【30】真の姿


「よいしょ……っと」

 桜井はあっさりと茅野の左手を九尾の右手首から引きはがす。

「邪魔だ、放せ!」

 箜芒甕子に憑かれた茅野循が暴れる。

「放せ!」

 激しく懸命にもがく。

「はな……せ……」

 しかし、まったく揺らがない桜井。

 箜芒甕子としては、茅野の肉体を捨てて桜井の身体に戻りたいところである。

 しかし、そうなると茅野が正気に戻ってしまい、自らの正体が霊能者である九尾に知られてしまう恐れが出てきてしまう。

 ゆえに茅野の肉体から簡単に出て行く訳にはいかない。

「はな……」

 茅野は左手を後ろ手に捻りあげられ、後頭部を捕まれて組伏せられる。

 もうこうなってしまっては茅野を自殺に導く事もできない。

 桜井が叫んだ。

「センセ! 早くお札を……」

 九尾は肩かけ鞄のポケットから“調伏法ちょうふくほう真髄しんずい”が入った封筒を取り出した。

 そして封筒の中をのぞき込んだ瞬間、すべてを理解した。

 茅野は嘘を・・・・・吐いていたのだ・・・・・・・

 戦争の勝敗の鍵は、どれだけ有利な条件で開戦できるかであると……。

 これは、そんな“有利”などというレベルではない。

 この戦いは、島にくる前から・・・・・・・……いや・・茅野循が夜鳥島の・・・・・・・・資料をすべて読み・・・・・・・・終わった直後から・・・・・・・・勝負は既に・・・・・決していたのだ・・・・・・・

 札と一緒に入っていた、その小さな紙切れをもう一度確認する。

 そこには到底、信じがたい事が書かれていた。しかし、今ならば何の説明がなくとも、それが真実であると九尾は受け入れる事ができた。


「その紙切れを見るなぁああああああっ!」


 茅野循が……箜芒甕子が絶叫する。

 茅野が封筒に、箜芒甕子の・・・・・真の名前・・・・を記した紙切れを“調伏法の真髄”と一緒に入れたという記憶を、彼女の脳から読み取ったのだ。

 箜芒甕子が逃げようとする。

 しかし、既に時は遅い。

 九尾がその名前・・・・を知った事により、茅野循と重なるように存在していた箜芒甕子の揺らめく姿が集束してゆく。

 九尾は桜井に組伏せられたままもがく茅野循に向かって、右手をかざす。

 十年前はまったく捕らえられなった存在を九尾天全は見えざる手で容易に掴んだ。

 もう箜芒甕子だった者は、茅野の身体を捨てて逃げる事すらできない。

「やめろぉおおおおおっ!」

 茅野の両目の眼球がぐるぐると激しく動き回る。

 そんな彼女の元へと九尾は歩みより、“調伏法の真髄”を額に当てた。

「やめろ! やめろっ! 我は普遍的無意識に住まう影の人格……霊媒などに……ぺてん師などに……」

 九尾は冷たく言い放った。


「いいえ。お前は悪霊よ」


 “調伏法の真髄”が黒く染まり、ちりのように粉々になる。

 同時に茅野循の中にいたモノも、この世界から消え失せた。

 実に呆気ない最後であった。

「終わった……?」

 桜井梨沙が九尾に問うた。九尾が頷いたのを見て、茅野から手を放した。

 茅野は四肢を突き、荒く息を吐いている。

「それにしても……何でが……」

 九尾は怪訝けげんな顔で“調伏法の真髄”と一緒に入っていた紙切れを見つめる。

 そこには、こう記してあった。


 『箜芒甕子の正体は・・・・・・・・目羅鏡太郎・・・・・




 茅野循がゆっくりと立ちあがる。

「ねえ、循ちゃん」

 九尾が問う。

「何故、目羅博士が箜芒甕子に……?」

 すると、茅野はうつむきながら肩を揺らし、笑い始める。

「くっくっく……」

「循ちゃん?」

「あっはっはっは……」

 高らかに笑いながら天井を仰ぎ見る茅野循。

 そして邪悪な微笑みを浮かべながら言い放った。

「道化ども……聞くがよい! 我は普遍的無意識に住まう影の人格……箜芒甕子!」

「ちょっと、冗談はやめてよ、循ちゃん」

 そこで桜井が冷静な表情で茅野に問うた。

「一九八五年、映画『フェノミナ』で冒頭の少女が殺された日は、何の日?」

「監督の誕生日」

「十三日の金曜日シリーズで、ジェイソンの被っているホッケーマスクに空いている穴は何個?」

「三十一」

「これ循だわ。センセ」

「いや、今の質問は何なのよ……」

 九尾が呆れ顔をした。

 すると、茅野が真面目な顔になり、

「終わったようね」

「ええ。でも、さっぱり解らない。あの目羅博士が箜芒甕子? なぜ、そんな事に……」

 九尾天全は、さきほど視た茅野循と重なって見えた、白衣の神経質そうな男の顔を思い出す。

 彼は箜芒誠司にわれ、箜芒甕子に取り憑かれた華枝を精神病の患者として治療しに、この島へときたのではないのだろうか。

 その本人がなぜ、箜芒甕子に……そして華枝に取り憑いていたはずの箜芒甕子はいったい何だったのか。

「ねえ。目羅博士って、あの手記を書いた人だよね?」

 桜井も訳が解らないといった様子で首を傾げる。

「そうよ」

 茅野は得意気にほくそ笑みながら、右手の人差し指を横に振る。

「目羅博士は昭和二十四年に、さっき私がやった事と同じ事をしたのよ」

「循がやった事と同じ事……?」

 桜井が眉間にしわを寄せた後、ぽんと両手を打ち合わせた。

箜芒甕子の真似だ・・・・・・・・

「大正解よ。梨沙さん」

「わーい!」

「待って……それじゃあ、元々の箜芒甕子は……」

 九尾の疑問に茅野は淡々と答える。

祓われていた・・・・・・のでしょうね・・・・・・

「祓われていたって……?」

「昭和二十四年の九月十六日から行われていた川村千鶴による箜芒甕子の除霊は成功していたのよ」

「そんな……」

 九尾は驚愕のあまり大きく目を見開く。

 そして、茅野循が真相を語り始めた。

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