【10】壺中の猿


 グリーンハウスのパティオにて。

 桜井と茅野は、近藤に目撃された不審者がいた辺りに立って二〇一号室の方へと視線を向けた。

 その方角は東北東――北と東の間であった。

「んで、けっきょく、どゆことなの? 循」

 そう口にした桜井の右手にはシャベルが握られていた。これは二〇一号室に置いてあった雪かき用のシャベルである。

 茅野は廊下の窓越しに見える二〇一号室の扉を見据えながら、その桜井の質問に答えた。

「あの近藤さんの目撃証言が、もしも現実の出来事だったとしたら、当然ながらおかしな事があるわ」

「うん。穴を掘り返したあとがない」

 桜井が周囲の芝生を見渡しながら言った。それから茅野の横顔を見あげて問う。

「……じゃあ、その不審者は、やっぱり幽霊とか幻覚とかだったって事?」

 茅野は首を横に振る。

「いいえ。近藤さんの目撃した不審者は、紛れもなく現実の実在する人間よ。恐らく、そのX氏は悪意をもって禍々しい何か・・・・・・をこの場所に埋めた」

「あの隠首村のまがつ箱みたいなやつ?」

「そうね。そして、それが恐らく趙さんの言う雍和ヨンホーの正体」

「でも……埋めたあと、芝生はどうやって元に戻したの?」

 桜井の問いに、茅野は不敵な微笑みを浮かべる。そして自分の足元の数歩先を指差した。

 その指先には地面に埋め込まれた石のタイルがあった。このパティオには、同じ物がいたるところに散らばって埋め込まれている。

X氏は芝生・・・・・の上を掘った・・・・・・んじゃないわ・・・・・・あのタイルの・・・・・・下を掘ったのよ・・・・・・・

「ああ……」

 と、いったんは納得した様子を見せる桜井であったが、すぐに疑問を口にする。

「あっ、でも……じゃあ、掘り返したあとの土は? それも残っていないとおかしいよね?」

「梨沙さんにしては、鋭い指摘よ」

「それは、どうも。……で?」

「思い出して。近藤さんの話だと、不審者の足元にはポリバケツが置いてあったって」

「ああ。なるほど」

 桜井が、ぽんと両手を打ち合わせた。

「そうよ。掘り返した・・・・・あとの土は・・・・・バケツに入れて・・・・・・・運び出した・・・・・

「じゃあ、不審者が埋めた何かが猿夢の原因なんだね?」

「そうね。取り合えず、掘り返してみましょう」

「うん」

 桜井はいちばん近い位置にあった石のタイルと芝生の隙間にスコップの先を差し込んだ。




 タイルをはがしてひっくり返すと、茅野の推測通り、その下の地面には穴が空いていた。

 そして、すっぽりと壺が収まっている。

 蓋がしてあり、蝋のような乳白色のもので封がしてあった。

「いかにもヤバそうだねえ……」

 桜井は慎重に壺を引きあげて地面に置く。

「さて、中身は……と」

 そして、しゃがんだまま蓋に手をかけた。

 そこで茅野が止めに入る。

「待って、梨沙さん」

「ん?」

 桜井は茅野を見あげた。

「あの禍つ箱みたいに、開けたらドカンという可能性もなきにしもあらずよ。慎重にいきましょう」

「あ、そだね。……でもどうする?」

「それは、もちろん、我らが爆発物探知機・・・・・・の出番よ」

 茅野はそう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべた。




 都内某所の占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン

 物憂ものうげな表情でカウンターに肘を突き、虚空へと視線をさ迷わせるのは、霊能者の九尾天全である。

 この頃の彼女は、迫りくる病禍の影と、きたるべき夜鳥島行きへの緊張感から鬱々うつうつとした日々を送っていた。

 取り合えず、桜井と茅野を連れてゆく事にしたのはいいが、この時点では漠然ばくぜんと『夜鳥島行きは二人が春休みに入ってから』という事で、日程はまだ決まっていなかった。

 この十五日あとの二月二十七日に、首相からコロナ禍による休校要請がなされ、三月一日に日取りが決まるのだが、それはさておき……。

 何とも身の入らないぼんやりとした毎日を送る彼女の元へ、劇薬に近いカンフル剤が届く事になる。

 それは、スマホのメッセージの到来を告げる電子音であった。

 九尾はカウンター裏のコンセントに繋いで充電していたスマホを手に持つと、大きな欠伸あくびをしながら何気なく画面に指をはわせた。

 茅野循からである。

 そのメッセージに文字は打ち込まれておらず、一枚の画像が添付されているのみであった。

 芝生の上に置かれた一個の壺。

 それは、普通の人の目には、さして奇妙には映らない画像であった。

 しかし、それを見た途端、九尾の表情は見る見る間に凍りつく。

「また、あの子たち……次から次へとおかしな画像を……。ていうかどこから、こんなものを見つけてくるのかしら……」

 盛大に呆れながら、九尾は茅野に電話をかけた。




 一方、グリーンハウスのパティオでは……。


 茅野の手の中のスマホが着信音を奏で始めた。それを聞いた桜井が「おっ。きたきた……」と、ほくそえむ。

 茅野が電話ボタンをタップしてスピーカーフォンにする。

「もしもし、九尾先生、画像は見てくれたかしら……?」

『ええ。いったい、今度はどこで何をしているの? あなたたちは』

「人助けだよ」と桜井。

『あなたたちが、人助けぇ……?』

 電話の向こうの九尾は思い切り疑わしげな声をあげた。

「取り合えず、これを発見した経緯なんだけど……」

 茅野は一通り、今回の一件について九尾に説明した――




「……と、いう訳なんだけど」

『成る程ね』

 と、九尾は少し思案してから言った。

『取り合えず、何となく、その壺の中身は推測できるけど、直接見てみないと何とも言えないわ』

「開けても大丈夫なのね?」

 用心深く確認する茅野。

 九尾は太鼓判を押す。

『大丈夫。開けてちょうだい』

「梨沙さん!」

「がってん」

 桜井が壺の蓋を上から鷲掴みにして、ぐりぐりと力を込めた。

 すると蝋のような物がポロポロはがれて蓋が開く。

 桜井と茅野は中身をのぞき込んだ。

 そこには……。

「何これ?」

 桜井が首を傾げる。

 壺の中に入っていたのは、一両の電車の模型と小さな骸骨であった。

 電車の模型はNゲージと呼ばれる規格のもので、ごくごく一般的な普通の車両を型どった物だ。

 そして、骨の方は全長三十センチにも満たない大きさで構造は人間に近い。体育座りのような格好で壺の中に収まっている。

 その頭蓋骨にすみのようなもので書かれた六つの漢字が並んでいた。しかし、どれも日本語を知らない外国人が適当に書いたかのような漢字であった。

 あの茅野の知識をもってしても、意味はもちろんの事、何と発音すべきなのかすら判然としない。

「この骨は子猿のものかしら……?」

 茅野がしげしげと見つめながら呟く。

 よく見ると、その小猿の右の鎖骨が真っ二つに折れていた。

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