【22】彼女たちの本気


 舟で沖へと漕ぎ出す以前の九尾の記憶は鮮明で、ほぼ事実とは相違ない確かなものだった。

 もちろん、会話や台詞の言い回しに若干のズレはあろうが、その意味するところは外れてはいない。

 ともあれ、その長い話が終わると――


「ふうん」

 桜井はいつものように話を聞いているのかいないのかよく解らない感じの相づちを打った。

 茅野の方は得心した様子で頷き、

「そういえば、私たちが小学校くらいの時にあったわね。元アイドルグループ出身のタレントが乗ったクルーザーが転覆したとか、そんな事故が」

「そうよ。それよ。表向きはそうなったの」

 と、九尾。

「それで、実際に行われた警察の捜査は、どうだったのかしら?」

 この茅野の問いに答えるべきか、九尾は少し迷う。

 しかし、結局は正直に話す事にした。

「後日、警察が夜鳥島に上陸したんだけど……」

 九尾は首を横に振る。

 和歌山県警水上警察隊と共に夜鳥島へ上陸した穂村の同僚と、“狐狩り”の霊能者が箜芒甕子の被害にあって数名が死傷した。

 やはり“狐狩り”の霊能者の力をもってしても、箜芒甕子にはまったく歯が立たなかった。

 結果、捜査の続行は不可能と判断されたのだという。

「……それにしても、九尾センセが、警察の捜査に協力していただなんてね」

「何となく、隠首村の時に、そうなんじゃないかとは思っていたけど……」

 などと言って顔を見合わせる桜井と茅野。

 そんな二人に九尾は懇願こんがんした。

「誰にも言っちゃ駄目なんだからね? お願いだから秘密にして……」

 その言葉を受けて、桜井は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、全然、大丈夫そうじゃない感じで言い、茅野はというと……。

「どうやら、先生の弱みを握ってしまったようね」

 悪魔のように笑った。

 九尾の表情が青ざめる。

「本当に、オフレコだからね? わたしが無茶苦茶、怒られるんだから」

 あまりにも必死な様子の九尾に、茅野は苦笑して肩をすくめる。

「冗談よ。私たちだって、その辺りの分別はちゃんと持ち合わせているわ。ねえ、梨沙さん」

 話の水を向けられた桜井が頷く。

「うん。オフレコってきょうび聞かないけどね」

 そこで茅野は、珈琲カップに口をつけて真面目な表情に戻る。

「……とりあえず、事情は解ったわ。その箜芒甕子を倒すのには、“調伏法ちょうふくほう真髄しんずい”が必要だと」

「そうよ。その如何なる魔をも祓う最高の退魔の札さえあれば、きっとあの箜芒甕子を倒せる……かもしれない」

 すると、桜井は茅野とアイコンタクトをかわした後で右手の人差し指を立てる。

「そういう事なら札はさしあげてもよいわ。ただし……わたしたちも連れて行って頂戴ちょうだい

 やっぱり、そうきたか……九尾は困り顔で首を横に振る。

「駄目よ。今回だけは絶対に駄目……死ぬかもしれないのよ?」

 すると桜井が気軽な様子で肩をすくめる。

「ある死んだミュージシャンが昔言っていたらしいんだけど、大抵の事は死ぬ気でやっても、死なないらしいからだいじょうぶだよ」

 しかし九尾は譲らない。


「駄目よ!」


 声を張りあげた。

 店内のざわめきが静まり返る。

 いくつもの視線が三人の席にそそがれる。

「九尾センセ。お静かに」

 桜井が口元に手を当てて小声でささやいた。

「ご、ごめんなさい……」

 ばつの悪そうな顔をしてから九尾は咳払いをひとつする。

 そして、自分たちに集まった視線が散った後で話し始める。

「で、でも。こればっかりは駄目よ。駄目なものは駄目」

「理由を聞かせてもらおうかしら? きっと、私たちは貴女の力になれるわ。それとも九尾先生は、ここにきて、まだ私たちをまともな女子高生扱いしてくれるのかしら?」

 その茅野の言葉にうんうん、と頷く桜井。

 九尾も当然ながら彼女たちが普通だなんてとうの昔に思っていなかった。

 しかし、それでも……。

「貴女たちは、まともじゃない。そんな事はもう解っている。でも……あの夜鳥島の悪霊は、本当に危険なの。言った通り、わたしにもあの存在が何なのか図り兼ねている。もしも、本当に箜芒甕子が霊ではなく、人から人へ自由に移動できる人格のような存在なら、あの札があっても祓う事はできないのかもしれない」

「だったら、尚更、力を合わせないと……」

 桜井がそう言うと九尾はかぶりを振り、困り顔で微笑む。

「それでもやっぱり、駄目よ。死ぬかもしれないのに、あなたたちを巻き込めない。これはわたしの復讐なのよ? わたしのせいで、あなたたちには危険な目にあって欲しくないもの……」

 これは紛れもない本心だった。

 この二人は、きっと頼りになるだろう。

 しかし、それとこれとは話が別だ。二人をあの島へと連れてはいけない。

 九尾の決意は固かった。

 桜井と茅野が何とも言えない表情で顔を見合わせる。

 九尾は再び頭をさげた。

「だから、お願い。お金なら幾らでも払うから、あの札を譲って。そして、わたしを一人で行かせて」

 しばしの沈黙。

 始めに口を開いたのは茅野であった。

「一つ、恐らく貴女は勘違いをしている」

「へ……?」

 九尾が顔をあげる。

 すると茅野は鹿爪らしい顔で述べる。

「確かに私たちは何でも面白半分よ。面白くない事はやらないわ。今回の貴女の一件に関わりたいのも、正直に、はっきりいって、ずばり、面白半分よ」

 清々しいまでに言い切った。その様は、あまりにも堂々としている。誤魔化しや嘘の気配はまったく感じられない。

「いや……だ、だったら……尚更」

 と、気圧される九尾の言葉を茅野は右手で制する。

「でも、私たちは、いつも面白半分だけど、これまでにふざけた事は一回も・・・・・・・・・ないわ・・・

「スポーツ選手だって、本番の試合は楽しんでいるけど勝負には真剣だし全力だよ。そういう事」

 と、桜井が彼女らしい補足を加える。

 そして、茅野は少しだけ声のトーンを落として言った。

「それに、私たちだって、貴女には死んで欲しくない。これも、紛れもない本当の気持ちだから」

「循ちゃん……」

「水臭いぞ! 九尾センセ」

「梨沙ちゃん……」

 九尾は大きく目を見開く。

 それならやはり、なおの事、彼女たちを連れて行く訳にはいかない。

 自分を大切に思ってくれている親しい者をこれ以上、あの島で失いたくない。

 どうしたものか……と、九尾が思案していると、茅野は溜め息を一つ吐いて肩をすくめる。


「なら、いいわ」


「へ?」

 九尾は間抜けな声を出して首を傾げた。

 そして、茅野の隣の桜井に目線を移す。相変わらず話を聞いているのかいないのかよく解らない顔つきをしていた。いつも通りである。

 そして茅野がその要求を九尾に告げる。

「一九四九年の事件と、二〇一〇年の事件の資料、その他、夜鳥島関連の資料をできるだけたくさん、ありったけ読ませて頂戴ちょうだい。それが、あの札を貴女に譲渡じょうとする条件よ」

「……まあ、それくらいなら、何とか」

「そこから何か解る事があるかもしれない。今回は安楽椅子アームチェア探偵デティクティブとして貴女に力を貸す事にするわ」

 再び九尾は桜井の顔色をうかがう。

 相変わらず話を聞いているのかいないのかよく解らない表情だった。やはりいつも通りだ。

「あのお札を譲渡するのは、その資料の精査が終わってからよ」

「う、うん……でも……」

 何か釈然としない九尾。そこへ桜井が、

「だいじょうぶだよ。あたしたちで勝手に島に行ったりはしないよ。約束する」

 と、似つかわしくないほどの真剣な表情で言った。

 他意はなさそうであるが、正直に言ってしまえば、疑わしい。

 しかし、事情を洗いざらい話してしまったのだから、もう何をやっても同じ事である。

 それから“調伏法の真髄”の譲渡の条件がそれだというならば、飲むしかない。

「解ったわ。自宅に帰ったらファイルをアップローダーにあげるわ。アドレスとパスは後で送る」

 九尾は二人の申し出を了承する。




 そのあと、九尾は二人と一緒にファミリーレストランを後にする。

 二人に見送られ改札口を潜り抜けた。

 そして、ルイヴィトンの鞄を片手に去り行く九尾の後ろ姿を見ながら、桜井が言った。

「いいの?」

もちろん・・・・よくないわ・・・・・

「じゃあ、どうするの?」

「簡単よ。九尾先生に私たちを連れて行かなければ・・・・・・・・ならないと・・・・・思わせればいい・・・・・・・

 そう言って茅野は不敵な微笑みを浮かべた。

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