【15】ヒーローとヒロイン
石段の上で悲鳴がこだまする。
大振りされた斧が、ディレクターの長尾の背中を真一文字に切り裂いた。苦痛に顔を歪めてよろける。
「あっ、あああっ」
長尾は足がもつれて転げ落ちてしまう。
階段の下の石畳に後頭部を打ちつけ、ひっくり返った蛙のような格好で気絶する。
田村はゆっくりと石段を降りて嫌らしく笑い、長尾のむき出しの腹に斧を叩きつける。何度も繰り返し振りおろす……。
湿った打撃音が鳴り響く。狂笑と共に繰り返される。
その光景を近くの納屋の戸の隙間から
リポーターの高原璃子とそのマネージャーの藤沢竜馬である。
いち早く逃げた高原と藤沢だったが、高原の体力が限界を迎え、この納屋に隠れて休む事にした。そこへ田村を引き連れた長尾がやってきたという次第であった。
その納屋はかつては畑だった荒れ地にあった。
四畳程度の広さで、背面と左には棚、右の壁には錆びた農耕具が立てかけられている。
かなり狭く二人は密着を余儀なくされていた。
「り、璃子ちゃん、し、静かに……見ちゃ駄目だ」
藤沢は体育座りをした高原の後ろから覆い被さるようにして彼女の視線を両手で塞ぐ。
「静かにして……静かにして……僕が……僕が絶対に君を守るから……」
やがて長尾は、そのまま血と
田村が口元に付着した返り血を、べろりと舐め取る。そして何かに気がついた様子で振り向き、視線をあげた。どうやら階段の上に誰かがいたらしい。
田村は
すると、おもむろに高原が藤沢の右手の小指に噛みつく。
「痛っ!」
苦痛に顔をしかめる藤沢。高原は彼の腕を振り払って立ちあがり、唾を吐き出すと納屋の入り口の戸に手をかけた。
「待って、落ち着いて……璃子ちゃん……」
藤沢が高原の後ろから抱き着く。
「放してッ!」
もがく高原を抱き締めて、その
背後の棚に彼の背中がついた。
「大丈夫。あいつは他の誰かを追いかけてどこかへ行った。多分、あの霊能者かその付き人か……柳さんだよ」
高原は「ふーっ、ふーっ……」と興奮した雌猫のように唸りながら、足をバタバタとさせた。
納屋全体が揺れて壁に立てかけてあったシャベルや
それでも、お構いなしに高原は暴れ続ける。
「下手に動くのは危険だよ。しばらく、ここにいよう。ね? ねっ? ね? ね?」
耳元に鼻先を近付け、藤沢は幼子に言い聞かせるように
藤沢は彼女を抱き締めたまま、その耳元で言葉を紡いだ。
「僕が、君を絶対に守るから……僕が君を命に変えても……」
藤沢はこの状況に興奮していた。なぜなら高原璃子に密かな想いを寄せていたからだ。
藤沢は高原がグループにいた時代からのファンで、いわゆる“ガチ恋勢”であった。
大学を卒業した後、就職先にこの業界を選んだのは、少しでも高原の近いところにいたかったからだ。
同じ業界にいれば、どこかで一緒になれるかもしれない。何かの切っかけで親しくなれるかもしれない。
彼は本気でそんな夢物語を胸の奥に抱き、芸能事務所のマネージャーとなった。
もちろん、グループにいた頃の彼女が所属していたところとは別の、小さなぱっとしない事務所であった。
それでも、只のファンだった時代よりも、格段にチャンスが広がった……彼は真剣にそう思っていた。
そんな最愛の彼女がグループを引退後、所属事務所を退所し、藤沢の働く事務所へ籍を移すと聞いた時は狂喜した。
グループでもいまいち人気の出なかった彼女。
そんな彼女を支えてあげられるのは、やはり自分しかいない。これは運命なのだと本気でそう思った。
何があっても彼女の
「だ、大丈夫だよ、大丈夫、璃子ちゃん。きっと時間が経てば事務所の人が気がついてくれるはず。そうすればきっと警察に連絡してくれるはず。それまでどこかに二人で隠れていよう。そうすれば、きっと助かるはず」
内心で藤沢は歓喜していた。
ロケ隊が遭遇した惨劇。
孤島の殺人。
無事に生還できれば、高原璃子の知名度は大きくあがる。
……そして、そのヒロインを守り導いた騎士。
藤沢の脳裏に“吊り橋効果”という昔聞きかじった心理学用語が過る。彼の口元が醜悪な笑みに歪む。
藤沢は高原の後頭部に鼻先を埋め、彼女の体臭を胸一杯に吸い込んだ。
汗とほのかな柑橘系の香水が混じりあった臭い……彼の鼻がひくひくと動いた。
「大丈夫……大丈夫だよ。僕だけはずっと君の側にいるから……りぃこぉ……」
藤沢は次第に高ぶってきた己自身を擦りつけるように、高原へとのしかかる。
そして、その両手が彼女の上着の裾をまくりあげようとした瞬間だった。
彼の鳩尾に、高原の肘がめり込む。
「ぐぅおぉ……」
藤沢は腹を抑える。背後の棚に彼の背中がぶつかり、けたたましい音が鳴る。
高原は振り向くと足元に落ちていた金槌を拾いあげる。
「り、璃子ちゃん、何を」
そう藤沢が言い終わる前だった。
高原が振りあげた金槌が彼の鼻を叩き折る。
「おごぉ……りごぉじゃん……」
両手で大量に滴る鼻血を抑えながら、膝を折る藤沢。その頭頂部に高原は金槌を振りおろす。
「チョーシに乗ってんじゃねーよ、豚野郎!」
再び金槌を振りおろす。藤沢が声にならない
「テメェが私の使った割り箸とか紙コップとかパクってんの、バレバレなんだよッ!」
しかし、高原は容赦なく金槌を振りおろし続ける。
返り血が派手に飛び散る。
「ペットボトルの飲物も勝手に飲んでんだろ、テメーよぉッ!!」
土下座でもするかのように地面へとひれ伏す藤沢。
「この変態野郎! 変態! 変態ッ!! いっつも、エロい目で見やがって!! 知ってんだよ!! テメーが私オカズにしてマスかいてんのッ!!」
その血塗れの頭部を高原は何度も蹴りつける。
「変態の豚野郎ッ!! 死ねッ!! 死ねッ!! 死ねッ……」
肉を打つ鈍い打撃音。
もう藤沢はピクリとも動かない。血塗れの金槌を彼に投げつける。
高原は床に散らばっていた工具の中から
そして、藤沢に唾を吐き捨て、
「じゃあね。キモ変態」
納屋の外に出て、戸を閉める。
ふと、空を見あげるといつの間にか黒雲に覆われていた。
高原璃子は、この状況に興奮していた。
箜芒邸の門前でADの悲鳴が聞こえ、玄関から血塗れの斧を持った田村が姿を現した時、彼女は歓喜した。
『テレビ番組ロケ隊を襲った孤島の惨劇! 死傷者※名。生存者には、元人気グループのアノ人も!?』
……などと、週刊紙の見出しが思い浮かぶ。
顔は十人並み。それどころか、歌もダンスもトークスキルも平凡な彼女であるが、ここに“悲劇のヒロイン”という付加価値がつけばどうか……。
きっと、
きっと、
グループで一番可愛かったあの娘よりも、グループで一番歌が上手かったあの娘よりも、グループで一番ダンスがキレていたあの娘よりも……。
高原は逃げながら、そんな皮算用に胸を踊らせていた。
そして納屋に隠れ、藤沢の指の隙間から長尾が惨殺される光景を見た時も恐怖は感じなかった。
怒りに任せて藤沢を殴り殺したあとも、特に何の感慨も湧いてこない。前から藤沢の事は気に食わなかったので、よい機会だとすら思えた。
……もういっそ、全員ぶっ殺すか。
彼女は自らの脳裏に浮かんだそのアイディアに思わずほくそ笑む。
『生存者は一名』の方が話題性はあるだろう。
一人殺すのも二人殺すのも同じだ……高原璃子は何の迷いもなく自分以外の全員を殺す事にした。
問題は斧を持った
適当にヤらせて、その隙にぶっ殺す……彼女の中で作戦は完璧だった。
すべては他者の注目を集める為に。そして、誰もが認めるヒロインになる為に。
その目的の為に彼女は手段を選ぶつもりはなかった。
さ迷い歩く内に、高原は再び
交差点の真ん中で立ち止まり、二方向を見渡す。
一方は箜芒邸へと通じる坂道。もう一方は、あの腐った橋へと通じる道である。
その箜芒邸のある方の坂道の先で、誰かが佇みながら三叉路の方を見おろしていた。
黒いワンピース姿の霊能者、九尾天全である。
九尾は高原の方へと駆けよってくる。
「あなた、大丈夫!?」
……と、言われて、高原は一瞬、訳が解らず首を傾げそうになるがすぐに気がつく。
今の自分は藤沢を殺した時の返り血で汚れている。きっと九尾は怪我でもしていると思ったのだろう。そう悟った高原は唐突に声をあげて泣き喚き、その場に座り込む。嘘泣きである。
「長尾さんと、うちの、マネージャーが、アイツに……」
しゃくり声をあげる高原を九尾は優しく抱き締める。
「あなた、凄い血……ほら、立てる!?」
高原は九尾に支えられながら立ちあがる。そして彼女の胸元に顔を埋めながら、口元に凍てつくような微笑を浮かべた。
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