【12】オーバーキル


『嘘だ……』

 画面の向こうの畠野は明らかに取り乱していた。

 そんな彼に気を使う様子もなく、己の見解を述べる茅野。

『きっと三年という、少し悠長に思えるほど長い時間を掛けたのは、フットインザドアで段階的に要求金額をあげていったという理由もあったのでしょうけれど、免責期間が過ぎるのを待っていたのでしょうね』

『めんせき……きかん……?』

 桜井が首を傾げ、茅野が答える。

『通常、生命保険は契約してからしばらくの間、被保険者が自殺をしても保険金は支払われないの。その期間を免責期間というのよ』

『なるほど。家族にお金を遺そうと自殺目的で保険に入るのを防ぐためだね?』

『そうよ。梨沙さん』

 その二人のやり取りを画面越しに眺めながら、九尾は戦慄する。

 自分への好意をダシにしぼり取るだけ搾り取って、しまいにはその魂までお金に換えて捨てる。鬼畜の所業とは、まさにこの事だ。

 畠野もぐったりとした様子で言葉を失っていた。

 それとは対照的に茅野の語りは軽快だった。

『……それから、免責期間の他にも、時間をかけた理由がもう一つあるわ』

『どんな?』

畠野さんの・・・・・次の獲物・・・・がなかなか見つからないんじゃないかしら』

 桜井が『ああ、うん。そだね』と同意する。

『生まれの下一桁が一の人だけでも十人に一人だし、その中から経済力があって、結婚願望が強くて、そこそこの年齢で、モテなくて、何でも言う事を聞いてくれる騙され易い人……と、なるとなかなか難しいのかも』

『梨沙さんにしては、いい分析だわ。でも一つ忘れている』

『何?』

 茅野は右手の人差し指を立てる。

『お金に困ったときに、真っ先に断られる可能性が高い厳格な両親に頼ろうとするくらい、孤独な人間・・・・・よ。標的が孤独であればあるほど、周りから余計な口出しをされる事がなくなるから洗脳・・し易くなる』

『ああ、なるほど』

 桜井は得心した様子であったが、畠野は容赦ない言葉のナイフで胸の内をズタズタに切り裂かれたようだった。

『騙され易い……モテない……孤独……確かに僕はそうですけれど……』

 引きった笑みを浮かべる彼に、桜井と茅野がとどめを刺しにかかる。

『だいたい、こんなの、普通の人なら騙されないよねえ……』

『そうよ、梨沙さん。でも畠野さんを責めるのは筋違いよ。この手の輩は、支配されやすい弱者の臭いをかぎ分ける嗅覚・・がとても鋭いの』

 そうした弱者の自尊心や劣等感につけ込み、魔法のように他人を操る。

 畠野は結婚願望と未婚者である劣等感につけ込まれた憐れな犠牲者なのだ。

 九尾は改めて桃田愛美という人物に対して、言い様のない嫌悪と恐怖を抱く。

 その犠牲者へとなりかけた畠野のライフは、既にゼロへと削られていた。

 しかし、茅野は彼への攻め手を緩めようとはしなかった。

『詐欺の極意は、いかに上手く騙すかではなく、いかに騙し易い人を探すかにあるの。その点、畠野さんは満点に近い逸材なのよ』

『ま、満点……あははは。嬉しくない……です』

 乾いた笑みを漏らす畠野に同情しながら、九尾はついさっき思いついた恐ろしい可能性を口にする。

「ねえ、循ちゃん」

『何かしら……?』

「もしかして、過去にあの団地で自殺した九人の中にも……」

 茅野は深々と頷く。

『もしかしなくても、そうでしょうね……』




 二〇二〇年二月一日の深夜。

 歌舞伎町のホストクラブから西麻布のアパートにタクシーで帰宅すると、桃田愛美は千鳥足でエントランスを通り抜け、エレベーターに乗り込んだ。

 それから三階にある自室の前までくると、たっぷり一分もたついて扉の鍵を開ける。三和土たたきでハイヒールを脱ぎ散らかした。

 酒臭い息を吐き出しながらヘラヘラと笑い、電気を点けるとリビングのソファーに身を投げ出した。

 着ていたチェスターコートの右ポケットから何気なくスマホを取り出したところで、高校時代から付き合いのある、遠野瑞江から着信があった事に気がついた。

 そのままの格好で折り返し電話をかける。

 すると遠野瑞江との通話はたったのワンコールで繋がった。

「もしもし、あいつ・・・もう死んだ・・・・・?」

 舌足らずな声でたずねる。

 すると遠野は焦った様子で捲し立て始めた。

『駄目。上手くいかなかったみたい。あいつ・・・死んでない・・・・・

「ハァ!? どういう事だよ!!」

 桃田が声を張りあげる。

「お前、あの男・・・の事をちゃんと団地に行かせたんだよな!?」

 遠野は泣きそうな声で答える。

『あの団地に行った事は行ったみたい。フェンスに鍵が掛かってるって、留守電にあったから』

「鍵? 何だよそれ……」

 桃田は忌々しげに舌打ちをする。

 前は一本松団地の敷地を取り囲むフェンスの入り口には鍵などかかっていなかったからだ。

「もしかして、鍵閉まってるっつって、回れ右して帰ってきたんじゃねえだろーな? あの男は」

『それも、多分ないと思う。仕事は完了したっていう留守電も入っていたし』

 桃田は盛大に舌打ちをすると、スピーカーフォンに切り替えたスマホをローテーブルの上に置いて、チェスターコートをうざったそうに脱ぎ捨てる。

 更にリモコンを手に取り、エアコンのスイッチを入れた。

 すると、スマホから遠野の不安げな声が聞こえてくる。

『……ねえ、マナちゃん』

「あ!?」

 すっかり機嫌が悪くなった桃田はスマホに向かってがなり立てる。

『本当に畠野さんの生年月日って一九八一年なのかな……』

「免許見たし間違いねーよ!! てか、あのクソネクラと、どんだけ付き合ってると思ってんだ」

『でも……』

「あ、何か!? テメエ、私が間違ったから失敗したって言いたいのかよ? クソデブの癖に」

『あ……待って。違うの……違うから……そうじゃなくって』

 遠野は慌てる。

『もしかして、実際の生年月日と出生届けを出した日が違うとか……』

 馬鹿でかい溜め息を吐いてあきれる桃田。

「あのクソネクラの誕生日七月だぞ? 何の事情があって、半年も誕生日がズレ込むんだよ!? ありえねーだろうが!」

『ごっ、ごめん』

「兎も角、お前が何とかしろ!」

『何とかって……?』

「だから、もう一回、あのクソネクラを団地のあの部屋に連れてけよ。お前が直接。そうすれば、間違いねーだろ!」

 そう言いながら再びリモコンを握り、温度を調整する。

『でも、理由は……何て言って、あの人をあの団地まで……』

 そこで桃田の表情が怒りに歪む。

「馬鹿か!? テメー、そんな事ぐらいガキじゃねえんだから自分で考えろよカスがッ!!」

 そのまま右手に握っていたリモコンを壁に投げつける。

 大きな音が響き、スマホから遠野の『きゃっ』という悲鳴が聞こえた。

「いいか!? テメーがあのクソネクラを絶対に殺せよ? 団地行っても死なねーなら、お前があいつの腹エグってでもいいからブッ殺せ」

『そんな……』

「四の五の言ってんじゃねえぞ? カスが。ぜってぇにれ!」

『む、無理だよ……』

「うるせえよ。誰のお陰で地獄から抜け出せたと思ってんだ?」

『そっ、それは……』

 桃田はスマホを持ちあげて、まるで機械のように冷たい声で言い放つ。

「とっとと、れ」

 そう言って、遠野が何かを言う前に画面をタップして通話を終えた。

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