【11】外道の法


『その壺は蟲術こじゅつの一種よ』

「こじゅつ……?」

「動物や虫を使った呪術の事ね。小松さんに憑いている犬神も蟲術に分類されるわ。どうやら、この壺は猿を使った蟲術……いわば猿神といったところかしら?」

 茅野の解説に桜井はいつも通り「ふうん」と頷き、九尾は『流石によく知っているわね』と感心する。

『それと同じような壺を前に岡山で見た事があるわ……』

 九尾は記憶を手繰り寄せる。

 それは、ある山間の農村の外れに建つ旧家であった。

 その家では、住人が布団の中で眠ったまま死んでゆくという凶事が立て続けに起こっていた。

 依頼者である生き残りの住人によれば、おかしな夢を見たのだという。

 それは綺麗な湖の畔で、猿の怪物が残酷な方法で人を殺す夢らしいのだが……。

 調査に乗り出した九尾は、その母屋から西南西の庭先の地中より一つの壺を発見する。

 中身は綺麗な湖の写真がプリントされた一枚の絵葉書と、小猿の骨だった。

『……特別な儀式で殺した小猿の骨と、呪いの媒介ばいかいとなる適当な小物を入れる。それを標的の家の西南西……つまりさるの方角に埋めるの』

「成る程。二〇一号室の西南西は、グリーンハウスの建物に囲まれた、このパティオ……だから犯人は、この場所に壺を埋めざるを得なかった」

『恐らくそうよ、循ちゃん』

 九尾は茅野の言葉を肯定する。

『それで、埋めるとき、壺の中の骨の目線を呪いたい家へと向くように合わせる。そうすると、標的の家の住人は猿の怪物の夢を見るようになる。やがて、その夢を見続けると夢の中で猿に殺されてしまう。夢を見ていた本人は眠ったまま死んでしまうという訳よ』

 因みに壺を仕掛けてから夢を見始める時期、次の夢を見るまでの間隔は、術者の力量や対象となる人の“相性”によって変わるらしい。数年かかる場合もあれば、わずか数日というときもあるのだとか。

 そして、一回でも夢を見てしまうと、その家を離れても、いずれは次の夢を見てしまう。それが、この呪術の恐るべきところであると九尾は述べる。

『岡山周辺で今も伝わる極めて危険な外法よ。その力は一歩間違えば術者本人にも牙を向く事もあるわ』

「術者本人にも? じゃあ、この壺を作った人も猿夢を見ちゃったりするの?」

 桜井の疑問に九尾が答える。

『そうなる可能性もあるわ。もちろん、そうなったときの対処法を術者は準備しておくんだけど』

「ふうん……」

 桜井が気の抜けた相づちを打って、ネックストラップで吊るしたスマホを手に取り、壺の中の骨を撮影し始めた。

 茅野は、これまでの情報をふまえて己の見解を示す。

「何にせよ、この壺を埋めたX氏は、グリーンハウスの住人で間違いないわね」

「そーなの?」

 桜井は撮影する手をいったん止めて、茅野の顔を見あげた。

「絶対にできない訳ではないけれど、玄関はオートロック、裏口の扉はディンプルキー……なかなか外からの侵入は難しいわ。X氏がグリーンハウスの住人ではなくて、矢島直仁に危害を加える事を目的としていたなら、もっと簡単な別な方法を選ぶはずよ」

「なるほど。という事は……」

 そこで、桜井が勢いよく立ちあがる。

 その場でぐるりと一周して、パティオの周囲を取り囲む廊下の窓を鋭い眼差しで見渡す。

 彼女の瞳に次々とグリーンハウスの各部屋の扉が、ばーん、ばーん、ばーん……と映り込んでゆく。

 そして、そのまま、きりっ……とした表情で桜井は言い放った。


「壺を埋めた、じっちゃんは、この中にいる!」


「じっちゃんじゃなくて犯人よ、梨沙さん。じっちゃんの方を探してどうするのよ」

 茅野が突っ込むと、桜井は照れ臭そうに頭をかいた。

「ごめん、間違った。逆だった」

 すると、九尾がいつもの調子を崩さない二人に呆れ、溜め息を吐いて話をまとめにかかった。

『兎も角、その壺はこっちで処分するから店に送ってちょうだい。そのときは、頭蓋骨の両目をガムテープか何かで塞いでおいて。そうしないと配送中に、呪いを振り撒いてしまう場合があるから』

「りょうかーい」

 と、桜井が返事をする。

「他には何かあるかしら?」

 茅野の問いに九尾は呆れた様子で溜め息を吐き答える。

『あと犯人探しなんて、絶対にやめてよ? 相手は本格的な呪術を使える危け』

 そこで茅野は画面を、とん、とタップして通話を終了させた。スマホの電源を落とす。

 同時に桜井もネックストラップで吊るしたスマホの電源を落とした。

 それからタイルを再び戻し、壺に蓋をすると両手で抱えて持ちあげる。

 二人はパティオの東側の出入口へと向かって歩き始めた。

「……それで、循」

「何かしら?」

「じっちゃんじゃなくて、犯人は誰だと思う?」

 やっぱり、犯人を探すつもりであった。

「今のところはまだ何とも言えないわね」

 と、思案顔を浮かべる。

「まずは矢島直仁への怨恨の線で捜査を進めましょう」

「らじゃー」

 二人はパティオをあとにした。




 いったん二〇一号室に戻ると、桜井と茅野は壺中こちゅうの小猿の両目と壺の蓋をダクトテープで塞いだ。

 近くのコンビニから『Hexenladenヘクセンラーデン』宛に送る。

 それから、グリーンハウスへと帰り、手始めに杉橋亮悟の住むお隣の二〇二を訪ねる事にする。

 矢島と揉めていたという彼は、最有力容疑者であるからだ。

 しかし、呼び鈴を押しても反応がない。

「いないねえ」

 桜井はしょんぼりとした様子で言った。

「まあ、隣の部屋にいても生活音が全然しないもの。いないとは思っていたけれど……」

 すると茅野が何かに気がついた様子で、はっ……とした顔をする。

「どしたの? 循」

「私とした事が失念していたけれど、もう大学生は春休みよ」

「ええ! 汚い。流石、大学生汚い」

 憤慨した様子の桜井。

 茅野は二〇二の扉を見つめながら、冷静な表情で言った。

「犯人探しをしようにも、肝心の犯人が実家に帰っている可能性があるわ」

 と、そこで、二〇二の扉に向き合い落胆する二人の右手の先……玄関ホールに近藤由貴菜が姿を現す。

 買い物袋をさげている事から、スーパーから帰宅したところらしい。

「取り合えず、今いる住人だけでもいいから話を聞いてみましょう」

「そだね……」

 二人は近藤の元へと向かった。

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