退出の準備を整えて部屋の掃除を始めた。
けっこう音を立ててしまったが、特に隣の杉橋からクレームがくるような事はなかった。それが済むと部屋を出る。
そして、このグリーンハウスの滞在期間中に仲よくなった近藤の元を訪れて別れを告げた。
さんざん名残惜しむ近藤をどうにかなだめすかし、二人はグリーンハウスをあとにする。
オーナーの家にも寄って挨拶とお礼を済ませ、最寄りの駅へと向かった。
しかし、二人は藤見方面とは逆方向の電車に乗り込み、二両編成の長椅子に並んで腰をかけた。
休日の朝で雨天という事もあり乗客は少ない。
やがて電車が走り出すと、揺れ動く頭上の吊革を見あげながら、桜井が話を切り出した。
「けっきょく、今回の一件はどういう事だったの?」
すると茅野はいつも通り、得意気な微笑みを浮かべながら真相を語り始める。
「事故に遭った入鹿卓志が二〇一号室の矢島直仁を殺す為に、あの蟲術の壺をパティオに埋めた。これが、グリーンハウスでおきた一連の出来事の真相よ」
これから二人は、まさにその入鹿が入院中の病院へと向かおうとしていた。
術者の印たる刺青が、彼の身体に刻まれているかどうか、最後の答え合わせをする為に……。
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