【29】最終決戦


「ぺてん師よ。何度やっても無駄だ。我を祓おうというのか? やってみよ! そして己の無力を再び思い知るがよい……」

 桜井が天井を仰いであざけり笑う。

 九尾は不安げな眼差しで茅野の顔を見た。しかし茅野は酷く冷静な表情で一つ頷いただけだった。

 九尾は、ごくり、と唾を飲み込み……上着のポケットに右手を入れる。

 桜井が首を傾げる。

「そなた……奇妙な札を持っているな?」

 九尾は答えない。その額から一筋の汗が伝う。

 桜井がポケットに入れたままの右手に視線を移す。

「そのポケットの中にあるのが、“調伏法の真髄”とやらか……面白い」

 桜井が九尾に飛び掛かる。

「それで、我を祓えると思うなら祓ってみよ!」

 九尾は驚いていた。

 桜井が飛びかかってきた事に……ではない。

 すべてが茅野循の想定通り事が運んでいるからである。


 後は失敗がなければ、すべて上手くいく……。


 桜井が九尾の胸ぐらに掴みかかろうとする。

 同時に九尾は右手をポケットから抜き去る。まるで古いマカロニウエスタンのガンマンのように……。

 そして右手に握り締めた物を桜井梨沙の胸元に押しつけた。

 それは、“調伏法ちょうふくほう真髄しんずい”などではなく、スタンガン・・・・・であった。

 青白い火花が飛び散り、バチリと大きな音が鳴った。

 憑依された者は苦痛を感じない。しかし、スタンガンは対象に痛みを与えるだけではない。

 脳から神経を流れる微弱な電気の流れを阻害し、筋肉そのもの・・・・・・を硬直させる・・・・・・

 桜井梨沙が仰け反って、まるでスイッチが切れたロボットのように崩れ落ちる――




 ――時は早朝にさかのぼる。


 ビジネスホテルのロビーで、眼鏡を取りに行った桜井梨沙を待っている間の事だった。

「九尾先生……これを持っていて」 

 茅野はリュックの中から取り出したそれをテーブルの上に置いた。

 スタンガンである。  

「これは……」

「もしも私が箜芒甕子に憑依されても、梨沙さんが何とかすると思うわ。問題は梨沙さんが取り憑かれた時よ。そのときは容赦なくこれを使って」

「ああ……」

 九尾は半笑いになる。

 彼女たちと初めて出会った時に桜井梨沙が見せた見事な縦四方たてしほうを思い出す。

「……でも、箜芒甕子が梨沙ちゃんに取り憑いたとしても、柔道の技術を使える訳ではないわ。箜芒甕子本人が柔道家でない限り」

 もちろん、例外もある。その場合でも憑依した者の技術を取り憑いた霊が使えるようになるまで、かなりの時間を要する。

 しかし、茅野は首を横に振る。

「貴女は梨沙さんの事を何一つ解っていない……」

「え……?」

 茅野は真顔で言う。

「あれは、化け物よ」

「化け物て……」

 九尾は苦笑する。しかし茅野にいっさい冗談めかした様子はない。

「梨沙さんの身体能力を使えば格闘技術がなくとも、我々二人を容易く制圧できる。特に握力。掴まれたら一貫の終わりね。彼女は両肩から獰猛な毒蛇を二匹ぶらさげていると考えた方がよいわ」

 散々な言い様だと九尾は思ったが、やはり茅野の表情に茶化ちゃかした様子はいっさい見られない。

 化け物。毒蛇。一見すると大袈裟な言葉ではあるが……九尾はゴクリと唾を飲み込んだ。

 そして茅野から、安全装置の外し方など、スタンガンの使い方を簡単に教えてもらう。

「梨沙さんが習得している格闘技術を使われでもしたら、かなり厳しいけれど、そうじゃないなら充分に勝機はある。冷静に、躊躇ちゅうちょなくやって頂戴ちょうだい。梨沙さんはそれぐらいで怒ったりしないし、むしろ喜ぶと思うわ」

「喜ぶて……ま、まあ、持っておくに越した事はないのは理解したわ」 

 九尾がスタンガンを上着のポケットにしまう。

 憑依された者は脳のリミッターが外れている場合が多いので、普段よりもずっと強い力を発揮する。

 それが桜井梨沙となれば、確かに茅野の言う通り、用心に越した事はない。

「それから、もう一つ」

「何?」

「スタンガンを持っている事は梨沙さんに内緒にしていて」

「何で?」

「貴女の話を聞いた限りでは箜芒甕子は、憑依した人間の心を読めるからよ」

「ああ……」

「できれば不意を打ちたい。憑依されてるとはいえ、梨沙さんを相手にするなら、どれだけ用心しても足りないわ」

 そこで九尾は悟る。茅野が自分たちの質問をはぐらかしてばかりいるのは、箜芒甕子に心を読まれないようにする為であると――




 茅野が時計を見ながらほくそ笑む。

「心を読むのには、けっこう時間が掛かるみたいね」

 九尾は肩かけ鞄の中から、茅野からもらった封筒を取り出していた。

「ううっ……」

 桜井がうめき声をあげながら、立ちあがる。

「先生! 今のうちに封筒の中の」

 と、言いかけた茅野が、突然がくりと項垂れた。

「循ちゃん……?」

 九尾が恐る恐る呼びかける。すると、次の瞬間だった。

 今度は茅野がゲラゲラとわらい始める。すべてをあざけるように、天井を仰いで笑い始めた。

「……循? どうしたの?」

 我に返ったらしい桜井が額に手を当てて頭を振った。

「愚か者が……小賢しい真似をしおって……」

 その茅野の声は、いつもの彼女の物とはかけ離れたしゃがれ声であった。

 どうやら、今度は茅野循が箜芒甕子に憑依されてしまったらしい。

 “相性”を自由自在に操り、まるでスイッチを切り替えるかのように人から人へと簡単に乗り移る。

 これこそが、箜芒甕子の恐ろしさである。しかし、茅野は桜井が席を外していた時に、こうも言っていた。


 『まあ、スタンガンは保険だけれども。恐らく箜芒甕子は梨沙さんに取り憑いても、すぐに私に乗り・・・・・・・移ろうとするわ・・・・・・・


 ようやく九尾は得心した。

 その言葉の意味を今ならば理解できる。

 茅野循が思わせ振りな言葉を発していたのはこの為だ。

 桜井梨沙の記憶を読んだ箜芒甕子はこう考えたのだろう。

 あの茅野循・・・・・という女は・・・・・自分の秘密・・・・・に気がついていると・・・・・・・・・……。

 桜井梨沙に取り憑いてから、その記憶を読み取るまでに若干の時間を必要とした。

 その為に、桜井梨沙に取り憑いた後、まずは九尾へと襲いかかってきたが、慌てて茅野循の口を塞ごうと彼女へと乗り移ったのだろう。


 『戦争というのはね、どれだけ有利な状況で開戦できるかが勝敗の鍵なのよ』


 あのときの彼女の言葉。

 九尾は改めて茅野循の神算鬼謀しんざんきぼうに舌を巻く。

 ここまでは、すべて茅野循の掌の上である。

 しかし、問題もあった。

 九尾や桜井には、茅野が箜芒甕子について、何に気がついていたのか解らない事だ。

 彼女が気がついたという箜芒甕子の正体とは何なのか。

 それを口にする前に彼女が憑依されてしまった。

 茅野循が……箜芒甕子が嘲笑あざわらう。

「ぺてん師よ。今度こそ殺してやる」

 悪霊は邪悪に嗤いながら、九尾に目がけて飛びかかってきた。

 咄嗟とっさにスタンガンを突き出そうとするが……。

「馬鹿めが。その手妻てづまはもう通用せぬ」

 茅野は九尾の右手首を取り、捻りあげる。スタンガンを取り落としてしまう。

「くっ……」

 凄まじい力だった。しかし――


「その手を放して!」


 そう言って、茅野の背中に飛びつくようにのしかかり、彼女を羽交はがめにしたのは桜井梨沙だった。

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