【31】違和感の塊


 茅野は肩をすくめた。

「そもそも、あの目羅博士の手記がおかしいのよ。違和感の塊でしかないわ」

 九尾は桜井と顔を見合わせてから首を傾げる。

「あれのどこがおかしいの?」

「考えてもみて。そもそも、あの記述が全部本当ならば、箜芒甕子は、自分の正体を残したあの手記をわざわざ処分せずに残しておいたという事になる」

「確かに、そうね……」

 九尾にもようやく茅野が言わんとしている事が解った。

 あの手記に書かれている事がすべて事実ならば、手記を残しておくメリットが箜芒甕子にはない。

「それに目羅博士は、なぜこれを書こうと思ったのかしら? この手記が書かれたのは昭和二十四年の九月十五日の夕方から十七日の未明の間……時間はあったにも関わらず、島外へ逃げて助けを呼ぶでもなく、箜芒甕子に邪魔をされたり、もしかすると殺されるかも解らないのに、惨殺の現場に止まり続けて手記を書き続けている。しかも短く簡潔に要点を書き留めるならまだしも、事の経緯を逐一最初から、まるで小説のように……」

「ホラーあるあるだね。そんなの書いてるひまがあるなら、他にやる事あるでしょ……みたいなやつでしょ?」

 桜井が呆れ顔で笑うと茅野が頷く。

「そうよ。打つ手がなくて絶望していたのだとしても、そんな精神状態で何万文字もの文章を冷静に書ける物かしら?」 

「まあ、確かにおかしいっちゃあ、おかしいねえ……」

「……というか、これまでに誰も不思議に思わなかったのが、最大のミステリーよ。捜査にあたった警察関係者はクトゥルフ神話をたしなむべきね」

「あー……クトゥルフって……アル・アジフの奴か……」

 桜井があの異次元屋敷での一件を思い出しながら言った。

「そう。クトゥルフ神話を題材にした小説では“故人の手記”というてい・・叙述じょじゅつされている作品がいくつかあるわ。“クトゥルフ神話といえば手記”というぐらい定番のガジェットね」

「ふうん」と桜井。

 九尾もずっと昔に、このクトゥルフ神話に属する話を読んだ事があった。

 タイトルは覚えていないが、田舎の漁村を舞台にした話であったと記憶している。

「……中でも『ダゴン』という作品では、手記を書き終えようとした男が、窓の外に何かの恐ろしい姿を見たらしく、最後に『いや、そんな! あの手は何だ! 窓に! 窓に!』という文章で締めくくられているわ 」

「いや、確かに早く逃げろよってなるね」

 桜井が冷静に突っ込む。

「まあ、これは一種の様式美みたいな物だから、フィクションとしては構わないのだけれど、現実的ではないわね。目羅博士の手記も、このクトゥルフ神話の手記と同じなのよ。まるで・・・小説みたい・・・・・。それが、まずあの手記を初めて読み終えた時の私の感想よ」

 茅野の皮肉めいた言い方に苦笑する九尾。

 確かにホラー小説ならば、そうした残された手記は、慣れた読者にしてみれば不自然であり、いかにもフィクション染みて思える。そして、それは“お約束”として楽しまれる物なのだろう。

 しかし、これは現実で、事件現場から発見されたという事実が、まず先にあるのだ。

 一見すると違和感を抱かない方が間抜けに思えるかもしれないが、“現実に起こった事”という先入観によって手記の存在そのものを疑おうと考える方が難しい。

 これが遺産相続や生命保険の受け取りに関わる遺言状や遺書ならば話は別だ。

 金銭という見えやすい損得が絡んでいるため、その内容に誰かが嘘を盛り込んでいるかもしれないという疑念は湧きやすい。

 しかし、この手記は違う。その点も先入観を与える大きな要因となっているのだ。

「……兎に角、手記の存在に違和感を抱いた私は、こう考えた。“この手記は事実を伝える以外の別な目的があって、書かれたのではないか”と……」

「なるほど。そういう事ね……。嘘。やっぱ、わからん」

 桜井は一瞬だけキリッとした顔になるが、すぐにしょんぼりと肩を落とす。

「で、結局、何が目的だったのさ?」

「それは当然、読んだ人に、あの手記に・・・・・書かれた事が・・・・・・事実であると・・・・・・思って欲しかった・・・・・・・・のよ・・

「でも、そんな事をして何の意味が……」

 九尾は首を傾げる。

 手記の記述がすべて事実だったとして、誰が何の利を得るというのか。

 そんな嘘を吐いて、何がしたいのか。

 そこまで考えて、九尾はようやく気がつく。

「そうか……だから目羅博士は……」

 茅野は不敵な笑みを浮かべながら頷く。


「そうよ。あの手記の内容が事実だったとして一番得をする人物は執筆者自身。目羅博士は心霊・・・・・・・の存在を否定し・・・・・・・たかった・・・・だから・・・あの手記を残し・・・・・・・川村千鶴を殺した・・・・・・・・のよ・・


「ああ……」

 ようやく九尾の中ですべてが繋がる。だから箜芒甕子は、自分の事をしきりに“ぺてん師”と呼ばわっていたのだと。

「……そもそも、この夜鳥島には沢山の廃墟マニアが出入りしている。ネットにも写真が沢山アップされているわ。一方で、十年前の事件後に島を訪れた警察関係者は、ことごとく箜芒甕子の被害にあっている」

「うーん。確かにそうだね。何か理由があるの?」

 桜井が首を傾げる。 

「もちろん理由はあるわ。廃墟マニアが何事もなく、この島に出入りできて、警察関係者が箜芒甕子の被害にあった理由……それは・・・霊能者が・・・・同行していたから・・・・・・・・

 九尾は思い出す。

 確かに十年前の事件後に島へと上陸した警察の捜査員たちには“狐狩り”が同行していた。

「それじゃあ、箜芒甕子のターゲットは……」

「霊能者よ。彼は、霊能者に自らの霊能力が通じない事を思い知らせて殺していたの。今回だって、恐らく目羅博士は私たちがここに辿り着き、箜芒暁美の名前を知るまで、様子をうかがっていたのよ」

「それで、名前を知っても、祓えない事を思い知らせてから、あたしたちを殺そうとしたの……? 陰険すぎぃ!」

 桜井が吐き捨てる。

「じゃあ、十年前に、橋から落ちたわたしと恵麻を後回しにしたのも……」

 九尾の言葉に茅野は頷く。

「あえて、でしょうね」

 そこで、九尾の脳裏に、今朝の茅野の口から出た言葉がよみがえる。


 『……そうでなくとも、箜芒甕子は先生に取り憑かないだろうけど』


 だから茅野は、箜芒甕子が自分か桜井にしか取り憑かないという事を確信していたのだ。

 すべては、霊能者を貶めて絶望を与える為に……。

 九尾が言葉を失っていると、茅野がふと鍾乳石のぶらさがる天井を見あげて言った。

「……そろそろ帰りましょう。話はまた地上に戻ってからで」


 こうして、三人はひとまず、北門口から地上に戻る事にした。

 因みに、帰り際、桜井と茅野は残されていたかめの中を覗こうとしたところ、蓋が開かずに断念する。

 流石に甕を無理矢理、破壊しようとはしなかった。


 そうして再び井戸から地上に戻ると、少し休憩を取る事にした。

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