【23】文化結合型症候群


 それから数日が経ち、新学期が始まる。

 その放課後、お馴染みとなった部室棟二階のオカルト研究会部室にて。

「今年は雪が降らないねえ」

 何時もの定位置に腰をかけて、湯気立つ珈琲に息を吹きかける桜井。

「そうね」

 と、プリントアウトした夜鳥島の資料に目線を落としながら答える茅野。

「これは多分、天があたしたちにスポットに行けって言ってるって事だよね?」

「そうね」

 積雪が例年通りなら冬期は心霊スポット探訪は休止とする予定であった。

 その場合は藤女子の七不思議を調査する予定であったのだが……。

「流石に、二月になれば雪が積もるんじゃないかしら?」

「そかなー」

 暖房が効き始め部室内が暖まり始める。

 それに乗じて桜井はのぼせた猫のようにテーブルに上半身を投げ出した。

「……んで、何か面白そうな事、書いてあった?」

「梨沙さんはどこまで読んだのかしら?」

「昨日、寝る前に博士の手記みたいなの読んで眠たくなった」

 一応、桜井もプリントアウトした資料を手にしていた。

「そう……」と茅野は机の上で、トントンと資料の束を揃える。

「まず私が気になったのは、警察は二〇一〇年以降にも何度か、霊能者を連れた調査隊を夜鳥島に送り込んでいるらしい事ね。箜芒甕子の正体を探りに」

「うん……何か聞かなくても解るけど、結果は?」

 茅野は首を横に振る。

「当然ながら、芳しい成果はあげられなかったようね。結構な数の犠牲者も出ているみたい」

「うへえ……」と、顔をしかめて舌を出す桜井。

「……でも、明らかになった事もあるわ」

「何?」

「厄流しの時にかめを安置した北門口なんだけど」

 島の北側にある海に面した岸壁に空いた洞窟である。

「その奥に、歴代の箜芒甕子となった生け贄たちの名前と、儀式が行われた日付の記された位牌いはいがあるらしいの」

 島の北側にある清竜寺に、そういった事が記された文献がいくつか残っていたらしい。

「ああ……。それを見れば、厄流しされて明治二十二年に戻ってきたクノギミカコの本当の名前が解るっていう事だね?」

 この箜芒甕子の真の名前は、明治二十二年の事件以降、長らく島内で禁忌とされていた。ゆえに、この位牌を確認する他に知る術はないのだという。

「ええ。そうよ」

 茅野は首肯するとプリントをめくる。

「次は一九四九年の警察の捜査資料ね。それにも面白い事が記されていたわ」

「なになに?」

 桜井が上半身を起こして姿勢を正す。

「例の暴動のあとに島へと上陸した警察の調べでは、箜芒邸の状況は、あの目羅博士の手記に書かれていた通りだったというわ」

 玄関へ続く廊下で箜芒夫妻の遺体が、そして土蔵一階の階段付近には平川の遺体と壊れた手枷が落ちていたのだという。

 更に生き残りたちの証言によれば、手記のその他の記述も信憑性の高いものであるらしい。

「じゃあ、あの手記はだいたい本当の事だと考えてよさそうなんだね」

「……ただ、例の箜芒邸の土蔵なんだけど」

「ああ。華枝さんの閉じ込められていた場所か」

「そうね。その座敷牢の入り口周辺の床板の隙間なんだけど、そこから少量ではあるけれど、黒く変色した塩が見つかったそうよ」

「え……?」

 桜井は目を見開く。

 目羅鏡太郎の手記には、彼が最後に土蔵の二階へと戻ったとき、盛り塩は変色していなかったと記されていた。

 そして目羅は、それを箜芒甕子が自らの精神を操って見せた幻覚であると結論づけていた。

「じゃあ、本当は、盛り塩が変色したのは幻覚じゃない?」

「ただ、変色していない普通の盛り塩もちゃんと現場には残されていたみたいね」

「わけが……わからない」

 桜井が小首を傾げる。

「元々板の隙間に入り込んでいた塩が何かの理由で変色したのか……あるいは……」

 などと鹿爪らしい顔で思考を巡らせていたが、無駄だと諦めたらしい。

 桜井はあっさりと切り替える。

「やっぱ、わからん。他には?」

「そうね……他に興味深かったのは、この目羅博士の書きかけの論文ね。彼は、夜鳥島で頻発する“箜芒甕子憑き”という現象を現代で言うところの“文化結合型症候群”としてとらえようとしていたみたい」

「ぶんか……けつごうがた……?」

 桜井は首を傾げる。

 茅野の解説が始まる。

「特定の文化圏や地域、民族の間で多く見られる精神疾患の事よ。その土地の風土や文化、そこで暮らす人々の気質が発病の要因として大きく関わってくる。文化結合型症候群という言葉自体が使われたのは一九六七年、台湾のポウ博士の論文が初めてね」

「へえ。その人より十八年くらい早いね。目羅博士。中々目のつけどころがよい」

 なぜか上から目線の桜井の物言いに茅野は微笑む。

「……ただ、十九世紀頃から、特定の文化圏で起こる精神疾患の存在は指摘されてはいたみたい」

「なるほどー。その文化結合型症候群には、どんなのがあるの?」

「有名なのは東南アジアの“アモック”ね」

「あもっく?」

「アモックは、何か精神的に辛い事があって塞ぎ込んでいた人が、突如として別人のように暴力的になり、周囲にいる人を殺傷したり、自殺したりするという精神疾患よ。その暴れまわった間の記憶はなくなるらしいの」

「それ、病気じゃなくて悪霊に取り憑かれてるだけなんじゃないの?」

 桜井は苦笑する。

「昔は、そうした人を見て、悪霊に取り憑かれた……と、考えたのかもしれないわね」

「そのアモックっていうのは東南アジアでしか起こらないの?」

 この問いに茅野は首を振る。

「いいえ。文化結合型症候群は、その文化圏や地域、民族間で多く見られる・・・・・・といういうだけで、アモックと類似の症状が東南アジア以外で見られない訳ではないわ」

「確かに、そういう事件があるもんね」

 桜井が過去の痛ましい事件報道を思い出して顔をしかめた。

「日本人に多い対人恐怖症や鬱病なんかも、この文化結合型症候群だと言われているわ。これらは日本人に多いけれど、他の国の人がまったく罹患りかんしない訳ではないの。日本独自のものではない」

「対人恐怖症と鬱病は、サムライやニンジャとは違うって訳だね?」

「そうね。でも、多くの日本人に見られる内向的な気質が、それらの病気の原因の一つとなっている事は間違いないわ」

「まあ内向的な気質の人は世界のどこにでもいるだろうしね」

「ただ文化結合型症候群の中には明らかに特定の地域のみでしか見られないものも存在する」

「どんなの?」

 興が乗ってきた様子の茅野は得意気な顔になる。

「アメリカ北部のカナダとの国境沿いに暮らすアルゴンキン語族系の先住民たちの間で伝わる“ウエンディゴ症候群”よ」

「うえん……でぃご?」

「アメリカ北部で暮らす先住民たちの間で伝わる悪霊の事ね」

「悪霊なんだ。……それで、そのウエンディゴ症候群になると、どうなるの?」

「自分がウエンディゴになったような気がして、人肉を食べたくなるらしいわ」

「人肉……いやいや。それこそ悪霊に取り憑かれているだけじゃあ……本当に病気なの? それ」

「一応、原因は、冬季における食料不足からくるビタミン欠乏だと言われているわ。ビタミン欠乏からくる精神不安によって、自分が伝説の中のウエンディゴになったと思い込むらしいの。気候の変化からくる食料事情、それに加えて、先住民の独自の伝説をベースにした妄想が、ウエンディゴ症候群という病をこの土地特有のものにしているわ」

「なるほど……ビタミンは大切なんだね」

 桜井が少し的の外れた感心の仕方をし、茅野はクスリと笑う。

「一応、治療法もあって、ビタミンが豊富な熊の脂肪を熱して溶かしたものを飲ませるといいらしいわ。伝承ではウエンディゴは氷の悪霊だから、熱々の熊の脂肪を飲ませると嫌がって取り憑かれた人の身体から逃げてゆくらしいんだけど」

「あつあつ……おでんでもいけるかな?」

「さぁ。具材によってはいけるんじゃないかしら。大根とか。ビタミンCが豊富だし」

 そこで二人は羽交い締めにされたアメリカ先住民が、無理矢理熱々のおでんを食べさせられる光景を想像し、思い切り噴き出す。

 どうも二人ともツボにはまったらしい。

 しばし、笑い声が部室内に響き渡った。

 ……そして、ひとしきり笑い終わった後、桜井が目頭からにじんだ涙をぬぐいながら言う。

「なるほどね。よく解ったよ。じゃあ、やっぱりクノギミカコは、そういうウエンディゴ症候群みたいな精神病なのかな? 夜鳥島特有の伝承を元にした妄想が原因となった感じの」

「さあ。どうかしらね」

 茅野は皮肉めいた調子で肩をすくめる。

「結局、何なんだろうねー。クノギミカコの正体ってさあ」

 その桜井の疑問に、茅野は悪魔のように笑いながら答える。

「それなら、だいたい解ったわ・・・・・・・・

「おっ!」

 桜井は嬉しそうに口元を綻ばせた。

 茅野循の口から『だいたい解った』という言葉が出た時。

 それは、本当に彼女がだいたいの事を解ったときであると、桜井梨沙はよく知っていた。

「もう私には箜芒甕子の正体が、ぼんやりと見えている」

「マジで!?」

「マジよ。これをに九尾先生を釣るわ」

 そう答えて茅野はスマホを取り出す。おもむろに九尾の元に電話を掛け始めた――

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