【33】後日譚


 無事に加太へ帰港した三人は、再びホテルに戻り、食堂で適当に夕食を済ませた後、泥のように眠る。

 そして翌朝。

 朝食を済ませてホテルをチェックアウトすると、三人は加太砲台跡かだほうだいあとへと向かった。

 九尾が二人に何かお礼がしたいと申し出たところ、連れて行って欲しいと頼まれたのでつき合う事となった。

 加太砲台跡は、その名の通り戦時中に紀淡海峡を守護する砲台が設置してあった場所である。

 そして、こういった戦争遺跡のご他聞たぶんに漏れず、心霊スポットとしても一定の知名度があった。

 つまり桜井と茅野は、泉の広場、夜鳥島、加太砲台跡と三日連続で心霊スポットを探訪しようというのだ。

 九尾はレンタルしたプリウスのハンドルを握り、山間の県道を走りながら呆れ返る。

 車中の桜井と茅野がとても元気そうで楽しげだったからだ。

 そうして駐車場に車を止め、落ち葉に覆われた煉瓦敷きの山道を行く。茅野の解説によれば、この煉瓦敷きの道も戦中そのままなのだという。

 しばらく進むと、石垣の防護壁や深い溝の底に並んだ弾薬庫、トンネルなど、当時の設備が三人の前に次々と姿を現す。

 他の観光客はいなかった。それが自粛ムードの為なのか、普段から人気ひとけがないのか、九尾にはよく解らなかった。

 最後に三人は紀淡海峡を一望できる展望台に辿り着く。

 手前の友ヶ島は、はっきり見えたが、生憎の曇り空の為に淡路島や夜鳥島は見えなかった。

 こうして見ると、本当にあんな恐ろしい島が存在していたのかどうなのかも怪しくなる。そんな不思議な気分に襲われる。

 実はあの島は悪夢の中だけに存在しているのかもしれない……九尾は潮風になびくダークブロンドの髪の毛を押さえながら、そんな益体やくたいもない事を頭に思い浮かべたのだった。

 そこで桜井が、ふとこんな事を言った。

「……そういえば、島へ行く前にホテルであたしが眼鏡を部屋に忘れたのって、循の仕業でしょ?」

「そうよ」と悪びれもせずに言う茅野。

「どうりで。眼鏡ケースがベッドの下にあったから、おかしいと思ったんだ」

「騙して申し訳なかったわ」

「いや、実によい作戦だったよ」

 桜井が気軽な調子で言った。

「敵を騙すにはまず味方から。兵法の基本の一つだね。えっと……孫子だっけ?」

「そうね」と茅野。

 桜井は肩をすくめて笑う。

「……ただ、スタンガンを喰らったのは覚えていないんだよね。そこが少し残念」

「残念なんだ……」

 九尾が苦笑する。

 そこで茅野は空を見あげた。

「雨が降りそうだから戻りましょう」

 桜井がお腹をさすりながら、唐突に言う。

「ウエンディゴに取り憑かれそう」

「ウエンディゴ!?」

 九尾は目を丸くして首を捻る。すると茅野が提案した。

「じゃあ、お昼は和歌山ラーメンにしましょう」

「いいね」

 と、桜井が賛同し、茅野に問うた。

「和歌山ラーメンって、どんなのなの?」

「醤油豚骨の中華そばよ。麺は太めのストレート。ウエンディゴによく効くと思うわ」

「ウエンディゴ……だから、何で、そこでウエンディゴが出てくるのよ?」

 九尾は首を傾げる。

 三人は特に何事もなく駐車場に戻り、近くのラーメン屋へと向かった。




 その手狭てぜまで年期を感じさせる店内には、出汁と脂と湯気の香りが充満していた。

 暖簾のれんを潜りガラガラと磨り硝子のはまった引き戸を開けると「いらっしゃーい」のかけ声が、心地よく響く。

 三人は空いているテーブルに腰をおろした。すると桜井が目を見開いて驚きの声をあげる。

「これ、お寿司だ! 玉子もあるよ……」

 とテーブルの上に置かれた籠には、ゆで玉子と、笹を模したプラスチックの包装に包まれた鯖寿司さばずしが置いてある。

「これは“早寿司はやずし”といって、和歌山ではラーメンと一緒にお寿司を食べる習慣が昔からあるらしいわ」

「ふわああ……和歌山は天国ですか……?」

 瞳を煌めかせる桜井。そして茅野の解説は続く。

「諸説あるけれど、どうも関西地方のうどんと一緒にお寿司を食べる習慣が起源だというわね」

 本当に何にでも詳しい。

 このたぐまれなる知識と、縦横無尽じゅうおうむじんの思考能力……彼女がいなければ箜芒甕子を打倒する事は難しかっただろう。

 そして、一瞬だけ最強最悪の敵になりかけたが、桜井梨沙の存在もまた勝因の一つであった。彼女がいなければ、憑依された茅野循に対処する事はできなかった。

 この二人の力が……霊能力を持ち得ない普通・・の女子高生の二人が、長き年月に渡り、多くの人々を犠牲にしてきた最凶の悪霊を打ち破ったのだ。

 今更ながら、独りで夜鳥島に乗り込もうとしていた自分自身の見込みの甘さにぞっとする九尾であった。

 そして、茅野が味噌ラーメン、桜井がチャーシュー麺の大盛り、九尾が普通のラーメンと、注文を終えた後だった。

 ふと桜井がこんな事を言う。

「そういえば、あの手記にあった箜芒甕子の予言だけれど……」

「ああ……」

 九尾は記憶を手繰り寄せる。


 『……科学の灯火ともしびにて超常の色濃い闇に挑まんとするその蛮勇ばんゆうは、遠い未来、異人の血を引く巫女により、この地へといざなわれた二つの凶星が、必ず打ち砕く』


「あれは、本当の事なのかな? 本当に華枝さんに取り憑いた本物の箜芒甕子が、ああ言ったのかな?」

 桜井の疑問に茅野が答える。

「ええ。そうね。わざわざ、あんな嘘を吐く理由が解らないし」

 そこで九尾が苦笑する。

「いやいや、嘘も何も予言は当たっていた訳だから……」

 本当に箜芒甕子は、目羅博士に未来を予言して見せたのだ。

 桜井と茅野が顔を見合わせた。九尾は更に言葉を続ける。

「力の強い霊は、そういった予知能力を持つ事があるわ。多分、箜芒甕子には、川村千鶴が夜鳥島にやってきて自分を滅する未来が視えていた」

「成る程。つまり箜芒甕子は目羅博士の自尊心や信念を打ち砕き、狂気におとしいれて彼を自らの後釜にしたてあげたのかもしれないわね」

 そうだとしたら、真の恐怖は川村に祓われた本物の箜芒甕子だ。

 あの悪霊は最後の最後に呪い・・をかけたのだ。

 その目論見通もくろみどおり夜鳥島は壊滅し、誰もいなくなった。

「……そして、長い年月の果てに現れた二つの凶星が彼を打ち砕いた……と」

 九尾がそう言うと桜井と茅野は、きょとんとした顔で首を傾げる。

「センセ。その二つの凶星って何の事なの? 結局」

「そうね。さっぱり、全然、解らないわね」

「えっ」

 九尾が二人の顔を見渡す。

「いやいやいや……とぼけないでよ」

「ん?」

 桜井が真剣な様子で眉間にしわを寄せる。

「本当に全然、意味が解らないわね……?」

 茅野がわざとらしくあごに指を当て、思案顔を浮かべる。

「いや、だから……てか、循ちゃんは絶対に解って惚けてるでしょ!」

 と、そこで注文が運ばれてくる。

「まあいいわ。取り合えず食べましょ」

「そだね。麺が伸びるし」

「だー、かー、らー……」

「ほら、九尾先生も食べて、食べて」

「もう……」

 結局、諦めて麺をすする九尾天全。

 このあと、彼女は穂村一樹率いる警察の調査隊と合流し、夜鳥島の調査に当たる予定だった。

 そこで箜芒甕子に連れ去られたまま行方不明になっている妹の恵麻の亡骸を何としても取り戻すつもりでいた。

 それまでの束の間の一時、たっぷりと鋭気を養おう……そう心に誓うのであった。




 後日、穂村たちと共に夜鳥島に上陸した九尾は、これまで行方不明となっていた者たちの大量の屍を発見する。

 それはまるで、唐突に出現したかのように、島のいたるところで見つかった。

 その中には当然ながら、岡田世花の妹である岡田恵麻のものもあったという。

 こうして仲のよかった双子の姉妹は、十年ぶりの悲しい再会を果たしたのだった。






(了)

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