【09】リトマス試験紙


 ホールは吹き抜けで、階段は二階の通路へ続いていた。

 その階段に向かって右手の奥に扉口が見える。扉板は外れており、脇の壁に立てかけてあった。

 桜井が、その扉口の向こう側をライトで照らした。すると光の中に地下への階段が浮かびあがる。

「白い影は、こっちへと消えたのね?」

 茅野が地下への階段を指差して羽田に確認する。

 羽田は階段の左側にある居間の入り口の方へと目線を向けてから答える。

「ええ。そうです……」

 茅野は少しの間、思案顔を浮かべてから、再び羽田に問うた。

「確か羽田さんが見た夢の中で、友澤さんが殺されていた場所は、鉄骨が剥き出しになったコンクリートの天井だったわね?」

「はい」

 と、羽田は頷く。

「地下室……なのかもしれないわね」

 と、茅野は独り言ち、桜井の方を見る。

「梨沙さん」

「りょうかーい」と桜井が先行して階段へと向かう。茅野、西木、そして羽田がその後に続いた。

 四人は冷たいコンクリートの階段を降りる。その先にあった金属製のドアにかかっていた鍵を、茅野が速やかに解除した。四人は地下室へと足を踏み入れる。

 室内には当然の如く誰もいない。

 やはりさっきの影は幽霊だったのか……羽田はぞっとして血の気が引いたが、もし幽霊じゃなかったとしても別な意味で怖い事に気がつく。

 怖気おぞけに身を震わせる羽田は、ふと隣にいた西木の横顔をうかがった。すると少しだけ緊張気味の様子ではあったが、そこまで怖がっているようには見えなかった。

 私がおかしいのか……そんな疑念にとらわれて、ふと冷静になる羽田だった。お陰で再び恐怖が遠退く。彼女も室内を見渡した。

 広さは八畳ほどだろうか。壁際にはスチールの棚が並び、園芸の肥料や道具類がしまわれていた。

 床はコンクリートで何度か補修された跡があり、ツギハギのような模様がついていた。

 裏庭方向に面した壁の天井付近に明かり取りの小窓がある。泥にまみれた磨り硝子がはまっており、外から鉄格子で覆われていた。

 桜井はネックストラップで吊るされたスマホを手にとって、室内を撮影し始める。

 そして、茅野が天井に向けてライトの光を向けた。

「羽田さん。どう? この天井は」

 その言葉につられて視線をあげた瞬間、羽田は大きく目を見開き、声をあげる。

「この天井だと思います。多分……いや、絶対そうです」

「アングルはどの辺?」

 桜井に問われて、羽田は天井を見あげたまま部屋の中央へと歩みを進める。

「裸電球の真下辺りだから、多分この辺りだと思うけど……ここです」

 と、足を止めて床を指差す。すると桜井がやってきて「どいて」と言って、羽田の立っていた場所に躊躇ちゅうちょなく寝転ぶ。スマホを天井に向けて、ぱしゃり、とシャッターを切る。

 そして羽田に、その写真を見せた。

「どお?」

 羽田は興奮気味にまくし立てる。

「そうです! 夢で見たまんまです!」

 そのやり取りを見守っていた茅野が口を開く。

「……取り合えず、今日のところはここまでにしましょう。ずいぶんと遅くなった事だし」

「うん。そだね……お腹減ったよ」

 桜井が呑気に欠伸をした。西木は大きく背骨を伸ばす。

「よーし、撤収てっしゅう、撤収っと……」

 四人は館を後にした。

 無事コンビニまで帰還し、解散となった。




 その後の帰り道だった。来津市方面へと向かう農道で、西木がママチャリのペダルを踏みながらぼやく。

「いやー、終バス間に合わないな……」

「じゃあ、泊まっていってくださいよ、先輩」

 彼女の少し後方を並走する羽田は、これ幸いにと提案する。到底、独りで眠れそうになかったからだ。

 しかし、この頼れる先輩と一緒ならば、きっと無事に朝を迎えられる。そう思った。

 西木は「始めからそのつもり」と快活に笑う。その返答を聞いて、安堵の溜め息を漏らす羽田。

 そんな彼女に西木が問う。

「今日はどうだった?」

「その……何て言うか」

 羽田は極めて遠慮がちに先輩の質問に答える。

「あの二人、噂通り……その……」

 言い淀んでいると西木が悪戯っぽく微笑みながら、その言葉を引き継ぐ。

「イカれてる?」

「えっ。そんな事……」

 誤魔化そうとも考えたが羽田は素直に頷いた。

「はい」

 すると西木は夜空に向かって爆笑したあとで言う。

「でも、あの二人より頼りになる存在なんて、そうそういない。そこら辺の正義の味方なんかよりも、ずっとね……」

「正義……正義なのかなあ?」

 羽田が首を捻ると、西木は再び爆笑する。

「たまに怪しい時もあるけど、少なくとも悪人ではないわ。無邪気なのよ、あの二人は」

「はあ……」

 気のない返事をする羽田。

 この先輩が言うのなら、きっとそうなのだろう。ひとまず、そう納得しておく事にした。




「……それで、今日はどうするの?」

「アクアパッツァが久々に食べたいわ」

「いいね。簡単だし」

 そう言って桜井は、あさりの水煮缶を買い物籠に放り込んだ。

「薫がお腹を空かせているみたい。急ぎましょう」

 茅野がスマホの画面を見ながら言った。

 二人は西木たちと別れてから、夕食の材料を購入する為に、スーパーへと立ち寄った。

 このあと桜井は、茅野邸にお邪魔して料理の腕を振るう事になっていた。ときおり彼女は、両親のいない茅野姉弟の為に、夕食の調理を請け負う事があった。

 材料費は全額茅野持ちである為に、料理を作るのも食べるのも大好きな桜井にとって、天国のようなイベントである。

「……それにしてもさあ」

 と、野菜コーナーに移動しながら、桜井が言った。

「羽田さんの夢が現実に起こった事だっていう可能性が高まった訳だけど」

「そうね」

「友澤さん殺しの犯行現場はあの地下室って事?」

「そういう事になるわね」

 茅野はミニトマトを買い物籠に入れる。次に二人は鮮魚コーナーへ移動する。

「なら、友澤さんの遺体を埋めようとしていたのは誰なの? やっぱり、あの似顔絵の人には共犯がいたっていう事なの?」

 茅野は思案顔を浮かべながら、鯛の切り身を手に取る。

「それについては、何となく想像がつくけれど、まだ何とも言えないわね」

「ふうん……」

 と、桜井。

 鯛の切り身を籠に入れ、二人はレジへと向かう。

「あと、羽田さんの夢で、最初に男に首を絞められるのも謎だよね」

「そうね」

「あれは何なのかな?」

「取り合えず、色々と疑問はつきないけれど、ご飯を食べたらリトマス試験紙・・・・・・・を試してみましょう。何かが解るかも」

「リトマス……ああ」

 桜井は、ぽむ、と両手を打ち合わせる。

「九尾センセの事ね」

「あの地下室の画像を送り付けてやりましょう」

「うん。そうだね」

 こうして会計を終えると二人は、茅野邸へと向かった。

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