【04】誘い
「そのUSBを持って一本松にある団地の廃墟まで行って欲しいの」
鎌田の言葉に眉をひそめる畠野。
一本松という地名には心当たりがあった。
地元の県の山沿いにある地名だ。
「団地の……廃墟?」
訳が解らず畠野は眉間にしわを寄せる。しかし、鎌田には冗談めかした様子はいっさいない。
「そのB棟の222号室までいって、ベランダからUSBを真下の花壇に落として欲しいんだけど」
何かの取り引きだろうか。畠野は真っ先にそう思った。
きっと花壇に落としたUSBを、あとで誰かが回収しにくるのだ。
何らかの極秘データをやり取りするにあたり、証拠の残りやすいネット越しではなく、オフラインで手渡しする……。
それにしても、回りくどい。
「……この、USBにはいったい何が入ってるのですか?」
答えは予想が出来たが、聞かずにはいられなかった。
「中身は秘密よ。見ちゃ駄目だからね」
と、彼女の言葉は畠野が予想した通りの返答をした。
もしかして、何かの犯罪の片棒を担がされるのではないか。
そんな懸念も当然ながらあった。
しかし、桃田の為に金を工面する事で頭がいっぱいだった畠野は、それ以上は何も訊かずに、この仕事を受ける事にした。
「必ずB222のベランダからUSBを落とす事。そのまま花壇に置いてきたら駄目よ? 間違わないで」
「はい」
力強く頷く畠野の顔を見て、鎌田は満足げに頷く。
「あと、解っていると思うけど、この仕事の事は口外無用よ。絶対に」
そう言ってから、更に念を押す。
「克哉さんと美樹さんにも内緒よ? できれば私とこうして顔を会わせた事も内緒にして欲しいな」
畠野の父と母は厳格な上にプライドが高い。
きっと我が息子を助けるためとはいえ、鎌田の横槍を好ましく思う事はないだろう。
元より厳格な両親からの口出しを受けたくなかった畠野は、首を縦に振った。
「解りました」
すると鎌田はたるんだ頬を
『……でも、後々考えればプライドの高い両親が親戚とはいえ遠縁の彼女の前で、僕の様子がおかしいだなんて話題にするはずがないんですよね。いわば身内の恥ですから』
しかし、このときの畠野は冷静な判断力を失っていたので、その考えに至る事はなかったのだという。
そうして後日、両親から示談金の件はどうなったのか探るような電話があったが、彼はどうにか強引に誤魔化したらしい。
『それで、その……一応、一本松の団地について調べてみたのですが、有名な心霊スポットらしくて』
「心霊スポットですか……」
その心霊スポットで何かよくないモノをもらってきたのか……と、思いかけたが、画面の向こうの畠野からは、そういった気配は感じられない。
そもそも、鎌田の指示には何の意味があるのか。
九尾には、まったく解らなかった。
『それで、次の土曜日……二月一日、早朝に車で東京を出て、昼過ぎ頃に一本松団地に到着したのです』
二〇二〇年二月一日だった。
山間の集落を割って延びる細い道を畠野のマークXがひた走る。
年季の入ったバスの待合小屋の前を通り過ぎ、
その頂上付近の木立の合間から、
丘へと登る坂道の入り口の両脇には支柱が立てられており、黄色と黒の紐が渡されてる。
その紐には“立ち入り禁止”と書かれたプレートがさがっていた。
畠野はいったん、その前を通り過ぎる。
鎌田から事前に聞いた話では、もう少し先に山道の入り口があり、その手前に駐車場があるらしい。そこに車を停めるのがよいのだとか。
因みに畠野の服装は、まるで山歩きに訪れたハイカー風である。
これは近隣住民などに不審がられないようにするための配慮で、鎌田の指示だった。
幸い今年は歴史的な暖冬で、二月に入ってもほとんど降雪はない。道の端に排気ガスまみれの黒い雪の塊が残されている程度であった。
例年ならばシーズンオフだろうが、こうしてハイカー風の格好をした者が
そんな訳で、くだんの駐車場に車を停めた畠野は来た道を引き返し、団地のある丘の頂上へ続く坂道を目指した。
そして坂道の入り口に着くと、通り過ぎたときは木立に隠れて気がつかなかったが“命を大事に!”と記された自殺防止の看板が目についた。
どうも近くにあるカトリック教会が設置した物らしい。
その看板を見て、畠野はごくりと唾を飲み込む。
この場所で自殺があった事は知っていた。しかし、詳しくは調べていない。怖かったからだ。
だが畠野は理解する。こんな看板があるという事は、この先では自分の想像以上にたくさんの人が死んでいるのだと……。
それらの事実に気がつき、ようやく畠野は自分がとんでもない場所へ向かおうとしている事を悟った。
しかし、すぐに目的を思い出して、紐を潜り抜ける。意を決して、
……それから、数分後、眼前の視界が開ける。
錆びついた金網のフェンスに囲まれた敷地内に、二つの集合住宅が向かい合って建っている。
敷地内の中央は駐車場になっており右側にA棟、左側にB棟があった。
正面奥には駐輪場の長細い小屋が見える。
フェンスの入り口の門柱には“市営一本松団地”と記されていた。
門は重々しい両開きの鉄格子で閉ざされており、二枚の扉板には太い鎖が巻かれている。
その鎖には
焦った畠野はマスホを取りだし、鎌田に連絡しようとした。
しかし、電話をかけてみても、すぐに留守番電話へと切り替わってしまう。
一応、入り口が閉ざされている旨を留守電に残し、再び周囲を見渡す。
金網のフェンスは二メートルほどである。冷静に考えれば、よじ登れないほどではない。どうするべきか
突然、南京錠のかかった鎖が、じゃらりと勝手に地面へと落ちた。
「え……」
その毒蛇のように足元でとぐろを巻く鎖の塊を見おろしながら、畠野はごくりと喉を鳴らす。
どうやら鎖の一部が破損して千切れていたようだ。
経年劣化なのか、それとも……。
畠野は狐に摘ままれた思いで、鉄格子の扉を押し開けた。
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