【12】混迷
和箪笥や
大きめの本棚に並ぶのは、三島に太宰に芥川、乱歩や正史などの昭和の文豪たちの全集であった。
シーツやカーテン、クッションは、
魔女染みた容貌の近藤由貴菜の部屋は、意外な事にお洒落な和モダンの様相であった。
ここにも彼女の癖の強い性格が滲み出ており、流石の桜井と茅野も呆気に取られた様子だった。
二人は近藤に「時間が空いているなら少しお茶でもどうか」と誘いをかけたところ、二つ返事でOKされ、部屋に招待される。これ幸いにと乗り込む事にした。
そんな二人の目の前の座卓に、近藤が不気味に笑いながら、温かい玉露と大きなおはぎを乗せた
「さあ、どうぞ……」
そう言って、二人の向かいに腰をおろした。
さっそく、おはぎにパクつき始める桜井。その様子を見て目を細める近藤。
茅野は
「お招きいただきありがとうございます」
「良いんだよ。どうせ、春休みで暇だからねえ……ここの住人も殆ど出払ってしまったし」
やっぱりか……と、内心思いながら、茅野は話を切り出す。
「そういえば、二〇二の杉橋さんでしたっけ?」
「ああ……彼がどうかしたのかい?」
「挨拶をしたかったのですが、彼も春休みで帰省中ですか? 何時も訪ねてもいらっしゃらなくて」
「いんや、どうだったかな……?」
と、答えて近藤は記憶を探る。
「ああ、いや。確か実家には帰らないと言っていた気がするから、何処かへ出掛けているだけだと思うけどねえ」
「そうですか」
と、困り顔を作り、うつむく茅野。
「前の住人だった矢島さんと、ずいぶん揉めていたと聞きました。何でも、神経質な方で、物音に敏感なのだとか。一応、挨拶しておきたかったんですが」
「ああ……」と苦笑する近藤。
そのリアクションの意味するところが解らず、顔を見合わせる桜井と茅野。
そんな二人に近藤は質問を返した。
「杉橋と矢島が揉めていただなんて、そんな話、誰から聞いたんだい?」
おはぎをぺろりと食べ終えた桜井が正直に答える。
「あのキモ……いや、稲毛さんという人から」
すると、近藤は鼻を鳴らし、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「確かに杉橋は神経質な奴だけど、はっきり言って、矢島は嫌われていたからね。あいつと揉めたなんて、ここの住人の間じゃあ、そこまで珍しい事じゃないよ」
どうにも、矢島という男はずいぶんとマナーの悪い男であったようで、杉橋以外の住人とも衝突が絶えなかったらしい。
部屋に女性を連れ込んで朝まで騒いだり、ゴミ出しのルールを守らなかったり、“煙が出ないから喫煙に当たらない”として共用スペースで電子煙草を吹かしたりと、ずいぶんやりたい放題だったのだという。
「稲毛だって、そうさ。アイツは気弱だから愛想良くしていたみたいだけれど、矢島の方は露骨に歳上の稲毛を見下していたからね。よく麻雀でカモにされていたみたいだよ」
そこで近藤は肩をすくめ悪戯っぽく笑う。
「矢島の死が殺人事件なら、このグリーンハウスの住人全員が容疑者だろうね……」
あながち冗談とも言えないので、桜井と茅野は何とも言えない表情で顔を見合わせる。
「まあ、仲が良かったのは、事故にあった入鹿くらいなもんかねえ……本当のところはどうだか知らないけれどさぁ……」
いひひひ……と、不気味に笑う近藤。
最有力容疑者の杉橋の話を訊くつもりだったが、結果として疑わしい人物の数が増えてしまった。
茅野は困惑気味の表情を浮かべるも、少し温くなった緑茶を啜り切り替える。
一方の桜井は、何も考えていなさそうな顔でぼんやりと、まだ手つかずの近藤のおはぎへと熱い視線を送っていた。
それに気がついた近藤が桜井におはぎを差し出す。
喜んでおはぎにかぶりつく彼女を差し置いて、茅野はひとまず確認しておきたかった事を近藤に尋ねる事にした。
「そういえば、話は変わるのですが……」
「何だい?」
「近藤さんが見たというパティオの不審者……」
「ああ。あれがどうかしたのかい?」
「目撃したのは何時ぐらいの事でした?」
近藤はしばらく記憶を
「あれは、確か入鹿が事故に遭ったのが、桜が満開になってすぐの事だから……」
そう言って文机の引き出しから、古風な装丁のスケジュール帳を取り出す。
パラパラと捲り……。
「入鹿が事故にあったのが二〇一九年の四月八日で、そのちょうど一週間前……四月一日の未明だねえ。春休みが明けてすぐの事だよ」
「間違いありませんか?」
茅野が確認すると、近藤はスケジュール帳をしまって二人の向かいに再び腰をおろす。
「間違いないよ。やはり、あれは死神か何かだったんだろうねぇ……このグリーンハウスは呪われているのさぁ……いひひひっ」
そう言って、魔女じみた所作で、緑茶をずるずると啜った。
それから適当に雑談をしたあと、桜井と茅野は話足りない様子の近藤をどうにか宥めて、一〇三号室をあとにした。
帰り際、近藤は必死な様子で「また遊びにきておくれよ……」と懇願しだす。
どうやら、人を寄せつけないような癖のある雰囲気に反して、お喋りが好きで寂しがり屋らしい。
確かに小松の言う通り、悪い人ではないが面倒臭い……桜井と茅野は率直にそう思った。
取り合えず、桜井も茅野も彼女の事が嫌いではなかったので、時間があるときに再びお茶を飲む約束を交わす。
ともあれ、二人は二〇一号室へと戻る道すがら、近藤から得た情報について話し合う。
「……しかし、あの中国人の趙さんもそうだったけど、今回はキャラが全員こってり過ぎるよ」
食傷気味な様子の桜井に対して茅野は満足げだった。
「でも、なかなか興味深い話が聞けたわ」
「そかなー? かえって容疑者が増えて意味が解らなくなっただけなんじゃない?」
何時ものように話を聞いてなさそうで、しっかり聞いている桜井であった。
「確かに、そうなのだけれど……近藤さんの話を聞くうちに、興味深い疑問点が浮き彫りになったわ」
「どんな?」
桜井に促され、茅野が右手の人差し指を立てる。
「近藤さんの目撃した不審者が、あの壺を埋めたのだとしたら、何故、
「ああ、確かにそうだねえ……」
桜井は眉間にしわを寄せ、しばしの間、思案すると……。
「壺を準備するのに手間取ってしまったとか……」
「それも一つの理由かもしれないわ。でも、そもそも、犯人の目的が矢島を殺す事だったとしたら、何故それを達成したあとも壺を処分せずに残しておいたのかしら?」
「うーん……犯人の目的は、矢島を殺す事ではなく、あの部屋に誰かが住んでいて欲しくなかった……とか?」
その桜井の推理に茅野は楽しげに微笑む。
「当たってるかどうかは兎も角、サイコパスぽくて凄く好きよ。その答え」
「それは、どうも」
と、そこで二人は二〇一号室の前に辿り着く。
桜井が鍵を差し込み、ドアノブを捻る。
「取り合えず、ご飯にしようよ……お腹減っちゃった」
「おはぎを二つ食べた胃袋の持ち主が言う事ではないわね……」
そんなやり取りを交わしながら、二人は二〇一号室の中へと姿を消した。
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