【05】隣人


「それにしても、個性的な人だったね」

 桜井の近藤に対する評価に、茅野も同意して頷く。

「でも、思わぬところで興味深い話が聞けたわ」

「あの穴掘りの不審者の話、猿夢の件と関係があるのかなあ……?」

「まだ、何とも言えないわね」

 二人はパティオを出たあと、グリーンハウスの北西の角へと向かった。

 そこには古めかしいソファーや座卓などが並んだ談話スペースと、裏口の扉があった。

 壁にはどことなくキュビズムっぽい絵が掛けてあり、その近くには『禁煙!』と書かれた紙が貼ってある。

 角には古めかしい柱時計が振り子を揺らしながら時を刻んでいる。

「これ、グリーンハウスの前の持ち主の画家さんの絵?」

 桜井が渋い表情でキュビズムっぽい絵を見あげる。その言葉に茅野は裏口の扉をガチャガチャやりながら「そうではないのかしら?」と答えた。

 桜井も絵から離れて裏口の前へと立った。

「何かあった?」

 その雑な質問に茅野は答える。

「梨沙さん……この扉の鍵、ディンプルディスクシリンダーよ」

「何それ? 防御力はどれくらいなの?」

「五十三万……」

「ごじゅうさ……」

 呆気に取られる桜井。しかし、茅野はニヤリと笑って肩をすくめる

「嘘よ。ちょっと、大袈裟だったわ。それでも、五千三百くらいはあるかしら? 破りにくい鍵である事は間違いないわ。案外、防犯対策はちゃんとしてるのかも。このアパート」

 と、そこで北側の廊下の一番手前に見える一〇一号室の扉が開いた。

 桜井と茅野が音に反応して視線を向けると、扉口からにきび面の小肥りの男が顔をのぞかせていた。

 男は数秒の間、桜井と茅野を睨めつけると、細い両目を弓なりしならせ、湿度の高い笑みを浮かべた。

 二人が会釈をすると、扉口から出て談話スペースの方へとやってくる。

「やっ、やあ……君たちはいったい……?」

 少し上擦った甲高い声だった。どうやら、桜井と茅野が二〇一に滞在する事を知らないらしい。

 嘘の事情を説明し、二人が自己紹介すると、男も緊張気味に名乗りをあげた。

「俺の名前は、稲毛徹平いなげてっぺい。一応、これでも、ここでは一番の古株だよ」

 どうやら院生らしく、トウモロコシの遺伝子に関する研究をしているらしい。

 自己紹介が一段落すると、稲毛は真面目な表情で、こんな事を言い始めた。

「それはそうと、もう小松さんから聞いているかもしれないけど、二〇一の部屋で、あまり大きい音を立てない方がいいよ」

「なぜですか?」

 きょとんとした表情で聞き返す茅野。

「隣の二〇二の杉橋亮悟すぎはしりょうごっていうヤツが神経質でね。ちょっとの物音でも五月蝿うるさく言ってくるらしいんだ」

「ふうん……」

「ご忠告、感謝します」

 桜井はいつもの気のない調子で、茅野は素直に頭をさげた。

 すると、稲毛が口元に手を当てて、わざとらしく声をひそめる。

「ここだけの話、その事で、二〇一の前の住人とかなり揉めていたからね。まあ悪いやつではないんだけど」

 二〇一の前の住人とは言わずもながら、矢島直仁の事である。茅野は遠慮なく話に乗っかる事にした。

「その揉めていた前の人って、矢島っていう人ですよね……? あの部屋で亡くなったと聞きましたが」

「ああ、うん。小松さんから聞いたのかな?」

「はい」

「それで……その矢島さんが亡くなる前に、彼の友人の入鹿という方も事故にあったのだとか」

「何でも知ってるね。それも小松さんから?」

 茅野は首を横に振る。

「近藤さんという方に聞きました。このグリーンハウスは呪われてるとか何とか」

 その言葉を聞いて、稲毛は困り顔で笑う。

「彼女は、ちょっと悪戯好きというか、変わり者でね。人を驚かせるのが好きなんだ。……でも、彼女の言っている事も、あながち間違いじゃあない」

 その思わせ振りな言葉に茅野は眉をひそめる。

「どういう事です?」

「俺、矢島とは仲がよくてね。それで入鹿が事故にあってすぐあとに、矢島が妙な事を言っていたんだよ。“俺があんな夢・・・・の話をしたからだ”ってね。何か入鹿が事故にあった直前におかしな夢を見たらしいんだけど」

「どんな夢?」と桜井。

 稲毛は首を横に振る。

「けっきょく、どんな夢かは教えてくれなかったよ」

 桜井と茅野は無言で顔を見合わせる。

「……だから、あの部屋で眠ると、何か見てはいけない夢・・・・・・・・を見てしまうのかもしれないね……」

 稲毛は生理的嫌悪感をもよおすほど不気味な笑みを浮かべる。

 もちろん、桜井と茅野にとっては充分に予想ができた事なので、特に驚きはない。

 そんな訳で、いまいちリアクションの薄い二人。

 しかし、稲毛は怖がらせすぎて・・・・・・・引かせてしまった・・・・・・・・と勘違いし、慌てた様子でつけ加える。

「ああ、ごめん、ごめん……本当にごめんね? まあ、呪いだの幽霊だのっていう非科学的なモノなんか、この世にある訳がないよ。科学者のボクが言うんだから間違いないさ」

 あはは……と誤魔化すように笑う稲毛。

 二人は何とも言えない表情で顔を見合わせた。

 そんな二人の顔色をうかがいながら、稲毛は恐る恐るといった様子で切り出す。

「……でも、もしも、怖くて我慢ができなくなったら、いつでもボクの部屋に遊びにきてもよいからね? 何ならボクが二〇一に遊びにいっても……」

「いや、そうゆうの結構なんで」

 桜井が右手をかざして、ぴしゃりと断る。

 茅野もゴミを見る目で稲毛を睨つける。

「そ、その……変な意味じゃなくてね? ああ、君たちゲームは好きかい? その……もしよかったら」

「いこ。循」

「ええ、そうね」

 慌てる稲毛を放置して、二人は談話スペースをあとにした。

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