【14】インターバル


「……正直、わたしも妹も甘く見ていた。まさか、あの島に、あんなの・・・・がいただなんて」


 二〇二〇年の一月五日。

 県庁所在地の駅前にあるファミリーレストランで、九尾天全は悔恨かいこんにじませた表情でうつむく。

「……それにしても、普遍的無意識に住まう影の人格……ね」

 茅野は思案顔で独り言ちる。

「ふへんてき……むいしき……?」

 桜井が首を傾げる。

「うーん……そうね」と茅野は、話を噛み砕きながら説明する。

「普遍的無意識は昔、ユングという心理学者が提唱した概念よ。それによると、人の意識には根っ子の部分で個人を越えて繋がっている領域があり、この繋がった意識の層を普遍的無意識というのよ」

「え……じゃあ、例えばあたしと循と九尾センセ……この店のお客さんも店員も全員が心の中で繋がってるって事なの?」

 桜井のざっくりとした理解に茅野は頷く。

「まあそうね」

「ふうん……じゃあクノギミカコは、そのフヘンテキムイシキ? を通じて色々な人の頭の中を移動できる人格って事なの?」

「まあ、本人の弁を信じれば、そういう事になるのでしょうね」

 茅野が肩をすくめる。すると桜井が難しい顔をしながら問うた。

ねえ・・それって・・・・霊と何が違うの・・・・・・・?」

「それは……」

 九尾は返答にきゅうする。そもそも“普遍的無意識に住まう影の人格”というものがピンとこない。

 霊的な世界は彼女にとって、すぐ身近な日常である。感覚的に理解はしているが、言葉にしようとすると中々難しい。

 その二つは何が違うのかと問われても説明のしようがない。

 悩んでいると、その答えを茅野がもたらしてくれた。

「同じといえば、同じね。人に取り憑いて害を成す。普通の目には見えず、人から人へと渡り歩く。呼び方が“幽霊”から“普遍的無意識に住まう影の人格”に変わっただけ……といえばそうね」

「でしょー? なら、長いしよく解らないから“幽霊”でいいよ。悪さをする幽霊だから“悪霊”」

「そうね」と茅野は微笑む。

 そして、九尾も、桜井と茅野の理解の仕方は、ある意味で正解であるとも思った。

 人間は不明な出来事、理解出来ない物、あやふやな何かを認識するのに不便であるから、そこに名前と物語という鋳型いがたを用意した。

 それが幽霊であり、妖怪であり、お化けであり、神であり、悪魔であり、怪異なのだ。

 そんな話を九尾は過去に誰かから聞いたような気がした。

 それは両親のどちらかだったのか……妹だったのか……記憶は判然としない。

「それで、実際に箜芒甕子と対峙した九尾先生はどう考えているのかしら?」

 茅野に話の水を向けられ、九尾は首を横に振る。

「解らない……ただ一つ、わたしから言えるのは、箜芒甕子は普通の悪霊ではないっていう事だけね。あんなのは視た事がない」

 彼女自身、あの存在が何なのか未だに測りかねていた。

 普通の霊とは明らかに異なる……しかし、本当に箜芒甕子自身が言うような“普遍的無意識に住まう影の人格”であるか、と問われると首を傾げざるを得ない。

「何だか難しい相手だね」

 桜井はお手あげといった様子で肩をすくめた。

「まあ、箜芒甕子の正体に関する考察は後回しにしましょう」

「りょーかい」と桜井。九尾も首肯する。

「……それで、その後、どうなったのかしら?」

 茅野が話の続きを促した。

 九尾はゆっくりと、記憶の底から言葉を絞り出す。

「それから箜芒邸の門前から続く坂道を駆け降りて……細い橋を渡ろうとして……真ん中ぐらいまできた所で、追いつかれて……」

 桜井と茅野は息を飲む。

「五メートルくらい真下の小川に妹と一緒に落ちたの。そのとき、わたしはいったん意識を失ったわ」

 九尾はそこで言葉を切ると、すっかり冷めてしまったカモミールティに口をつけた。

 ゆっくりとカップをソーサーに戻し、話を再開する。

「それで、気がついたら妹の姿がどこにもなかった。でも、まだ何となく妹は無事なんだろうって。たぶん、わたしの為に、箜芒甕子に取り憑かれた田村を引きつけて囮になったんじゃないかって」

 桜井と茅野は、何とも言えない表情で顔を見合わせる。

「それで、そのあと、妹を探しながら私は考えたの。あの箜芒甕子と次に遭遇そうぐうした時に、どう対処すべきかを……」

「その結論は出たのかしら?」

「でたの!?」

 茅野と桜井が身を乗り出す。九尾は結論を述べた。

「……箜芒甕子は、正体は何であれ、信じられないくらいの速度で自らの“相性”を変化させている」

「ああ……前に九尾センセが言ってたやつだね」

 万物には“相性”という物がある。その“相性”が離れている物事は、干渉し合えない。

 霊に干渉する為には、この“相性”をできる限り揃えなくてはならない。

 そして“相性”は、霊と関わりのある言動を取ると揃いやすい。

 例えば、その霊と関わりの深い場所、または遺物や遺体に近寄る、触れる、などなど……。

 その霊が望んだ事をする、または、望まぬ事をする……。

 そして、その霊と生前に縁があった者も“相性”が近寄り易い。

 こうして“相性”が揃い、霊からの干渉を受ける事が、祟りであり、呪いである。

 逆にこの“相性”が揃っていなければ、何をやっても祟られないし、呪われる事はない。

 そして、“相性”を意図的に操り、霊へと干渉する力や技能を、霊能力と言う。

 当然ながら霊の側も生者の方に合わせて意図的に“相性”を揃える事ができる。

「……例えば、普通の霊が一から十までの範囲で“相性”を変化させる事ができるなら、箜芒甕子は一から百の間で常に“相性”が揺らいでいる感じね。そして瞬時に特定の“相性”へと自らの“相性”を揃える事ができる」

 心霊現象において、霊の姿を目撃する、触れる、音や声を聴く……程度ならば、“相性”が近ければよく起こる。

 しかし憑依されるとなると、ぴったり“相性”が合わなければならないのだが……。

「そして、恐ろしい事に箜芒甕子は、取り憑いた者の“相性”も、同時に変化させている。だから祓う事ができない」

「つまり、“相性”を自在に操れる箜芒甕子は無敵の悪霊・・・・・って事なのね?」

 九尾が茅野の言葉に首肯する。

「そう。そこで、わたしは、厄流しの儀式で箜芒甕子にされた者について調べる事にしたの」

「やく……ながし……?」

 桜井が首を傾げる。その疑問に答えたのは茅野だった。

「夜鳥島で行われていた生け贄の儀式の事ね。そうでしょう? 九尾先生」

「流石に知ってるわね」

 と、九尾は苦笑して、夜鳥島で行われていた厄返しの儀式について、説明する……。


 そして、九尾が説明を終えると、桜井はいつものように「ふうん……」と、曖昧な相づちを打った。

「……元々箜芒甕子というのは、その厄流しの儀式の生け贄に名付けられていた名前で、本当の名前ではないの。……それで、厄流しの儀式を執り行っていた箜芒家に、箜芒甕子の本当の名前が残されているかもしれないと思ったのよ」

「なるほど……いや、やっぱりわからん。どゆこと? 本当の名前を知って、どうするの?」

 その桜井の疑問に答えたのは茅野であった。

「名前には呪術的な力が宿る。ほら、去年の年末の“蒐集家の館”の悪霊も、瓶に封じる時には真名が必要だったでしょ?」

「ああ、あれねー」と膝を打つ桜井。

「そうよ。循ちゃんの言う通り、名前はわたしたちの世界では重要な意味を持つ。除霊するときも、その霊の名前を知っているのと、知らないのでは難易度が全然違う」

 桜井が「ふうん」といつもの調子で相づちを入れる。九尾は己の胸元に掌を当てて更に続けた。

「……あの“調伏法ちょうふくほう真髄しんずい”も、力を発揮させるには名前が必要。祓うモノの名前を知らなければ、単なる紙切れよ。それに、このわたしの九尾天全という名前だって、真の名前を隠し、悪い力から自分自身を守る役割があるの」 

 そこで九尾は、代々受け継がれた名前はより強い力を持つ事を二人に説明した。

「……では、逆に“箜芒甕子”という名前が、“九尾天全”の名前と同じように、箜芒甕子の悪霊に力を与えている可能性があると……?」

「そうね」と茅野の問いに首肯する九尾。

 そして、カモミールティで喉をうるおし、脱線しかけた話を元に戻そうとする。

「だから、わたしは再び箜芒邸へと戻る事にした。妹はわたしとは違って頭がよかったから、きっと同じ事を考えるんじゃないかって」

 九尾は再びカモミールティをすすりながら、過去の記憶を反芻はんすうする。


「そのあと、わたしが最初に出会ったのは……血塗れの高原璃子だったわ」

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