【06】仲良しA組


 滝川さくらにとって柿倉東中学の三年A組で過ごした日々は、忘れようにも忘れられない記憶として今も胸に残っていた。

 今でこそ、大勢の人前で自分自身を表現する楽しさと喜びに目覚めた彼女であったが、この頃は引っ込み思案で孤独を好む大人しい少女だった。

 そんな彼女にとって、人と人の距離が近い、柿倉での田舎暮らしは苦痛でしかなかった。

 互いに互いを監視しあい、善意を建前に何にでも干渉し、土足で踏み込んでくる柿倉の人々が本当に苦手だった。

 それでも、身寄りのない自分を引き取ってくれて、可愛がってくれる養父母に気をつかい、なるべく柿倉に馴染めるよう努力する日々を送っていた。

 そうした毎日が続き、少しは柿倉での日常に慣れてきたと自ら思えるようになってきた、ある日の事だ。

 それは滝川が中学二年生になって迎える夏休み。

 彼女は、ほとんど家か隣の市の図書館で本を読んだり、勉強をしたりして過ごしていた。

 ときおり、クラスメイトたちが思い出したように誘い出してくれたが、積極的に自分から人の輪に加わろうとはしなかった。

 そんな毎日が続き八月十日だった。

 夜、風呂からあがるとクラスメイトの藤盛恭二から電話があった。

 要件を尋ねると、彼は少しうわずった声で、こんな事を言い出す。

「明日、花火見に行くけど、行かない?」

 何でも県庁所在地の川縁で毎年開催される花火大会に行くらしい。

 バスと電車を乗り継いで、結構な時間が掛かる。正直おっくうだった。

 しかし、柿倉にくる以前は死んだ家族と一緒に、その花火大会へ毎年足を運んでいた事を思い出し、懐かしさも込みあげてくる。

 滝川は少し悩んで藤盛の誘いにOKすると、待ち合わせの時間を聞いて受話器を置いた。

 そして養父母に『明日はクラスメイトたち・・と、花火を見に行くから夕御飯はいらない。帰りは遅くなる』と伝えた。

 基本的に滝川に甘い養父母は快く彼女の申し出を受け入れて、お小遣いをたくさん弾んでくれた。




 そして翌日だった。

 待ち合わせ場所のバス亭に向かうと、そこにいたのは精一杯にめかし込んだ藤盛ただ一人であった。

 滝川が「みんなは?」と悪気なくたずねると、藤盛はばつの悪そうな顔をして「いや……俺一人だけど」と言った。

 滝川は不味い事になったと顔をしかめた。

 なぜなら、クラスの女子のリーダーであった田仲麗佳が、藤盛恭二に気がある事を知っていたからだ。

 田仲がいつから藤盛の事を想っていたのかは解らないが、二年生になって間もなくの頃から、やたらとクラスの女子たちに自分が彼に気がある事をアピールし始めた。

 滝川が思うに、人気者だった藤盛を取られぬように、他の女子を牽制けんせいしていたのだろう。

 滝川としては藤盛はいまいちタイプではなかったのでどうでもよかったのだが、それはさておき、このまま彼と二人で花火大会へと行こうものなら色々と面倒臭い事になるのは予想がついた。

 滝川は、ここで藤盛の誘いを断る事にした。

「ねえ、その藤盛くん……」

「何だ? 滝川」

「その、私、勘違いしてて、藤盛くんと二人っきりだなんて思わなくて……他の人もいると思ってて……」

 言葉が上手くまとまらず、しどろもどろになる。

 すると藤盛の表情が真顔になった。

「何が言いたいんだよ? 俺と二人っきりじゃあ、何か問題があるってのかよ……」

 怒気のにじんだ声音。動揺のあまり、滝川の膝が笑い出す。

「その……ほら。誰かに知られたら、誤解されるかもしれないし。ね?」

「誤解?」 

 藤盛が鼻を鳴らして笑う。

「何を誰にどう誤解されるのが嫌なんだよ、お前は……」

 ぐい……と、藤盛が滝川へとにじり寄る。

 その瞬間、怖気おぞけが全身を駆け巡った。

 そして、自分がなぜ、クラスの他の女子とは違い、彼の事をよいと思えなかったのか……本能的にその理由を理解したような気がした。

 兎も角、田仲麗佳の事がなくとも、この藤盛と二人きりで花火大会へ行くだなんて絶対にあり得ない。

 滝川は強くそう感じた。

「兎に角、藤盛くん、ごめんなさい」

「オイ、滝川……お前、そのごめんなさいはいったい何に対してのごめんなさいなんだよ?」

 藤盛が滝川の腕を掴もうと右手を伸ばす。

 滝川はそれを紙一重のところで身を捩ってかわした。

 すると、そのタイミングで本来なら乗り込むはずだったバスが車道の遥か向こうからやってくる。

「オイ、滝川。男の俺に恥をかかせるつもりなのか?」

 滝川はふるふると首を横に動かす。

 睨み合う二人。

 やがて、その横にバスが停車する。扉が開き乗客が降りてくる。

 その隙に滝川はきびすを返して駆け出す。

 そして、ずいぶんバス亭から離れたあとで立ち止まり、恐る恐る後ろを振り向いた。すると降車した乗客に紛れて佇む藤盛と目が合う。

 彼はこれまでに見たことのないような恐ろしい表情をしていた。まるで茂みから獲物の様子をうかがう猛獣のようだった。

 おびえた滝川は駆け出し、そのまま家へと逃げ帰った。

 養父母には「友だちが何人か都合がつかなくなったので、花火大会へ行くのは中止になった」と事情を説明した。心配されたくなかったのと、色恋沙汰で男子と揉めた事に気恥ずかしさを感じたからだ。

 その日以降、滝川はますます外に出るのをやめて家の中に引きこもった。

 外で偶然、藤盛と会いたくなかったからだ。




 そうして何事もなく夏休みが明けて二学期になった。

 滝川が学校に向かうと、クラスメイトの様子が明らかにおかしかった。

「おはよう」と声をかけても、誰も挨拶を返してくれない。

 女子は全員、まるで滝川が存在していないかのように振るまい、目を合わそうともしない。

 比較的仲がよいはずの多島渥美にも無視された。

 男子たちはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべており、滝川を遠巻きに眺めるだけだった。

 そして、藤盛と目を合わせたときに彼が見せた表情。

 さげすむような、見くだしたような……。

 それで滝川は気がついてしまった。この不可解な状況の原因が、あの夏休みの出来事にある事を。

 遅刻ギリギリに取り巻きの竹元敦子らと登校してきた田仲麗佳が、滝川の姿を見るなり、暗い表情で目を逸らした。もう確定だった。

 そのすぐあとに、源が勘に障るほど能天気な笑顔で教室にやってきた。

「さぁー! 楽しい二学期の始まりだぞ! またみんなで頑張ろうな! 日直、朝礼!」

 こうして、その長い一日が始まった。

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