【07】断罪


 その日の放課後だった。

 柿倉東中学の教室には十数名の女子が集まっていた。

 滝川さくらと田仲麗佳、そして、彼女の取り巻きたちである。

「ねえ、どういうつもりなの!?」

「アンタだって、麗佳のキモチ、知ってたはずでしょ!?」

「最低の裏切りなんだけど……引くわ……」

「お前、本当にどういうつもりなんだよ!?」

「酷くない? アンタが浮気しようが勝手にしてくれって感じだけど、何で藤盛君なワケ?」

 自分の席に座ったままの滝川の周囲を取り巻くようにして、田仲の取り巻きが次々と声をあげ始める。

 あの夏休みの件で厄介な事になっているのは理解できてはいたが、滝川には訳が解らなかった。

 自分は田仲への義理を通したはずだ。

 藤盛に誘われはした。でも断った。滝川は必死に弁明する。しかし……。


「嘘吐いてんじゃねえよッ!」


 武元敦子が机の天板を平手で叩いた。大きな音が鳴り響く。

 滝川は驚きのあまり息を飲み込んで、おびえた両目を見開いた。すると武元の少し後ろで涙を浮かべる田仲と目が合った。

 そこで滝川は悟る。

 少なくとも、この場所では彼女が被害者で、自分が加害者なのだと……。




 田仲らの言い分を聞いて滝川は言葉を失う。

 それによると夏休みに花火大会へと誘ったのは、藤盛ではなく、滝川の方なのだという。

 そして、二人きりで県庁所在地の会場へ向い、そこで偶然にも滝川の彼氏だと名乗る高校生と遭遇したらしい。

 浮気だと騒ぎ出す高校生。滝川から誘われたのだと主張する藤盛。やがて、二人の言い争いは殴り合いの喧嘩となる。

 藤盛はどうにか高校生を撃退するも、彼女と距離をおく事にしたのだという。

 当然ながら、まったく事実とは異なるし、なぜそんな馬鹿げた話になってしまったのか、頭痛がするレベルで意味が解らなかった。

 しかし、田仲らは彼女がいくら弁明しても信じようとしない。

 これは滝川本人は知らない事だが、彼女は以前より男子の間で密かに人気が高かった。

 周囲から一歩退いた滝川の態度が他者を遠ざけはしていたが、誰もが後にモデルや女優として活躍する彼女の美貌を認めていた。

 そして、そんな高嶺たかねの花を射止めようと、名乗りをあげたのが藤盛恭二である。

 とはいっても藤盛は本気で滝川に恋愛感情を抱いていた訳ではない。

 彼の心を突き動かしていたのは、単純な思春期らしいリピドーと功名心であった。

 藤盛は背も高く運動も勉強もよくできたので、女子には人気があり、本人もそれを自覚していた。

 それゆえに彼は、他の男子たちに「俺ならいつでも滝川を落とせる」と常日頃から豪語していた。

 しかし、内心では、浮世離れして見える滝川の雰囲気に気圧されて自信が持てず、彼も多くの男子と同じく彼女を遠巻きに眺めながら猥談わいだんのネタにする程度で、積極的に関わろうとはしなかった。

 そんな現状に変化が訪れたのは、夏休みに入って間もなくであった。

 藤盛と仲のよい伏見翔ふしみかけるに恋人ができた。

 しかも、初体験まで済ませたのだという。

 実は女性経験がなく、下に見ていた伏見に先を越された藤盛は大いに焦る。

 そして、調子に乗った伏見に煽られて、ついつい「実は滝川に花火大会へと二人きりで行こうと誘われている」と、嘘を吐いてしまった。

「絶対にヤれるから感想聞かせてやる……」とも……。

 こうして、つまらない見栄とプライドの為に藤盛は生まれて初めて自分から女の子をデートに誘う事となったのだが、結果は惨憺さんたんたるものだった。

 最悪だったのは、当時の藤盛が未熟で幼稚な人間であった事だ。

 彼は己の失敗を受け入れる事ができずに、また嘘を吐いてしまう。

 “滝川は何人もの男を手玉に取る面倒臭い地雷女だったから、退かざるを得なかった”という事にした。 

 その嘘が夏休みの間に伝播して、田仲の耳にも入る事となってしまった。

 こうして三年A組は抜群の団結力を見せ、友情の名の元に仲間を傷つけた滝川さくらという異物を断罪し始めた。

 しかし、それは滝川本人からすれば、いじめ以外の何ものでもない。

 その年のクリスマスに藤盛と田仲がつき合い始めた事で彼女への様々な制裁措置は緩和かんわされた。

 だが、それ以降も滝川とクラスメイトたちの間にできた大きな溝は、決して埋まる事はなかった。




 いじめがピークを過ぎて一段落すると、滝川は勉強に励み、県外にある全寮制の女子高校に進学をする。

 これは早くに柿倉を離れたいという理由も当然ながらあったが、養父母にこれ以上迷惑をかけたくないという純粋な思いからであった。

 そうして、平凡な高校生活を送ったあと、滝川は都内の大学に進学する為に上京する。

 それから大学でできた友人らと渋谷を歩いているときに今の事務所にスカウトされた。最初は悩んだが引っ込み思案な性格を変えたいと思い、新たな世界へと飛び込む事を決意する。

 そこから滝川さくらのSAKURAとしての華々しい活躍が始まった。

 苦労もあったが、彼女の人生は順調だった。

 二十一のときに、養父母が柿倉の外へと引っ越した事で、あの土地との縁は完全に切れた。

 それでも滝川にとって、中学生のときの出来事は、深い心の傷となって残っていた。

 そして、女優としてブレイクを果たし、その人気が絶頂の頃だった。

 それは二〇一〇年の一月半ば。

 事務所経由で、あの同窓会の案内葉書が彼女の元へと届く。

 そこには定型的な出席の有無を確認する文章と、直筆でこんな事が書かれていた。


 お久しぶり!

 何時もテレビで観てるよ~。

 あのSAKURAが私たちの仲間だった滝川さんだなんて、とても信じられません。

 テレビで貴女の姿を見るたびに、とっても誇らしい気分になれて、私も頑張ろうって思えます。

 色々とあったけれど、みんなSAKURAと会いたがっているよ!

 忙しいかもしれないけれど、きっと来てくれるって信じています。

 待ってるよ!


 田仲麗佳


 滝川は我が目を疑った。


 『色々とあったけれど』


 あの夏の出来事を、そんな簡単な言葉で片付ける事など、滝川にはできなかった。

 無視され、陰口を叩かれ、物を隠されて、壊された。

 尊厳そんげんを否定されるような言葉を何度も浴びせられた。

 しかし、そんな過去が幻だったかのような文面……だんだん、未だに中学校の頃の事にこだわっている自分の方がおかしいのかもしれないと思えてくる。

 しかし、だからといって同窓会に出席して彼女たちと楽しい時間を過ごせるなどとは到底思えなかった。

 事務所のソファーに座り、その葉書を何度も読み返しながら滝川は苦悩する。

 すると、近くにいたマネジャーが「大丈夫ですか? 真っ青ですよ?」と不安げな声をあげた。

 滝川は我に返り、葉書をマネジャーに渡した。


「これ、シュレッダーにかけておいてください」


 こうして滝川さくらは、二〇一〇年に行われた柿倉東中学校の同窓会を欠席する事にした。

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