【10】死者からの声


 その夜、九尾天全は自宅のリビングで晩酌の準備を終えてから、ソファーにどかりと腰をおろした。

 そして、座卓に並べられたデパ地下の惣菜類と日本酒の四合瓶を眺めて、だらしなく口元を緩める。

 山廃純米やまはいじゅんまい菊姫きくひめ

 今宵の主役である。

「……さてさて、山廃仕込みの実力はいかに……」

 九尾はその芳醇ほうじゅんな香り漂う美酒を切り子のグラスに注ぎ入れた。すると、テーブルの隅に置いていたスマホが震動する。

 手にとって確認すると、桜井から一枚の画像が送られていた。

 どこかの倉庫。

 窓がなく薄暗い……何の変哲もない……。

 しかし、九尾には、はっきりとその存在・・・・が見えていた。

「また、あの子ら……」

 こめかみを揉みしだき、素面じゃやってられるかと、切り子のグラスを一気にあおる。

 取り合えず桜井に電話をかけてみる事にした。レスポンスは早く、二秒程度で通話が繋がる。

『あ、センセ。どうだった?』

「どうだった……じゃないわよ、まったくもう」

 ぷりぷりと唇を尖らせて、スピーカーフォンに設定したスマホをテーブルの上に置く。再びグラスをなみなみと満たした。

「またおかしな場所に行って……」

『……という事は、何かが視えたのね?』

 茅野の声がした。

「ええ。その部屋、がいるわね」

『女の子ではなくて?』

「ええ。女よ。髪の長い……二十代くらいかしら。白っぽいチュニックワンピを着ているわね。首に紫の痣が浮かんでいる。多分、死因は扼殺やくさつだと思うけど」

『成る程……ありがとう』

「何なの? この部屋……あまり、いい場所ではないわ」

『実は、私たちの学校の後輩の話なのだけれど……』

 茅野は一連の経緯を九尾に語った――




「それは多分、その後輩の子が死者の思念をどこかで読み取ってしまったのね。それで、無意識下に沈んでいた死者の思念が睡眠中に夢として浮かびあがった……」

『死者の思念?』

「そうよ」

 九尾は、茅野の言葉に答えると、まぐろの唐揚げを口の中に放り込む。咀嚼して日本酒で流し込む。濃厚な旨味が口の中に広がり麹の香りが鼻から抜ける。

「きっと、その子は元々霊感が強いのね」

『それ、本人が聞いたら多分喜ばないだろうなあ』と、苦笑する桜井の声がした。

 一方の茅野はというと……。

『確かに、その地下室のある館へと探索へ行ったとき、彼女だけ霊らしき白い影を目撃していたわ。彼女、霊感が強かったのね。うらやましい……』

 悔しそうだった。

「まあ霊感が強くても、いいことなんかあまりないわよ」

 九尾は遠い目で過去を懐かしみながら、グラスを満たす。

『そんなものかしら』

「まあ、循ちゃんなら、何があっても楽しめそうだけど」

 と、自嘲気味に微笑む九尾。

『そうね。それは兎も角……その夢を見るようになった原因はいいとして、その夢で起こった出来事は、過去に本当にあったという事で間違いないのかしら?』

「ええ。間違いないと思う」

『じゃあ、今のままで、彼女に危険はないのかしら?』

「霊的には特に。さっきの地下室の霊も、他人に取り憑いて、どうこうするつもりはなさそうだし……。夢は、そのうち見なくなると思うわ」

『そう。ならば、私たちは特に何もする必要はないのね?』

「そうね」

『それは、それで複雑な気分……』

 桜井が残念そうに言った。

『それで先生。結局、どこで彼女は死者の思念を読み取ったのかしら? 彼女はその館へと足を運んだのは今日が初めてよ。それどころか館がある地区にも行った事はなかった。まさか死者の思念が電波のように飛んできて、偶然それを彼女が受信してしまった訳ではないのでしょう?』

 その茅野の疑問に九尾は「うーん……」としばらく悩んでから答える。

「それは、今ある情報だけでは何とも言えないかな。例えば、知らずに死者の思いのこもった物に触れたとか、その館以外の、死者に縁のある土地を知らずに訪れたとか」

『……どれも、違うわね』

「絵画や写真、似顔絵……極端な例だと、新聞の死亡記事に触れただけで、その記事に書かれた人の思念を読み取った……なんて事もあるけれど。兎も角、死者と関わり合う何かを介して、意識が繋がってしまったのよ」

『要するに一種のサイコメトリーのようなものなのかしら?』

「そうね。近いわ。……まあ、そんな訳だから、その後輩の子には、あまり気にしないように言ってあげて」

『そう。ありがとう。大変、参考になったわ』

『ありがと、センセ』と、桜井の弾むような声のあとに通話は途切れる。

 九尾はスマホの画面を見詰めながら、やれやれ、と溜め息を一つ。

「……まったくもう」

 ぼやいてから、ぐい、とグラスを呷り、クリームチーズを口の中に放り込んだ。




「羽田さんが夢で最初に首を絞められてるのは、その女の幽霊が殺された時の記憶なのかな?」

「そうなのでしょうね」

 食事が終わり、リビングで食後のティータイムとしゃれ込んでいた。

 茅野薫は食器と調理器具の後片付けが済むと『女の子同士の内緒ないしょのお話があるから、できれば席を外して欲しいのだけれど……』と姉に赤ら顔で言われ、自室へと追い払われてしまった。

 何だかんだ言って、可愛い弟には、あまり物騒な話は聞かせたくない茅野であった。

 そのあと、九尾との電話を終えて、くつろぐ二人。

 古めかしい柱時計の針は、二十二時を指したところだった。

「……でもさ、循」

「なにかしら?」

 桜井の言葉に返事を返し、たっぷりと甘くした珈琲をすする茅野。

「結局、羽田さんの夢は誰の記憶なの? あの地下室にいた幽霊の記憶?」

「恐らくそうでしょうね。首を絞められている場面が俯瞰ふかんであった事を考えるならね」

「じゃあ、その女の人が、友澤さんの殺されるところを見たのは……」

「死んだあとでしょうね。幽霊となって風見鶏の館の地下室で、友澤さん殺害の一部始終を目撃した」

「そのときの記憶も、羽田さんは読み取ってしまった……と」

「恐らくは」と茅野は相づちをうって、珈琲カップを持ちあげる。

「ともあれ、まだ、一つ、二つ確認したい事はあるけれど、何となく見えてきたわね」

 そう言って、深い闇夜のように笑うのだった。

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